母の循環器の個人病院に行くために梅田まで行って来ました。
おおむね良好なのでいつもと変わらぬ薬処方していただきました。
他には特に変わったことはなし。
私は家で来る結婚式と夫の一時帰国に備えてインターネットに集中してます。
妹がやっとシャワー浴びれるまで回復したので、母を連れて梅田付近のF医院にきています。やっと電話が通じましたので。今日はお盆休み最中でもあり、また朝から雨が幸いして空いています。良かった。
予定では今日千葉か山に戻る予定でしたが、無理です。しかし18日中には山に行かなければならない。一度千葉にも戻りたいので早ければ明日でたいが、あいにくUターンラッシュになりそう。あーそれだけはいやなのに。下の道から行こうかな。笑。

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3605/2549161/
若年性アルツハイマーにかかった女性のドキュメンタリー。
これみて考えさせられるところがあった。

先日母が生花ができるということでご近所の方が紹介してくださった介護施設に行った時、アルツハイマーの女性がおり、突然母と私の前にきて「ちゃんとしたスタッフさんが。。云々」と怒ったように喋り始めたのです。そのときに、あわててスタッフさんがその方を傷つけないように退避させようとされたのですが、思わず母が
「私も将来あんなんになるんだ」
的なことを大きな声でいってしまったのです。
それに対して、施設から戻って二度ほど母に、ああいうことは言ってはいけないよと説教してしまったのです。
すごく不快そうに私の話をきく母の態度をみて思ったのです。母は認知症になることに恐怖心と偏見があるんだと。

今回見たこのドキュメンタリーはまさにその点からの入りで、藤田さんという若年性アルツハイマーと診断された女性がそれを家族と一緒に受け入れていくというもの。藤田さん自身がアルツハイマーに対しての偏見があったことを、富田靖子さんが演じる形で心の変遷をドラマで描いてもいた。

全部は見なかったのですが、そこで思ったのは、
最近世の中テレビを付ければ、なにかと「ボケないように」とか「認知症にならないように」とか、まあ普通に山ほど特集組まれたりする。それはそれで、国策なのかアピールを国民にしてるのはいいのだけれど、母を通して感じることは、全般的に「ぼけないように」という報道の先には「ぼけたら最後」的な雰囲気が。絶望しかないような方向性もなくはない。常に「そうならないように」とはあっても「そうなったとき」の番組は周りの人の苦労話的なものが多い。
もちろんグループホームでのアルツハイマーの方との共生のドキュメンタリーもあったりはするんだけど。
だから母のように認知症シンドロームになった人には、自分はああいうふうにはなりたくない、なったら最後だ。みたいなものにしかもう映らないのだ。

私が学生だったとき、母の母が寝たきりになり、今のようにすぐに介護施設に入れるといったことができず、一人っ子だった母はほんとうに懸命に家で介護をしていた。高校生の私も、受験を終えたころだったか。。母があまりに疲れているのを見て、夜のおしも関係を見てあげるといって、⭕️んこやらでほんと大変だな。。。と思って手伝ってた。余談ですがじつは祖母の介護のとき、まだ介護用ベッドもなかったので布団から抱き上げる時にぎっくり腰になってしまいました。。。
祖母が病院に入院したときに初めて私はアルツハイマーのおばあさんたちの姿を見ました。
「おばあちゃーん」ってだれかが呼ぶと大部屋のみんなが「はーい」と返事したり、隣のおばあちゃんはシーツを縫い物代わりにして一生懸命チクチク縫っている真似事を繰り返す。自分の祖母はアルツハイマーではなかったので、それまで私はそういうおばあちゃん、おじいちゃんがいることすら知らなかった。

あのころはテレビでもそんな特集見たことなかった。みんなが家で抱えていた秘密の問題だったのです。

結婚して10年ぐらいたったころかな。。テニス仲間のお一人(「といってもそんなに仲良しでもなかったけど)とお話することがあって、その方の祖母の看病である時期大変だったのだけれども(寝たきりで)、「最近は介護施設があってね。とても便利になったのよ。辛い看病生活が終わったのよ」とおっしゃって息抜きにテニスにいらしてきてた人だったのです。
そのときに、あーー。時代は変わりつつあるんだなーー。もう母が経験した辛いことって介護施設で対処できるんだなーーーってね。

それから程なくして介護施設の問題点がいろいろとテレビでも指摘されるようになった。まるでそれが全部の介護施設の問題であるかのような気分にさせるものだったようにも思う。(点数をごまかし、してもいない介護行為を国に申請してお金をだまし取るみたいな番組とか。。)あの当時に聞いた話では、私の父母の友人がどんなものかと体験してみたら、お金を盗まれて大変だった。あんなとこ入るところじゃないみたいなことを言ってた。。。という話も聞いた。

母はもともとジャーナリストの仲間だったので、報道というものを信じやすいたち。いつも戦時中、自分たちは騙されたみたいなことをいうんだけど、もともとの母の体質がマスコミを信じやすいのです。イラクのフセイン大統領のことも「悪魔だ」とNHKの受け売りをヨルダン駐在中の私に言ったし。。。逆に言えば母の話を聞くと、世間で今どういうことが報道されているかがわかるぐらいです。

そんな母が認知症に対して恐怖と差別を持っているのですから、まあ、私が報道をみていても、認知症問題は、もう姨捨山問題と同じ的な側面になりつつあるなと。努力しているホームはたくさんあるのに。。。徘徊して列車に轢かれた認知症の方の家族に鉄道会社からの賠償が求められたこともありましたよね。世話をしていない家族は支払わなくてよく、世話をしていた人に賠償がいったのです。
世話をする方も、ほんとさんざんな気持ちになります。

そして、最近は若い方の方が長生きはするもんじゃない的な感じ。年金問題やら含めてね。そして老人は、ますますアルツハイマーにならないようにしよう症候群になっていき、若い人も老人も認知症を憎む社会になっています。そんな社会なんだから、介護する側も心ある人じゃないと大変ですよね。

私個人としては、
以前報道の中で(確か池上さんの番組)オランダでは、認知症になったお年寄りが普通に生きていける区画があって、お店に徘徊で入っていっても自由、お店のスタッフは介護施設のスタッフで、その区画は施設というよりは「街」になっているのです。ですので認知症の方も当たり前のようにいつもの生活ができるんですね。
もしそんなところがあれば、みんな安心して認知症を迎えられると思う。もちろんオランダという国は、日本や他の東南アジアのように、親の面倒を子供が見るという文化はないらしいです。もともと親が老後に子供に面倒みてもらうという意識はなく、老人は老人の世界に入るというのが当たり前の文化になってるみたいで(実際にオランダ人に聞いたことがある)。。その中での究極的な街になるんですかね。

世の中の報道をすぐ信じちゃう人、母みたいな人がいっぱいいます。たとえばNHKの「ためしてがってん」(いまは「がってん」)
この番組年寄りに大人気じゃないですかね。母も、母の友人も、義母もみているし。
母ががってんをみた後に、運動についてああしたほうがいいらしいよ、とかいって私に説明しますが、いつもいうのは
「あのねママ、それはママがやらないほうがいいよ。ママがそういう運動を急激に始めたらきっと足を痛めるよ。あの番組でもいってるよ。不安のある方は医師(あるいは専門家)に必ず相談してから適切に行ってください。ってね。丸呑みしないで自分ができそうなことを選んだ方がいいよ」って
最近は私に説明するときにも、これは私にはもう無理ねとか話たりします。

以前義父が誤嚥性肺炎で入院したときに、義母がある新聞記事(朝日ですが)を切り取って私に見せたことがあります。それは「胃瘻が役に立った事例」の記事でした。交通事故で長く入院しなければならなくなった高齢者が、点滴だけでは胃腸などの機能まで衰えてしまうということで、胃瘻にして、その機能が生きるようにつなげた。結果、体も回復し胃瘻も終えることができて予後好調であるといった内容でした。義母はこれを自分の夫にもしてはどうかと、胃瘻に対して肯定的なことを私に伝えようとしたのです。ただ、その記事をみると70台の男性なのでした。私はもともと胃瘻は反対派なので「お義母さん、これ70歳台の若い方ですよね。お義父さんは90歳なんですよ。若い方は回復してもお義父さんにはどうでしょうかね」と疑問を呈したのです。その後、義母は義父の隣でのどに穴をあけてしゃべることができず、その穴の部分についている器具の周りにはオムツが敷いてあった病人さんのことをみて「かわいそうに、もう喋れない人で息をしているだけなのね」と言っていたのですがその人が胃瘻をしてあのようになっていたというのを聞いて、胃瘻肯定派をお辞めになっておられましたが。。。

胃瘻をしてまでも生かしたいという気持ちになるのが私は不思議でたまらなかったのですが、いまにして思うと、母、義母の世代は戦争を生き抜き、長生きするということが一種の美徳になってる世代なんだなと。100歳になって市から表彰されるのがよいことで。。。元気でピンコロがいいといっても、血液、心臓強くしましょう番組を必死でみる。。。(私もときどき乗っちゃいますが。。笑)

今日、夕方に母を美容院に連れていったのですが、その美容院、駐車場がないので、いつもバスがいないのを見計らってバス停の前の方に停め母を下ろします。そして母が階段を上って2階にある店内に無事いくのを見届けてから車をまた移動して待機するのですが、ちょうどそのバスの停留所にご高齢(たぶん75−80歳ぐらい)のおじいさんがいらっしゃって、私が母に「気をつけて上がってよ」とかいいながら見守っているのをみて微笑んでいらして、「(母をみて)80歳?」ってお聞きになった。私は「いえ、91です」というと、その方は予想が外れたことを「ほおーーー。お若いですねえ」とおっしゃった。

そうなんですよ。90歳はもう若いんですよ。NHKの「家族に乾杯」で、鶴瓶師匠が「おばあちゃん、おいくつ?」っていうと「90になりました」っていう。鶴瓶は最初は「へえお若いですねーーー。90にはとてもみえない」と言っていたんですが、最近はあまりにそういう人が多いので、鶴瓶さんの反応ももう新鮮ではないような感じになってきた。。。そうなのよねーー。90歳はもう死にかけの老人じゃないのよ。若いのよ。100歳でも若い!って言える人を度々テレビでも見ます。
私はそういう方たちを長生きエリートと呼んでいます。今の長生きエリートは戦争を生き抜いたツワモノ。90歳すぎて認知症を嫌い、自分はあんなんになりたくないと思ってる。誤嚥性肺炎で全身の機能がもう低下して死を待つしかない人にもまだ生きて!生きて!何か方法あるでしょ!さえ思うようになる。

こんな社会に今はなってるんですね。。

私は母みたいな長生きエリートにはなれないグループだと思っています。むしろ長生きエリートのエゴみたいなものを嫌っている人間なので、妙に母に食らいついてしまいます。そんな娘からの攻撃を受けている母を見るのもなんだかかわいそうにも思います。
母はもうわかったから私には二度とその話をしないでくれといいました。
母は本当に私の説教を嫌っているんですね。
また、私も母に対してある意味、私のエゴを押し付けてしまう人間なのですね。

実は最近母と私の性格の違いを痛感しています。母は、すごく素直で。。私は皮肉れていろいろ考えて(狭い見解かもしれないけど)あーだこーだと議論をふっかけて、反面教師を心がけているタイプなんです。それに対して母は、問題が起きてからあーすればよかった、ああしとけばよかったというタイプ。。だからことごとく議論にならなくって。。なんとなく私も話し相手がいなくって。。。。口うるさい娘を卒業しなきゃならないんだなとも思って葛藤中でもありますよ。。。。。ほんと。
母といると自分もほんと割り切って母と接してないなあと思います。修行ですね。

兎にも角にも、今回のドキュメンタリーをみて、思ったことは、報道関係者も老いとか認知症に対しての報道をもっと長い目でみて社会的な影響を考えてすべき時代になってきてるのだということを肝に銘じてほしいのです。煽らずにね。
番組は若年性アルツハイマーの人をサンプルに偏見もたないようにしてねというメッセージでしたが、年寄りに対しても同じですよ。
じゃないとますます若者と老人との精神的な乖離が進み、若者は老人や長生きを嫌う傾向がますます進んでしまう。
時代の節目をこんなところからも感じてました。


の本日でしたが。。。どうかな。。。。の結果です。
現在母はすでに週2回の施設通いしてます。いずれも半日。
その施設は母はとても気に入っています。理由は,
新しい施設だったので、皆が一からお友達を見つけようとする状態で、まあいわゆるボス的な人もいないしがらみのないところから始められた中でお気に入りの友人ができたみたいなのです。たまに車に乗って帰ってきたときに母が車から降りるときに車の中から手を振ってくれるお品の良い方がいらっしゃるのですが、その方らしいです。
で、その施設は
1)友人がいる
2)体操や足湯もしてくれて、すわりっぱではない。
3)午後からなので、半日なので体力的にも楽
がいいところ
デメリットは
1)お風呂の施設がない
2)比較的運動に力を入れているので他のイベントが少ない

といったところでしょうか
で、たまたま、2軒先に他の施設の生活相談員をされていらっしゃる方がいて、その方の勤めている施設には生花の日がある、お風呂も入れる、無料でヘアカットの日があるといった今の施設にない魅力があり、母も生花をしていたこともあり、体験でいかせていただこうということになりました。そしてその日が今日でした。

行ってみて次の点がよかったです
1)アットホームな雰囲気で手づくり感がいっぱいの明るい施設でした
2)今日は人数少なめでしたが男性も多かった
3)カラオケをする時間がある
4)生花は参加費1000円ですが、結構お花の量もあり、また道具などはもっていかなくてもよいので楽に楽しめる
5)紙粘土を使った工作もあった
6)お風呂は2つあり、順番に希望者が入っていく感じ^^

母にとってマイナスだったのは
1)カラオケは否定的
2)認知症で徘徊するおばあさんをみて「私も将来ああなる」と失言(割と大きな声で言ってしまった)。以前も感じたことがあったが、自分も老人なのに認知症が進んでいる人を見るのがいやなもよう。不愉快な顔をしてしまっていたのでこりゃいかんなと思いました(周りの人への影響もある)
3)初めてなので友人もいないので長く感じられたもよう。時間的には定例の通所とあまり変わらないのにしんどいと言い出す。

母を見て私の感想
1)もう新しいところはむりかも
2)生花以外は気に入らなかったのではないかな
3)お風呂はどうしてもいやそう。。
4)徘徊する認知症の方がいないほうがいいかも。(嫌っている感じなので)
5)母も他人に配慮するのはもう無理だなと改めて思った。(認知症の方に対して嫌悪感しかもっておらず無視することすらできない)

ケアマネさんも新しいところで知らないところだったので来てくださったのですが、毎週通うのでなければ、ケアの計画も立てにくいので。。とおっしゃってたのでここは無理かなーと思ってます。。

なんか幼稚園選びみたいな感じがしますが、
園児みたいに老人は素直じゃないので、より大変だ。個性を尊重して選ぶということは同じだとは思いますが。。。。

私的にも、生花は大変魅力的でしたが今回はダメかなあと。。。
正直、施設探しは面倒ですね。ほんと。

それにしても今日は私の腰の具合が悪いです。
風邪のときに寝てることが多かったせいだと思います。
(寝てる時間が長いと腰痛になる)
悪化しなければいいのですが。。。。
(こんなんじゃ、北朝鮮問題で疎開とかになっても歩けないよーー)
順調に過ごしてきましたが、やはり老人はどこか少し悪くなってしまったら、がたってきますね。
母、ちょっと婦人科関係が調子悪くなっているようです。昨日もお風呂しんどいから入らないという気まぐれ状態でしたが、今朝になってなんでそうなのかを説明してくれたので合点がいきました。
それで、デイにはいくと今は頑張っていますが、一応明日、病院にいくことにしました。大きな病院希望していた母ですが、そこは紹介状がないと初診は無理でした。

わんわんとの生活は順調です。朝はまずわんこの餌からですが、同時に母の分も整えておきます。餌の前にはおしっこシートの交換からですかね。
それから小腹がなれたころにお散歩ですが、6ちゃんの方がどうもお尻が引けて引けて、散歩いやがりますね。とにかく二匹とも散歩させて、帰ってきたら足を濡れタオルでよく拭きます。トイレの始末をして、それで完了ですがまあたっぷり1時間以上かかります。
その後は、ソファの上ではなく、犬用のベッドや、囲い型の6角形の部屋(これリッチ!大きすぎるのでダイニングテーブルの下においてます)などにそれぞれ入ったりして過ごしてます。連れてきた当初はソファの上にいきたがったのですが、母が使うのに不便にならないよう、座らせないようにしていますが、今はだいぶ慣れてきてくれてます。
また妹がソファ生活させるでしょうけれども、3月4月とまた預かるので、できればこのままハウス生活にしてもらいたいです。

ということで、母の病院は明日の夕方に予約しました。レディース病院という感じのところです^^

近所で2軒建て替え工事で、今日も車が4−5台入っていてびっくりです^^;
完全同居ではないので、点数の中で色々融通つけてくださることになり、結構フレキシブルな対応してくださるのだなあと感激してます。

⑴私の予定は10月から第1週目の土日を含める5日間に千葉に戻るようにし、あとはなるべく大阪にいる
⑵ヘルパーさんは第1週目私が不在のときに、回数を増やしてもらう。あとは今のお掃除のヘルパーさんを減らす。
⑶日曜日に入ってくださるヘルパーさんがいるかどうか不明なので確認してもらう。

となりました。
夫の一時帰国、来年からの次男就職活動への対応などはその都度かんがえましょうにしました。
母は夜中に

身体がだいぶ楽になったと言ってたので安心して寝ましたが、朝もゆっくりとして、起きて果物を、食べれるようにはなりました。好きなものなら大丈夫みたい。
H医院にも電話して状況説明しましたら、明日か金曜日、主治医がいるときにきてくれとのことですので連れていきます。

午前中はヘルパーさんがきてくれ、もう少ししたらペインクリニックのドクターがいらっしゃいます。また、ケアマネさんがきてくださるみたいで、電話があったので状況説明しておきました。いよいよ同居扱いになるのかな。でも、母にはペインクリニックさんという強力な助っ人さんがいるので、私が留守にするときには一泊15000円と少し高いですが、完全看護でいつもの看護婦さんに診てもらえるので安心して預けられます。

私が思うに母は肺炎になっていて、おまけに認知症も進んでいるので、水を飲むのも忘れてしまう。いくら言っても冷房も切るので、この暑さが引かない限りは目を離せない状況。下手すれば悪化して死んじゃうと推測します。
おそらくまた抗生物質を処方してもらえると思います。先週もH先生、出すべきだったと推測します。仕方ないですが。やはり高齢者は油断禁物です。


妹がきてくれたときには食事はちゃんと摂れていたようですので、安心ではあります。お昼も、妹が買っておいてくれた大好きなかねこのウナギは量は少ないですがしっかり食べてくれました。良かった。

*母は
1)私費でペインクリニック 看護師週三回 医師一回 訪問
2)私費で月曜日2時間 お手伝いさん(ヘルパーさんじゃないです)
3)介護保険で1時間お掃除ヘルパーさん週二回
4)介護保険で1時間お料理ヘルパーさん週一回
5)介護保険で週二回デイサービス

同居になると、3.4がなくなると思います。土日に私費でお手伝いさんをお願いするようにすれば私が千葉に戻ったり三重に行く時間はとれそうですね。
なんにせよ、次男が大学院いく間は母のことはみれそうですが、おトイレ関係できなくなると施設を考えます。私自身、昨日もなかなかねれなかったので、まあ、こういうのが続くとこちらも持たないですもんね。

今日、無事妹と交代しました。
妹は仕事もあるし、ワンワンも二匹いてたいへんなのですが、こころよく交代してくれて、私も病院に行けて助かりました。ありがとうね。おまけにイヤリングのプレゼントまで置いてくれていた。さんきゅ!かわいい妹よ!(^^;;
夜7時ごろ着いたのですが、最初は荷物入れるのにバタバタし、駅前の駐車場に車をとめて戻りましたが、母やや元気がない。頭も少し熱ぽい?
食欲もないの。というので、とりあえずスープだけ飲んでもらい薬を飲んでもらう。私は二階に荷物を入れたりカーペット敷いたり、カーテン取り替えたりしてバタバタしていたのですが、汗びっしょりになったのでシャワー浴び、母の様子見に行ったらなんかおかしい。頭も身体もとても熱いよ。体温は38度近く。しんどそうなので、頭を冷やしロキソニンとムコスタ飲んでもらう。

ピーターちゃん、もうおさらばなのかもね。
と弱気なことを言うので、まだがんばろう。ママの身体も熱をだして戦っているんだよ。身体が頑張ってくれているって考えたら、免疫力も高まるよ。

明日医者に行こうとは思ってましたが、とりあえず朝の様子みて、電話だけでもしてみよう。

何度か氷で冷やしたタオルを交換してます。少し熱下がってきたかな。スヤスヤ寝てるので私も休みます。
とりあえず安着のおしらせ。
母はとくに悪くもよくもなっていない状況なので元気といえば元気です^^
耐震用のベッドの枠の話をしています。母もやむを得ないかなという気持ちになってるようです。
今日、ちょうど事件のあった梅田に行ってきたのですが、幸い車ではなく電車でいってきたので時間的にはジャストあのあたりにいたのに事故のことはさっぱり知りませんでした。

で、ユザワヤがあったので久々に入って、刺繍キットを買ってきて、母がデイサービスから戻ってくるまでに帰宅し、いろいろ用事を済ませてからさっそく下準備にとりかかっていたところ、母が帰ってきました。
しばらくして、ふと私に

「刺繍は目が悪くなるから気をつけや。私もそうやったから」

というので、
ん?いつ刺繍ってやってたっけ?と聞いたら、
ここにあったクッションとかも私が作ったとかいいだし、
細かにどんな作品があったっけ?というと

「また私が間違ったこといってると思ってる?」

とかいうので、ううん、もしあるんやったら見てみたいんやけど。。でもママが刺繍やっているところは見たことがないなあ。いつやってたの?

といろいろ聞いても、やっぱりちゃんとどんなものを作ったとかを言えなかったので、その時点で、

あ・・そか。。認知症には作り話をするというのもあったな。。

と思い出し追求はやめました。ちょっと判断遅かったかも^^;;
認知症の人に訂正ばかりして、不安を与えるのはよくないらしいので、ちょっと対策たてないといけないですね。
誰でもそうですが、真実とは違うことを言われるとつい訂正してしまいます。
それが当たり前で過ごしてきた人間にとっては、どのようにいなせばいいのかなーーとちと判断に苦しみますね。やれやれ^^
とちょっと今時のタイトルですが。。。
90歳の母のこと。

昨日午後から美容院いこうねって約束。
母は11時からヘルパーさん、11時45分ごろからペインクリニックの看護士さんの訪問があるということで私は10時ごろに用事(買い物と私家関係の入金など)を済ませるべく外出。
12時40分ぐらいに流石に全部終わっているだろうと思い母に電話して
「看護士さんもきた?」
ときいたら、

「んーー。きたと思うよ」

という中途半端な返事だったが、なら外出の準備しておいてね。
とお願いし帰宅。しかしふと出かける前に、なんか母の発言が気になり、
一応ペインクリニックに電話する。
すると看護士さんが

「そうなんです。ちょっと遅れていてまだ訪問出来ていません。すぐいきます」

とのことだった。母はあわてて、
「たくさんの人が毎日来るので何が何だかわかんなくなってたわ」
と言い訳をするので、そうだよねーー。。毎日大変だよねー。って言っておいたけど、
これってどーよ?(^^)。。。だよね。。

まあ。。最初はこういう行動にびっくりしてたけど・・
母はほんとうに頑張って生きてるのに。。こんな風になっちゃうんだなーって思った。

(余談)
最近の母との「死に方」について
一時、死ぬことをとても恐れていた母ですが、私が
「でもママっていいよね。だってもうガンとかで死なないし、自然に枯れて死ぬっていうのが最有力候補でしょう?それもっとも楽な死に方だよ。痛くない、苦しくない上に最後は気持ちよくなる物質が出て夢のような旅立ちだよねーー。ママよかったね。ほんとうらやましいよ。世話してくれる娘もいるし。。。。つくづく)
というと、わあーー死ぬ前ってそんなに幸せな気分になれるんだ。いいねー。っていうのですかさず
「死ぬって考えず、生き抜こうって考えようね。」
って言っておきました。すごく嬉しそうに頷いてたけど。。

またすぐ忘れちゃうかな。。。。

http://40kaigo.net/sick/alzheimers-disease/780/
認知症の進行

義母はとてもお元気でした。下手すれば私より顔色もよい。。感じで、
思考も義母節全開!って感じで、なんか私の方が元気ないという感じでした。

推測するに義父がなくなって自分のペースができてきたんじゃないかな。
いろんなことから解放されたので自分のためだけのメリーウィドー時期に突入したという感じに思えます。
私の手助けは全くいらない状態です。安心ですね。


先週の土曜日からおりましたが、今回の滞在では母は記憶も若干改善しており安心しました。滞在期間前半で大体の用事は終えられ、あとはお弁当がこないときにご飯を作ってあげるという状態でした。
土曜日は少し遠出しようかということで神戸までいってきましたが、以前ホテルオークラのラウンジが眺めが良かったという覚えがあってまたいきまhしたら、35階はレストランだけでラウンジのようなものがなくなってしまっていて残念でした。

本日も夕飯作って、お風呂を入ったのも未届けての出発です。お風呂はほんといやになっているらしく、今回もお湯を入れても「また今度にするわ」が結構何度もありました^^
ということで今は東名に入りましたが、運転の合間にBABYMETAL聞いています。(母と一緒だと音楽も思うように聞けないので一人になったときに好きな音楽を聴けるとうれしいです^^
ゆっくり帰るので途中車中泊になって帰るのは明日の夕方近くになるような気がします^^ 
やっぱり母の立場と娘の立場って違うので、
ときどき???っていう感じの印象を受けますね。
今日話していて思ったのは、
私が母の家の整理をちょっと始めているんですが、父のものでもういらないもの(というか、まったく使っていないもの)をゴミとして山に捨ててきたんですが(山=市のゴミ処理場があります)、今度古いAV機器とかテレビとかを業者さん呼んで処分しないとねという話をしたら、まずMくんに相談しているかいらないか聞いて。。。といったので、そんなに古いものは誰も使わんよ。一応聞くけどもう処分できるものはしておきたいからね。。。といったら

親の仇を子に討たれ

と言ったのには少しムカっときたので、反論しておきました。
あまり強く言うのも(私が)大人気ないので途中で流しておきましたが。。。
どうもこれは母が自分が親のものをいろいろ処分したことを思い出したようにいっているみたい。
だけど、本音でいえば、実の親子で、もう不要なものについて、こういう会話になるのですから。。いわんや義理の親のものとかになるとやはり生前に整理なんて問題になるだけですよね。くわばらくわばらと思いました。

実家の二階を整理するのは実はこの家は昭和55年以前に建てたものなので、耐震基準を満たしていないため、一時はリフォームを考えたのですが結局母がもうやりたくないというのでほっておいています。ので、二階部分の荷物を軽量化して、耐震的な面で問題を減らしておきたいというのがきっかけです。
特に二階にあるテレビは昔のブラウン管のタイプで、画面も大きいので超でかくて重い!購入した時の電気やさんが、搬入したあとに「もう二度とこのテレビは持ちたくない」と言って帰っていったぐらいのものです^^;
地震になってこのテレビが頭に落ちてきて死ぬのもいやだなーーと思ってのことですが、そんなことを気にする母親ではないですし、捨てることだけを気にするための発言ばかりで。。。まあ。こんなものでしょうね。だって自分たちが生きてきた証を捨てていくんですから。

ただ、私自身も去年のリフォームでかなりものを処分しました。それは自分の人生の整理整頓という意味合いもありました。初期とはいえガンになったのでやはり死ぬことは考えました。。。。でもどんだけ捨ててもやはり私のものはまだまだあります。だから常に自分の身の回りって整理していかなきゃなーーーって思います。

なのに、自分のものだけでなく、夫の実家にしてもものすごい昔からのものが山ほどあります。そういったものを整理していかなければならないのですが、私はついつい捨ててしまいがちなのを夫がこれまた心配しています。
ですので義母が生きているときはとてもあなたに整理をさせるわけにはいかないとも言います。

ただ私が心配するところは、私が整理しないうちに死んでしまったときどうするのかなーーってことです。

個人的には最近はやはり蔵を建てたらどうかな?と思ったりしていますが、蔵って家を建てるぐらいの費用がかかるらしいので。。まあ。。無理かな。。残念^^;;
今日は母からいろいろ用事を頼まれたもの、それから私が自主的に行っているものを一気に処理してきました。

1)出金のち入金処理
2)ケアマネさんのところにいって話をする。
3)部屋整理にともなったゴミと今までたまっていた燃えないゴミの一括処理のため、山方向にあるゴミ処理場にいく。
(この市は持ち込みのゴミについては車ごと測ってしまい、ゴミを下ろしたのち減った分だけをキロいくらという感じで請求するだけなのでとても楽チンです。もちろん安いです!ただちょっと遠い^^;)
4)市から無料でいただけるゴミ袋券をもって市役所にいき、ゴミ袋と交換してもらう
5)市から無料でいただけるオムツ券をもって母のものを購入する。
6)洗濯物をコインランドリーで乾かす(布団カバーなどの大物があったため)

ということで、昼前から家をでて15:30頃までかかってしまいました^^;;
ケアマネさんとの話では、認知症が進んでいるけれども、ご近所さんにご迷惑をかけているわけではないのでこのまま様子見ていきましょう。ということになりました。
とても親切に見てくださっているのでありがたいです。
個人的には女性にこのような仕事がやはり向いていると思います。私は看護士さんとかも男性にみてもらうのをとても嫌うタイプなのでケアマネさんも女性だとホント安心します。

明日はおそらく母の美容院と目医者さんにおつきあいすることになると思います。
昨夜、夜中に到着しました。
寝ていた母が目が覚めてしまったようで、少しお話ししてくれました
私もちょっとお疲れだったので、2時ぐらいには寝ました。
わんわんも結局私の布団にぐりぐりっと潜り込んできて。。。不本意にも一緒に寝てしまった^^;;

朝は遅めに起きたのですが整形外科に母を連れて行かねばならず、台風が近づいてちょうど雨が降り出してきてしまったあたりでの出発!
結局結構待たされて終わったのが13時^^;;
お医者様によると、母が足の痛みを訴えていたのですが、どうやら気がつかないうちにどこかで打っていたような感じですよーー。でした^^
とりあえず水もまだ取るほどは溜まっていないのでモーラスもらって終わりです。あ。もちろんレントゲンも撮ってもらいました。

母は朝はまったく食欲なかったのですがお医者さんが終わってから遅い昼食を食べに外に出ましたところ、人並みとはいきませんがまあ、食べてくれました。
たくさんお話ししたら疲れちゃったみたいで、帰宅してから今もぐっすり寝てしまっています。どうも我が家はみんな免疫力落ちているようです^^;

台風が近づいてきてなんだか雨が強くなってきました。
5月の台風。珍しいですね。天変地異が起こりませんように^^;
今日は朝からぼけてまして、この地区の可燃ゴミの日は火曜日と金曜日なのに、今日土曜日をすっかりゴミの日と間違えておりまして、それも朝起きて気がついたので、引っ越しでたまった袋を出しそびれてしまったのに気がついて・・・・う。。。。なんてドジの介なんだろう。千葉の家は土曜日だから間違えたのか・・・。年のせいなのか。。。思い込みが強くなったのか。。。

とりあえず気を取り直し、気分を一新するために贅沢な?朝風呂をしました。こちらの家のお風呂はリフォームした千葉の家のお風呂の次に気持ちがいいです。なにせ、旧アパートはガスがいかれてた?みたいで、ものすごーく古いガスのスイッチのレバー?をマックスにまで引き上げて(手動)も、お湯が熱くならず、しかも追い炊きなんて機能ないため、すごくぬるいお風呂に入らなければならず、当然シャワーも温かくならないため、寒い寒いといいながらシャワーだけを浴びていたのでした。ものすごくいやでした。

そんなとき千葉のリフォームしたTOTOのお風呂にゆったりと入ると、とても優雅な?気持ちになったのです。お風呂って大事ですよね。
で、この新アパートは、何がいいって、ガスが都市ガス!旧アパートはプロパンだったので、金額も高いし、千葉に長期に帰っている間にガスの支払いができなかったとき(期限を過ぎてしまったことがあった)、なんと閉栓されてしまい、開栓料金として別途3000円もとられてしまうというショッキングなこともありました。参りました。
で、こちらは湯沸かしのスイッチは、声がお知らせしてくれる普通のレベルのものなので、やっと便利になりました。追い炊きもできるし、湯船もほこほこ気持ちいい。

古いお風呂といえば、実は大阪の実母の家のお風呂がすごく古くて、とにかく寒い!いろいろ暖房とかもできるようにはなっていますが、タイルの床も寒いし、とにかく寒い寒いなので、母が今はいやがってお風呂に入る回数が激減。ちょっと前までは母はお風呂好きだったのに。洗面所を暖め、お風呂を温めてから入るのがもう手間になってしまったようです。
もちろん母だけではなく私たちも寒いです。それでも旧アパートのときはちゃんと追い炊きできるお風呂だったので感謝だったのですが。。。
母にお風呂をリフォームすることを来年は提言しようと思います!
これから介護のことを考えると、私たちが過ごしやすいようにもしておかなければいけませんものね^^

長くなりましたが、お風呂のあとちょっと時間をおいてトメさんを迎えにいってウトさんの病院へ。冷たい雨が降ってました。
ウトさんは痰がからんでいてちょっと大変そうでしたが看護師さんにとってもらったら気持ち良さそうでした。吸痰のときは苦しそうですが。
でも顔色もよいし、状態は良好です。
それからトメさんを家におくりましたが、今日は土曜日だったため、車が混んでいて、結局帰宅できたのは5時半でした(途中コインランドリーもよっていたので)


ところで、前々回の大阪の実母のところにいってのお話。
母の住んでいる大阪北部の市は、耐震検査とその工事に対して、現在補助金を出してくれる制度があります。といっても昭和55年以前建築の家に対してです。実家は、私が小学校5年生のときに建てた家で(父の郷里の大工さんをわざわざ連れてきて建ててもらった)、この対象になります。
先日、母がちゃんと自分で建設会社さんに依頼して検査をしてもらい、その結果を前々回に大阪にいったときに教えてもらったのですが、
そのときに面白いものが発見されたのです!

それは、
屋根裏にあったそうで、
半紙に、色々な文章が書いてあって・・・ 驚いたそうです。

それもそのはず、
「脱怠慢」
とか
「受験のときは○○(妹の名前)ちゃんも敵!」
など、
なんだか、屋根裏に置いてあるまじき内容が書いてあったそうな。
それみて、一番驚いたのは、私です。
内容をみて私が書いたとわかったのですが、
私自身がその記憶がなく、また、そんなに競争意識がある人間だとは認識していなかった(笑)ので、驚き桃の木山椒の木でした。大笑いしちゃいましたが
検査で入った方はなんだか困った顔をしてました^^

突然のタイムスリップに、私も照れちゃいました。
妹に話したら、是非みたいね っていってました^^ ちゃんちゃん!
今SECOMさんとアルソックさんに見積もりたててもらっていますが
トメさんの心の安心のために、警備会社さんをつけることにしました。
案外トメさんは前向きなので安心しています。

三日ほど前からウトさん誤嚥性肺炎のためまた点滴になってしまいました。

病院通い

2014年10月9日 親の介護
9:45 アパート発 トメさん 整形外科送り
11:30 トメさん整形外科から自宅に送り
14:45 アパート発 トメさんとウトさんの病院へ
16:45 トメさん自宅へ送り アパートに戻り

この間わんわんのお世話、100円ショップ、トメさんに頼まれた入金をしにコンビニに。
大阪にいった前後はいつも疲れますが、今日も疲れていたみたいで、トメさんにもちょっとむっとした顔をしていました^^;; トメさんは別に気にしてないみたいでいろいろ話をしてましたけど。

わんわんがいると、絵も描けない(油のにおいがすごいので)し、
パソコン(タワー)は壊れているし。。ので、自分の描いた油絵に、工作をして面白い形に仕上げをして時間をやりすごしていました。

私の生活圏は千葉なので、ここの土地も伝統があって好きではありますが、友人にも会えないし、やっぱりつまんないというのが正直なところです。
ホームシックみたいな感じかな。今。子供にも会いたいな。
母がしておきたいっ用事があるというので
火曜日、昨日ですが、朝から大阪に行ってきました。
わんわんの散歩までを終了させて9時に出発。
大好きな新名神も快適にドライブでき、11時30分前には到着できました。
用事をすませ、お昼を食べ、また用事をすませて、早めの夕飯をすませ、
夜7時には再度出発、、9時半前にはまた三重のアパートに戻ってきました。
わんわんの夕方の散歩は途中のサービスエリアですませておきました。

その後わんわんの持ち主である妹から電話。
いろいろ話していると夜中になってしまいあわてて寝ました。

翌朝、つまり今日は朝8時15分にアパート発。
トメさんお迎えにいってH病院へ。
11:30分にコールがあるまでわんわんの散歩などを終えておきました。
その後トメさん再度病院でピックして薬局経由でお家の送ってさようならしました。

そして
何を思ったか、今度は名古屋のデパートにおせちを注文しにいかないと^^;;
とおもってでかけてしまったら。。。
結構いろいろ楽しい買い物もしてしまいあっという間に3時過ぎに。2時間半うろうろしてました。
急いでアパートに戻ったのですがとってもつかれてしまい、
あとはわんわんのご飯と散歩でもう動けない。。。

明日も朝からわんわんの世話とトメの病院送迎。。。トメさんってほんと病院好きなのでちょい疲れます。ちなみに今日は内科,明日は整形外科、来週は眼科に整形外科です。

母は思ったより元気だったのが嬉しかったです。
私のいろんなおばか話をいつもと同じように一生懸命聞いてくれました。
ありがとね。今度はいつ行けるかなっと。


1 2

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索