っていう言い方って。。。どうもなじめないところもありますが、そういう表現になってしまうのが今の私でもあるなあと思います。

昨日は東京に住んでいる妹が次男のために洋服を買ってあげるということで、夫婦そろって時間をとってくれました。次男も大喜びでついていきました。
結局ものすごく散財させてしまったのですが、次男は興奮しちゃって^^;;
なんだか申し訳ないなら恐縮やらでした。

実は妹の飼っているトイプードルを訳あって1月弱預かることになっています。そのこともあるせいか?わかりませんが、とにかくものすごく気を使ってもらってしまった。最後は赤坂の彼女たちの家の近くにある中華料理店にいってこれまたゴチになってしまいました。ううーー。すんません。

ですので昨日はひさびさに東京に出て、高島屋、三越とまわりました。
おどろいたのは、高島屋で、商品はいいのはなかった・・ということでしたが(次男にマッチしているものがなかった)私の車で入るときに、駐車場がちょっと離れた八重洲駐車場ということだったのですが、そこには高島屋が提携しているハイヤーが待っていて、自分の車を置くと、そのハイヤーで高島屋まで送ってくれたのです。クラウンマジェスタの乗り心地を確かめられました。
考えてみればプロの運転手さんに乗せてもらうのがひさびさだなあと思いました。安心して乗れたし、運転手さんもやさしいおじさまだったのでとてもよいサービスだなあと感心しました^^

ということで、昨日は午後からはずっと出ずっぱりでした。今日は朝からまた洗濯洗濯です^^;;;
ひさびさの長男、次男はほんと優しい男性になっています^^
いろいろあったけど、最近ほんと子供の優しさにびっくりすることが多いです。

金曜日は定期的に通院しているため(実は昨年の8月に救急車で運ばれるような事件があったのです)、ついでに肩の痛みをとってもらうのに(治らなくてもいいから痛みだけおさめたかった)整形外科にいって再び薬をもらってきました。内科のほうはかなり数値的に改善したということで、お薬も加減したものに変更するとのことで、薬局では新しいものをまだ置いていないということで、病院>薬局で午後2時ぐらいになってしまった。それでもまだ用意できていないというものがあるようなので、夜にとりに行くという約束をしたんですが、、

結局肩が痛いのを薬飲んで和らげようとして夕方に飲んだら眠くなってしまい。。そのままぐっすり^^;;
夜中の2時ぐらいに起きてそれからうだうだとして結局朝4時半ごろからもそもそと起きだし、出発の準備^^
いろんな作業をして朝に出発し、昼過ぎに長男のアパートに到着したら、仕事お休みの日だったらしく寝ている姿が・・・すっかり疲れきっているようでしたが私が声をかけたら起きてくれました。
キーボードを新しくかったから見てくれとかいっていたので、見て打ったら、なんとなくカチャカチャいって昔のタイプライターみたいだねえ。。といって笑ってました。

その後大量の洗濯物を片付け、部屋の中もさっぱりさせて、お土産のわっぱ飯も食べてもらってゴミ出しして、洗濯物を駐車場まで運んでもらってばいばいです。
この日は、いつもとは違って次男の誕生日が近いので何かしてあげたくなったらしく、
大学生ならお金が一番でしょう^^という私のアドバイスで、私に渡してくれと頼まれましたので、ちょっとメッセージを一筆もらっておきました。こんなことあまり言ったことなかったんですけどね。いいお兄ちゃんだね。きっと喜ぶよっていったら嬉しそうにしていました^^

息子が社会人になって経済的にも独立してくれていることは非常に嬉しいことですね。

お土産につかったわっぱ飯
足柄サービスエリア わっぱや (上りも下りもありま、夜は9時までです)
http://wappaya.com/index.html
*持ち帰りもできますし、その場で高圧蒸気で温めてくれたものをお食事コーナーや車の中で食することもできます。すごーーーくおいしいというよりは、雰囲気ですね。横川の峠の釜飯みたいな存在です^^

千葉では次男がまずわっぱ飯目的かどうかわかりませんが、車まで荷物をとりにきてくれました。以前は、できるだけ持たない!といったせこい面がありましたが、今回は

もっと持てるよ? あとは一人で大丈夫?

などと優しい表情とやさしい声がけをしてくれるじゃありませんか。うーん。何かいいことでもあったかな?彼女でもできたんかいな?と思いつつ・・・
んで、結局まだ夏休みの終わりということもあり、スカイプしつつゲームをしている状態だったのであまり話ができなかったのですが、私も夜9時前には眠くなってごろっとしていると、

布団敷いて寝ないとだめだよ

といって布団を敷いてくれました。おおーー。なんという^^;
ということで、目下のところは嬉しく過ごしています。子供と一緒にいるといやされるって・・・数年前には考えられなかったことです。
男の子の成長にはほんとうにびっくりさせられます。
いろいろあっただけに、次男の変わり用には驚嘆します。
GReeeeN の両親への手紙 を聞いて涙する私は、ひたすらいいなあ・。。と思って聴いているだけ・・と思っていましたが、これってやっぱり。。。親になって初めてわかる貴重な思いなんだろうなと。

考えてみれば長男はもう二十四歳、次男はもうすぐ二十歳です。

GReeeeN 両親への手紙
http://www.dailymotion.com/video/x18twq2_greeeen-両親への手紙-プロフィールビデオ_webcam

かわいい子供たちはただいま修学旅行中です。どうか問題など起きていませんようにと願いつつ、ささやかな自由をゆうべから楽しんでいます。

修学旅行前日さすがにこの日はだれもこないだろうと夫と高をくくっていて、期末試験の答案がかえっているはずなのでどうだったかな?などと話をしていると、次男からお迎えきてきてコールがありました。迎えにいってびっくりしたのは、3人ほどぞろぞろ次男にくっついてくるではありませんか。よっ!元気?てな感じで挨拶したあと、ちょっとまさかうちに泊まるの?っていったらみんな元気には~い!よろしくです。ですと。

急遽夫に電話をいれたら、じゃあチャーハン作っておくよ。てな感じになって、いつもと変わらず楽しく車の中からワイワイがやがや。もっぱら期末試験の話題で、R君は前回期末の公民が7点だったらしいのが、なんと67点だったらしい。ちょっと・・・というかかなり気分よかったでしょう?先生なんていってた?っていったら、へへって笑いながら勉強ってやればできるんだって思った。と言ったのです。

彼ほど熱心ではなかった不登校のM君も不登校しているのに33点とれたといってはにかんでいたので、もうちょっと覚えておけばよかったって思った?っていったら、うんって笑ってた。まぁ今回は時間がなかったからあまりできなかったけど、でもやれば絶対に点数とれるでしょう?次もがんばろっか!っていったら、盛り上がってました。

いっぽうで夏休み毎日やるよといったらテンション下がっていたので、あはははみたいな感じではありますが、これはこちらが根気強くやらせるしかないなぁ・・という感じですね。


家に戻ってからご飯をたべゲームやら話やら一緒にしていたのですが、23時ごろにすでに一人寝入った人が出てきたのですが、残りの次男を含めた3人の目が堅い!ですから、ちょっと拒絶されるかも・・と思いつつ、眠くなるように本を読んであげるといって語源の本というのを読みきかせしてみました。案外のってきてくれたのですが、逆にのってきてくれてしまったために、みんなの目がさえてしまって失敗!
結局最後の一人が寝たのが朝3時ごろで、4時半にみんなを起こして夫がおうどんをつくってくれて、足りない子にはパンを食べさせて、車で駅まで無事送ってきたのが昨日の朝なのでした。

昨日の夜から今日の今までのんびりとさせてもらってます。まるでおばあちゃんが言った言葉そのもので、くるもよし、帰るもまたよしプチワルちゃんたち・・・てな感じでいます。

体力的にきつい部分はありますが、とにかく1ヶ月前にこのような生活に戻れるとは誰が想像できたでしょう?
ほんとうによかった。

夫は昨日、こういう世界をまざまざと体験できるなんて想像もつかなかった。理屈ではわかっていた彼らの世界は、案外悪いものではなくって、彼らの素直な面や勉強への前向きな姿勢もとてもいいと思う。って理屈に偏り勝ちな夫の心からの意見をきけたのでした。

今日はもうすぐ長男の学校にいきます。というのも長男の下宿生活が終わりになりますので、届出をしなければならないのですが、本人確認が必要ということで首かりていきます。ついでに夫と三人でご飯をたべてこようと思います。


あ~。静か・・・・。でもこれこそ不自由の中の自由・・幸せなんだと思う。
25日、26日と期末試験があり、無事次男は受けてくれました。
もともと5月いっぱいで・・急いでY中学校から転校させた理由には、中間試験を受けていなかったので、期末試験を受けなければ全教科1になってしまった高校受験のときに大変なことになってしまう・・ということであった。めまぐるしく変わっていったこの1ヶ月の環境の変化でありましたが、無事乗り切ることができてとにかくうれしい。

今回の期末試験は私も一緒に勉強していたようなもので、子供だけでなく私も知恵熱がでそうだったけれど、塾に通っていない次男にも次男の友人たちにもちょっとは役に立っていればうれしい。でも実際のところはほんの一部だけしかできなかった。夏休みはもっと根本的にキャッチアップできるようになるように毎日するしかないですね。

期末試験の最終日、金曜日は夜長男の演劇を観にいく。今回清盛と俊寛の役をいただけたということで、大いに期待?して妹にも一緒にきてもらったのだが、非常にアングラというか、奇想天外といいましょうか・・不思議な世界を見せてもらったように思う。次男も案外楽しんでいたようで、夜お食事会のときは、なぜ主役をもらえたのか?という問いなどをしていた。

俊寛僧都の話を母から聞いていた妹は、圧巻が最後の瞬間の叫びだから、そこをどう長男が演じるかと楽しみにしていたらしい。ところがこの劇は、琵琶法師の話(つまりは平家物語)否定説?をとっていて、最後は違う人が島に残るという結末になっていて、その雄たけびは俊寛が行うのではなかったのです。


で・・妹はアンケートで「意外な結末にびっくり」なのでした。


劇のあとに長男も含めてお食事会をしたのですが、私はもう眠くって、寝ながら参加してました。車で運転して帰る途中、どうしても眠くなって事故を起こしそうなきがしたので2時間ほどPAで眠ってしまった。家に帰ったのは2時になっていて、それからみんなが寝て、本日も朝からお出かけ



今日は次男の希望するI工業高校の学科説明会があったのです。定時制のほうにいきたいというR君もさそって、急ぎ向かいました。骨折がほぼ直ったので私も自転車にのって駅まで向かいましたが、今日は暑かった。

I工業高校をなぜ選んでいるかというと、ここが県内唯一建築科があるのです。次男が大工さんになりたいとのことですので、ここをWEBで探したわけですが、説明などを聞くとなかなかよい学校です。今日説明してくれた先生などが積極的に大学と組んで研究をしているようで、出前出張でN大の現総長が講義をしてくれたといった話もしており、また就職についても、1学年の半分が就職するのだけれど、普通科の学校と比較できないぐらい、多くの求人があり、1000社ぐらいくるとも言ってました。仕事内容も、普通科の学校が非正規社員としての求人が多いのに比べて、正規社員が多いということもおっしゃっていました。説明を聞く限りにおいては、とっても興味を持てる学校で、私もいきたいぐらいです。

次男も最初は私がうなずいたり、おぉ・・などといったりするのをウザイとかウルセーとか小声で言ったりしてましたけれども、最後のほうには自分も集中して聞いていたようでそのようないちゃもんはつけなくなってました。

やはり専門性が高い学校というのはいいなと思いました。具体的な将来がはっきりと見えるのです。


ただ、先生の主張としては、どとのつまり工業高校の昔のイメージであるヤンキー集団みたいなものを払拭したい。まじめな学生を求めているので、茶髪やピアス、服装など自由にはできないので、そういうのを求めている人は来ないでくれとのこと。


逃げに走る次男は、定時制なら自由だから・・みたいなことを言うので、定時制のこわさ・・・つまりは定時制は通い続けることが大変だったり、単位制で取得するにも普通に通って4年・・・ということもあって、すぐに仕事につきたいと思っている次男には逆行しているなど、いろいろいったのだけれども、はたして・・。ピアスやバイク通学をしたいから定時制にしたいっていうのは本末転倒じゃないの?といったら、それだけじゃねーよ。バーカ!みたいな感じの次男・・相変わらずです。


きている子はいろんな感じだったけど、まゆげが細いとか毛が立ってるとか、まぁ似たような感じでもありました。みんなそれなりに真剣に話を聞いていたところ、やはり先生の説得力というかプレゼン力は、普段の授業への取り組みの高さを示していて子供たちにも伝わっているなとも感じました。


まぁ・・先生もおっしゃっていたけれども、いいところばっかりを先にいってますが、悪い面もありますよ・・・てな感じの話もあって、そだろうなぁ・・・って聞いてました。でもまぁ・・私的にはものすごくおもしろかったし本気で定時制に通いたいと思ってしまいました!でも、次男と定時制に通ったら、私のノートとか移すんだろうなとか?変なこと考えたり・・・。でもああいう勉強できるの、ほんといいなぁ・・って思う。うらやましいです。


家に戻ったらもちろんバタンキューでそれをわかっていた夫が洗濯とかいろいろしてくれてました。ほんとまじめなだんなさんです。ありがとね。


明日は次男の友達をつれて長男の演劇また観にいきます。彼らは登校拒否とかプチワルだったりするけれど、知的好奇心にもあふれていて、長男の演劇の話をしたらすぐにのってきたのです。どういう反応をするかが楽しみでもあります。



ふう・・・とりあえず、次男はギターの練習に今行きました。明日演劇にいって、1日おいたら次男にとっては二度目の修学旅行になります。また京都、奈良ですけどね・・・
ウツから脱却した今は、とにかく前向き志向でいこうと思う。レベル云々は別として、期末試験を前に、相変わらずワルたちが集う我が家ですが、昨日も夕飯前から21時半ごろまでにかけてずっと勉強を教えていた。私自身少し自信のある中学の公民を夫に補填してもらったり、問題集から拾ってきた予想問題に助けられながらですが。私が一貫していっているのは、文章を読むときにイメージしながら読むことと、丸覚えするよりも問題を作って部分部分の大事な言葉を覚えて、結果覚えるというやり方をすること。それから社会、理科は漢字の練習になるし、語彙も増えるのでノートに書きながらやること。これを言いつつ、教科書を中心に私が作った問題を読みながら進めていくという形。まだ公民しかできていないのですが、今日から理科をやっていこうと思います。今から問題集を買いに行きます。先生にお願いして教科書名を教えてもらったのですが、今回は全ての教科に対しては間に合いません。

不思議なのだが、今新しく来た子が勉強していることに関心をもったとき、もちろん同じことを教えてあげるのだが、雑談を通してどこの高校にいきたい?って聞くとみんな具体的な高校を1個だけあげる。あそこの中学はすでに子供たちに高校を割り振っているのか?てな感じ。それから私は大阪の公立育ちなのだが、たしかあの時代は1つの中学校でいける高校の人数が安定していたように思う。ところがこの中学の進路先を見ると、どう考えても上位校にいっている人数が少ない。市が学校選択性をとっているということを考えると、学校のレベルによって市全体で割り振っているのではないか?と思ってしまう。ちなみにここでも全国模試地方版みたいなことを年何回かやっている。これが各学校のレベルの基準になっているのでは?と憶測。

昨日次男が、テスト前2週間?(3週間?)の予定表なるものを私に見せた。ほんとうは次男が勉強スケジュールを書き入れていくはずなのに、当然白紙!目標は「平均以上をとる!」oops! ちゃんとやれや!

でも、私が他の子を教えていると、今まではかあちゃんなんかに教えてもらうもんか!だった子が、素直に教えられている。記憶力はいいのですぐに覚えることはいい。漢字も案外わかっている。ヨルダンで基礎勉強をさせておいたのが今実っているのだなと思うと安心もする。


ただ相変わらず勉強なめとんのか!てな感じではある。くしくも昨日きた新しいお友達は、なかなか厳しい姿勢を持っていて勉強は自分でやるもんだ・・とか、そんな覚え方だと原付免許でさえとれない。といった親てきな発言をしていた。彼自身、私が他の子に公民を教えているとき、ずっと聞いていた。すごいねって言ったら、やるときにやっとかないと。と言っていて、なかなか気概のあるやっちゃと感心。遅くなったので親に電話しておいたら「はぁ?」みたいな反応の母親だった。彼には親とはいつもどういう約束をしているのかを聞き、今度遅くなるときはちゃんとメールしようねという話をしておいた。


8月いっぱいで長男を自宅に戻し、今度は私と龍忍で二人暮らしを市内のアパートを借りてするつもり。今の状況はヨルダンの状況と同じなのですが、夫の居場所がなくなって寝室にとじこもっりぱなしであるため、夫が疲れ気味。お互いのために止む無し。長男も快く「はーい」というメールのお返事。彼は今は別世界で楽しんでいるからね。

長男の演劇公演が始まる。それにあわせて、今いる子も、龍忍の兄ちゃんの演劇みてみたい!ということで見に行くことにする。大人数いても一人でも交通費は車だから変わらないのはいいね。


非常にあわただしく変化をしている毎日。

現況は、龍忍の友人が我が家に結集するようになってきて、毎日にぎやかに過ごしている。反面、虎男との関係が疎遠になり、複雑な気持ち。

実は龍忍の友人の一人にこの中学校でのキーパーソンがいるのである。いわゆるワルを収めている人物なのだが、あってみるとこれが実にイイヤツで、私は気に入ってしまった。夫もそうで不思議な魅力をもった男の子。ただ内に秘めたるパワーを感じる子ではある。勉強も熱心で前向きで、思いやりもあって、この中学の一番隊長は彼で、彼がいるからこの学校は今安定しているというのがわかりつつある。

全般として彼らとのつきあいを通して、龍忍が学校をかわりたかった理由がみえてくる。彼はこういうつきあいをしたかったんだな・・って。非常に素直でざっくばらんでいろんな意味でウェルカムな部分をいろいろと持っている彼らには、私自身も安心を感じる。実はY中の子供たちは、いつも寄っていこうとしても拒否されていたところがあった。それがまったくなくって、屈託のない表情を見せてくれるのが彼らなのだ。
うん・・龍忍の行動は間違っていなかったなぁ・・と納得している毎日。夕飯を作ったり、勉強をみてあげたり映画に連れて行ったりと忙しい毎日ですが、私もなんだか息を吹き返したように元気になりつつあります。もちろん精神的にね。

もうすぐ期末テスト。
期末テストに間に合うように、学校に復帰させたいという私たちのささやかな龍忍に対する願いはなんとかかなったようです。

5月31日付でY中学校は退学。6月1日付で市内の中学校(次男が希望する)に転学させた。
6月2日に手続きをし、4日つまり昨日から登校。

前回の日記では客観性に欠ける内容だったので、今思うことを列挙。

Y中学校について
公立の中学校にいって、再確認したこと
①授業数が多く、カリキュラムが充実
②しつけその他はやはり厳しい
③生徒に対して親身になってくれる先生が多い

公立中学について
①授業数が少ない。カリキュラムもゆるい。次男は1ヶ月抜けたのだが、友人に中間テスト(公立の)の数学をやったら、できたという感想だった。このことにはびっくりした。
②校則については、守らなければならないことはもちろんあるが、靴、靴下、その他Y中学校と比べて楽な部分はやはりある。
③自宅の学区とは違う学区の学校に通わせているのだが、比較的学内安定している。

Y中学での最後はとても残念だったけれど、もう忘れよう。それだけじゃなく、学校としてやってきてくださったことには、とても感謝している。それなりにワルっぽい学生を信じてくれる学校ではあったと思う。あとは先生の技量の問題であって、次男との相性の問題だけだったのだ。


公立中学への転学手続き初日、学年主任、生活指導、あと赤シャツっぽい先生がいたのだが、龍忍がズボンのぼたんをはずしてだらしなくしていたのと(これはかなり注意したのだが結局聞かなかった)、ピアスをしていたこともあり、諸先生方、えらい生徒がきてしまったと物々しい初対面となった。あきらからに困惑した様子で、退学してきた理由も、きっと悪いようにとったに違いないという感じ。私もついにワルの親になったか・・とこのときはもうすでに苦笑するような気持ちにもなった。話の論点は何をいっても学校側はこうしてますといった主張の繰り返しでこちらのことは全部悪いようにとっていた。


一通り説明をうけ、かえるときも冷たい視線を感じながら帰った。
翌日、学年主任の先生と電話で話し、こちらの情報をさらに追加した。


昨日、初日校長先生と会う。思ったよりもちゃんとした先生だった。話をよく聞いてくれたのと、それから、最初の一言が

「お母さん。学校を変わらなければならなかったということは、大変なご苦労をされてきたのだと思います。」

からだったことに、安心をした。


この日は、朝、龍忍の友人、虎男(仮名)を朝さそって龍忍は登校しようとしたのだが(二人で学校に行くというのが約束だったので)残念ながら朝は無理だった模様。私が急遽車で迎えにいく。龍忍については、ちゃんと学校との約束(ズボンのボタンをつける、ピアスをはずし絆創膏をはる)を果たしていったことで、学校側もちょっと安心したような感じ。それでも職員室から出る先生方の眼はいちおうに「あぁ・・・あいつか」てな感じで期待通りの反応だった。学年主任の授業が最初の授業だったようで、校長先生が授業見学の案内をしてくれたのだが、どこにいるのかわからないほど、浮いていない感じでおとなしくしていた。親との約束は、とにかく学校にいくこと、学校では授業中ノートを必ずとることなど、としているのだが、それはちゃんと昨日はしていた。

途中学年主任が出てきたのだが、その時点で安堵の表情が眼に現れていた。そして「もともとのポテンシャルがあるようですので大丈夫そうですね。友達もいるみたいで、なじんでいるみたいです。」と明るい口調で話をしてくれた。人間の表情って変わるもんです。


記憶力がいいので、友達の名前、先生の名前はすぐ覚えますし、仲良くなろうとするタイプですから、輪を広げようとすると思います。ただ、それで失敗することも多いです。とだけ言っておいた。


途中、龍忍といっしょに家庭科室で待たされたのだが、そのとき、次男が突然かけてあった雑巾をもってドアに近づいた。そのとき用務のおばさんが窓のそとから、こことここ、てな感じで指を差して龍忍に窓を拭かせていた。龍忍は素直に窓を拭いて、そして雑巾を元の場所に戻した。その光景をみたとき、なんだかすごく温かな気持ちになった。ささくれだった気持ちに光がさしたみたいに、龍忍に対して穏やかな心を持った。

あとでこの用務のおばさんに声をかけた。お花をいじっていらしたのだけれども、龍忍のことを先生と間違えたらしい。でもこのおばさん(先生っていうべき?)だけは、最初から龍忍を偏見なく見てくれたんだな・・って思って名前を伺った。馬鹿な私はせっかく伺った名前を忘れてしまったのだけれど・・・。


虎男は、昨日ちょっとしたトラブルがあって朝5時まで外に出ていたらしい。龍忍が迎えにいったとき、まだ寝ていて「あいつ起きねー」といってがっかりしていた。私もちょっとがっかりしたのだが、お昼に来たらしい。彼としては、1年ぶりの登校で、龍忍との約束を守ってくれたんだってうれしくなった。龍忍には、彼は今学校にくるというのは、つらいと思うよ。だから毎日誘ってあげな。と言った。虎男は、髪を染めていたら学校に入れないということで、帰されたらしい。学校には、虎男も龍忍も途中でなにかあって帰宅させるときには私に連絡をくれと伝えてあったのにしてくれなかった。彼が断ったのかもしれないけど。(お母さんには了承済みの件)

朝、龍忍が虎男に電話をしてちゃんと起きているのと、髪を黒く染めたということを確認。夫と一緒に安堵する。虎男も龍忍との約束を守ろうとしているんだなって。非常にうれしい。二人ともがんばれって思う。ワルしようと企てているのかもしれないけどね。


龍忍は、昨日さすがに疲れて、ギターの教室に1時間ほど出たあと、ぐったり寝てしまった。新しい制服、あたらしい体操服を洗いながら、次男を取り巻く環境がすっかり変わったことを再確認した。




お弁当を毎日作っていたのだが、ここの公立の学校は給食。先生によればまずいらしいが、とりあえず栄養ちゃんととってくれよ。








相変わらず次男はふらふらとした生活をしている。いわゆる不登校。
まわりからみたら、あんなおにいちゃんになってはいけませんよてな感じのワルになってきている感じもある。

彼が帰宅したりしなかったりしている間に、いろんな情報を集めた。夫は精神的にかなり打撃を受けていて・・というより優等生でやってきた彼には次男の素行が理解できないうえに、もう心配で心配で仕方がないという感じ。
保守的な人間は保守的に戻らざるを得ない分、フレキシブルには考えられないのだとおもう。私は違うタイプの人間なので、次男の立場になって考えている。


彼と話をちょくちょくできるようになったことは幸い。話をしている中、私も気がついた部分があった。彼はもともと人間が好きで、ざっくばらんにおどけて暮らしながらも、本音でつきあいたい部分をもってる。それは私の友達と私との関係、それから夫と私、家族の中での関係がそうあるからだとはおもうのだけども。


彼がいた中学校の同級生で彼が腹割って話せる人がいないといった。みんな本音で話をしないという。それはよくわかるような気もする。それは私が今の同級生のお母さんとも表面的なつきあいにならざるを得ないような関係であることに共通する意識だからだ。子供は親を見て育つものだものね。


彼が今の生活、友達との関係を楽しく感じるのは、そこだと思う。次男が私に言った言葉のなかに、虎男(仮名。次男の今の一番の友達で不登校でワルだが、いいやつで本音を話せるという中学3年生)のお母さんにあってみてよ。きっとお母さんも気に入ると思う。といった言葉があった。これが彼の本心なのだ。家族でなんでも話ができる環境。そしてお母さんも子供の声を腹を割ってきけるというのが、彼の一番の望みなのだと思う。


今まだ腰の骨折が治りきっていないので、車に乗るのもこわい。今日はちょっとためし運転をしてみようと思う。もし大丈夫そうであれば、虎男のお母さんと話をしてこようと思う。



結局のところ、人間関係。自分の求める友達と、彼の学校での友達とのギャップがありすぎた。それは学校が生徒をとてもよく管理しているのからも、今になってわかるような気がする。それはどうしても自分自身を抑えなければ生きていけない生活環境であって、子供にも二面性を持たせることになってしまう。それがよくあわられていたのが、今回の次男のクラブでの出来事だと思う。


事実として記録しておけば、バスケットというのはレギュラーは5人。背番号?は4番から始まって8番までが試合のレギュラーナンバーなのだが、これは試合前に、彼らの普段の行状や成績などを含めて前日にもらえるようになっている。つまりは、一生懸命練習してきても、素行が悪く、とくに直前に問題のある行為をした場合は、技術的にはうまくても二桁番号になってしまうということ。

この番号をおろされるというのは、私も知っていた。だから、次男が遅刻などをしたときに、番号が下がったことを泣いて怒ってショックを受けていたときにも、このようなことにならないようにしなければならないと心したりした。だからこそ8番をもらえたときの彼の喜びようはすごかった。私たちも喜び、そして期待して試合を見に行った。

ところが、実際には番号をもらえただけで、試合の出場の具合は今までとなんの変わりもない。一方で番号が落ちている子供たち(実際に何日か前に問題を起こしたらしい)がいつもと同じように出ている。


学校側に今まで確認をとり、そして前任の顧問の先生とも話をしたのだけれども、結局それは別にかまわないというのが、学校の回答だった。


そうだろうか・・。



私は今でもこのやり方について非常に憤慨している。部活というのは、日本独特のシステムで、私は外地生活をして部活というものがひょっとしたら日本の子供を強くしていくんじゃないかと思っている面もある。次男は耐性にかける人間というのは事実だけれど、彼としては、窮屈な学校生活にも我慢をしつつ、外地でなまった体をはじめてバスケットボールを通して鍛えつつあった。その集大成として、この連休と夏の試合に彼はかけていたのだ。

ところが、どうだろう?せっかく手に入れた8番は有名無実。ただ素行のご褒美として与えられたもの。
そんな8番ってなんの意味があるんだろう?

また、耐性のない彼ががんばってきたことで得られるものって、結局この有名無実な8番だけだったということなのか?学校は8番がもらえただけよかったんじゃないか?てな話を夫にしたらしいが、そんなコメントは私は反吐が出そうになる。なんじゃ?それはいったい?それが厳しいスポーツの世界の中で許されることなんか?


結局そんな8番なんてないほうがいい。補欠は補欠のままでいいのだ。補欠が補欠でいられるのは、がんばったらレギュラーになれるかもしれないということであり、そして補欠でもがんばれることがあるということ。その自分の中の小さな栄光でさえ、踏みにじるような環境になぜ「がんばって続けなさい」ということができよう?


先日この8番のユニフォームを学校に郵送した。ユニフォームをみて、これがきっかけだったし、このことが学校を象徴しているんだな・・と複雑な気持ちになった。もらえただけの名ばかりの8番。8番をもらえたからといって試合に出れるとは思うのは本人の意識が間違っています。それはこれからもそうです。そう顧問の先生が言った言葉がよみがえってきて、くやしくもあり、悲しくもあり。


そんなクラブやめちまえ!お前は間違ってないよ。そんなケチな学校は辞めてしまえ!


Y中学の生徒はがんばっているのだと思う。この不条理なシステムを受け入れながら。不条理なことは世の中いっぱいある。だけれども、次男の言うところの、大事にしたいことというのは、人間としての基本部分であると思う。どんなにひどい環境にいても友達と援け合えることが勇気を持てること。彼にとっては、この不条理と闘える友達でさえみつけることができなかったことが不幸であり、今の彼の苦しみであり、今の素行の結果なのだと思う。



癒す期間は必要。甘えるだけなら無用の期間だけれど、彼の思うところの将来がそこに見えるのならば、ゆっくりと時間をかけてみてほしいと思う。


近回りできる人間もいれば、遠回りしなきゃいけない人間もいる。次男は私に似たのだろう。でもその遠回り、私は応援してるよ。
昨日、次男の部屋を掃除した。だらしなく勉強グッズが散らかっていた2年次に比べて、彼の勉強道具はきれいに並べられていた。彼の3年になった当初の意気込みが感じられて、そしてそれがはるか昔のことに感じられて複雑な思いになった。

いつ次男が帰ってきてもいいように、いつも在宅するようにしている。買い物はすべて夫にお願いしていて、私は一歩も外にでない。

今日はいつ戻ってくるかなと思っていたら、午後3時ごろふらっと戻ってきて、8度5分熱があるといってダルそうな顔をしていた。風呂にも入らずにそのまま寝てしまった。非常に熱があったので、よく寝なさいといってそのままそっとしておいた。

私も昨日は体がダルくって、夜7時には横になってしまった。夫も私も最近精神的に疲れているせいか、なんとなく体まで疲れているような・・変な状態。ふっと起きると夫が隣で寝ていて、夜中の2時だった。次男の様子を見に行くとものすごくしんどそうで、おでこに手をあてると燃えるように熱かった。それから夜通しおでこのタオルを交換して看病する。

左の耳にピアスをあけてきたので、「簡単にとれる?ここが熱をもってしまったらこわいから、はずしてみて」と言ってとってもらう。消毒して抗生物質を塗って絆創膏をつけておいた。
ピアスは夫が猛烈に嫌がっているのだけれど、仕方ない。私は鼻とか唇にはやめてねと言ったのだけれど、それは彼もわかっていて、左耳だけにするって言っていた。ピアスも消毒しておいてガーゼにくるんでおいておく。

今木曜日の昼になっているのだけれど、なかなか熱が下がる様子はない。昨日はもしかすると39度2分とかそれぐらいあったんじゃないかな。頭痛はしないといっていたのでちょっと安心してはいるのだけれど、ちょうど豚インフルエンザもはやっていることもあるし、私の怪我もまだ完治していないので車にのせることもできない。

しばらくは家にいてくれる。それだけでも安心できる。彼の体とか健康が一番心配。戻ってきてくれてよかった。いつも彼が家に戻ってきたら心地よく過ごせるようにこれからも準備しておこうと思う。


ふぅ・・・。疲れてる。でもまだまだこれからなんだと思う。長くかかることも考えてる。学校の先生には毎日連絡をしている。記録をつけているのだろうか。妙に細かに次男の状況を聞いてくる。学校としての部活の件の対応を聞いてみたら、副校長先生が話をしたいと言っているとのこと。土曜日夫にいってもらうことにする。私は先日座薬を入れていったのだけれども、案の定帰ってきたら腰の具合が悪くなっていた。タクシーでいったのだけれども、今回は夫にお願いすることにする。

今日は、私・・何時に寝れるかな・・・
いろんなことが頭によぎってしまい、一昨日から昨日ほとんど眠れなかった。ゆうべやっと夫と一緒に寝ないとね・・・といって8時間眠る。

ずっと不規則な生活をしてきたのだけれど、ここのところの疲労困憊は結構つらいな・・と思う。精神的にかなりの疲弊を感じる。昨日も夫が帰ってきてから、しばらくしたら涙が止まらなくなってしまった。お母さんも泣くな!といった次男の言葉がよみがえってきて、また悲しくなってしまったり。

いけないよね。こんなことじゃ。強くならないとね。体の中からもっと湧き出てくる強さをもたないと。ともすればフラフラになってしまう精神・・・。腰の怪我もまだ完治できていないせいかな。力がでない。何かを見つけないといけないんだと思うのだけど、それに向かう自分を取り戻せていない。


今はただ耐えるしかない。次男との生活・・・次男を見守るという生活がひたすらつらい。なんとかしなきゃいけないんだけれど。


次男は少し体にジンマシンが出てきている。急激な環境の変化と、体に悪いことをしているせいでもあるのだと思うのだが、それがかなり気になる。もちろん次男にも言っているのだけれど、なんともならない。健康だけが心配なのだよと・・。ゆうべは7時ごろにふっと戻ってきた。お風呂に入りご飯を食べてそれからほどなくしてまた出て行った。夕食だけでも家で食べてほしい。何より栄養面で心配。そのことを彼も理解してくれているのだと思うからこそかえってきてくれるのだと思う。そう・・・。


家族も心配してくれている。ごめんね。でも乗り越えなきゃね。
龍忍は、ときどき家に戻ってくる。そのとき二人で話をする。以前はまったく私の話を無視していた彼が、心を開いて話をしてくれているのが、今の私にとってはかけがえのない時間。

彼の今の環境は、一般的にはひどく悪い状況なのかもしれない。でも、幸い私は彼のことを一般的な常識からははかっていない。世間的なことはちっとも問題ではなく、彼の気持ちがどうなのかだけが焦点。そして彼の健康がもっとも心配であり、彼の人への気持ちがさらに心配。

たとえ1年2年、いやもっとかかろうとも、今じっくりといろんな意味で勉強してほしいと思う。学校に行ってないことで逆に得られる世界もあろうし、それを恐れる気持ちもあるにはあるけれども、今の彼の言動、行動を通してそんな中にいても自分なりのルールをもってすごしている彼に敬意を表したいと思う。


死ぬことばかり考えた親がそばにいたときの彼の気持ちなぞ、ちっとも考えていなかった。今の彼を作り出したのは、学校だけじゃなくって、私も、そして夫も、そして今までの生活も関わっているのは確か。


この間話をしたときに、彼に「つまんないワルにだけはなるな。自分のルールを守って、仲間を守れるあなたでいなさいよ。強くなることがどういうことなのかを考えてね」って言ったら、頭の中でなにか考えた様子をみせ、そして私にこういった。


「母さんももう泣くな」


長男の受験が終わり、お兄ちゃんとの関係においても見放された気持ちになって、それは修復したにしても、きっと遠いところにいってしまった気持ちは残っているのだろう。父はまじめすぎるといっていた。自分にとって身近な存在がほしいこの時期に、私との関係も冷め切った。彼がよりどころにしていた担任も3年になって変わってしまった。友達関係も表面的には明るく、クラスのムードメーカーとして張り切ってしまう彼だからこそ、バスケでのことをきっかけにして、自分の孤独を強烈に感じたのかもしれない。そして、新しい人間関係を今必死で求めているのだと思う。


後悔しても始まらないし、どうにもならないことだけれど、彼にとって私はヨルダンでの生活などを通してもっと強い存在なのだったと思う。自分自身を振り返ってみても、迷いなくどんどんと思うところを突き進んでいた。そういう親が一変して、ウツになって、弱いところばかりが目立ってきて・・・。彼にとっての母親という存在を今強く感じる。もっと自分が強くならなきゃ、彼は決して歩み寄ってこないだろうな・・と。


今実は少し怪我をしていて、外出がままならない。車でさえ乗れない。この怪我がよくなるまでに、これから私がどうすべきなのかをよく考えて、彼といっしょに乗り越えていこうと思う。
明日学校に夫とともにいく。
私は今ちょっと怪我をしているので、ほんとうは夫だけに行ってもらおうとしたのだけれど、龍忍と話し合う機会があり、そのときにほんとうの彼の心の内を知ることができた。それを学校に伝えに行かなければならない。夫と何時間も何時間もその話をした。疲れきって寝ている夫。


私は学校教育ではかなり苦しんでいた。今の学校教育、先生や幹部の学校を支える教頭、校長を見てきて、ついでに教育長も見たりしてきたけれどいろんな意味で最終的には公立の学校には何ひとつ期待はできないという結論を得て、受験勉強させていなかったのにもかかわらず私立中学に入学させた。この学校は学校のありかたなど非常に好感がもてるものがあり、また1,2年の担任の先生、それからバスケット部のコーチの姿勢なども感服するものを感じていた。しかし、ここにきてバスケット部のコーチが変わってしまったことで、一変。

龍忍のすべての行動のきっかけとなったのはバスケ部で彼が受けた心の傷。それはスポーツをしてきた私にはあまりにもひどい指導方法であって、それが学校としての方針なのか、それともコーチ一人の指導なのか・・そこを実際にコーチである先生と電話をし、担任の先生にも電話をし、そして去年までいらした先輩のお母さんにも以前のコーチとのやり方との違いを確認した。

そして担任の先生に再度学校としてのありかたを聞きたいということをお願いして、明日教頭先生を含めた形で会うことになっている。



ただ



このコーチの問題は、あくまで龍忍の学校への絶望感のきっかけとなった事柄であって本人にとっては問題はさらに根が深い。つまりは、学校の友達とのこともサジを投げた状態なのだ。


私はわかっていなかった。
龍忍はとても大切なことを求めていたことが。




今はそれを心から理解している。
だから、明日私は学校にいって、龍忍がどう思いながら学校に来ていたのか。そしてどうしてこんなに急速に学校に対して絶望し、登校することを拒絶し、そしていまいっしょにいる友達をただ一人の友達と宣言しているのか、それに執着しているのか。それをもって、学校と話し合いをしてくる。




今の正直な気持ちは
私たち家族のこの大切なメッセージを
ちゃんと拾ってくれ、対処を学校として考えていき実行できる
底力のある学校であるということを願ってやみません。

回想

2009年5月15日 家族・子育て
ときどき夜ベランダに出て星をみる。
ヨルダンにいるとき、お月様をみて、はじめて、星とは異なって月の形はどこの世界にいても同じなんだと気づいたことを思い出す。

でも星をみるといつも思い出すのは父がなくなる直前の父の話。父は私がヨルダンに駐在した2001年の翌年の8月になくなったので、もう8年前になるのに、私にとってはまだほんの少し前の出来事。以前どなたかにピーターさんってパパっ子だったんだね。っていわれたことがあってそのときにはなんとなく違和感を感じたのだけど、今はそうですと笑うしかない。

父がなくなるまえ、私は恥ずかしげもなく寝ている父のそばに添い寝して、父の手をさすったりした。父の痛みを和らげるなんてものじゃなくって、父の感触を私が確かめたかっただけで、そうすることで自分の心を慰めようとしていたし、父と接していることを実感したかった。私はあまり親に甘えるタイプではなかったので、父のそばに寝たという記憶もなかったので、このときには完全に(子供ではなく)赤ちゃん返りしていた。

そして父におかしなことを何個か質問した。人には笑えることだけど私には真剣だったのだけど・・。ひとつは父に「ねぇ。。パパ(といっていた)は三人の娘の中で私が一番好きだった?」そうしたら父はこういった「俺は娘には常に平等に接していたよ」そう答えるのはわかっていても、ピーターちゃんが一番かわいかったよっていってほしかった。馬鹿だね。私。

そして、次にいった言葉は、「死ぬのは怖くない?」

たしかそういう言葉だった。今考えてみればおそろしいことを聞いたように思う。でもあのときに私は、「死」への今の父の気持ちを聞きたかったのだ。父はこういってくれた「死ぬのはね。怖くないよ。それはね。天に星が瞬いているのと同じように自然なことなんだよ。おばあちゃん(父の母)もちゃんと死んでいったんだ。だから俺も死ぬのはこわくないんだよ」





星を見るといつも父の言葉を思い出す。父は死と向き合わなければならなくなったとき、私とすごく話をしてくれた。たまたま夏休みにはいって私が駐在先から戻れたこともあって、すごす時間が長かったので、いつも夕食のときに話を二人でした。父は何気ない話をしているときに、いつも涙を浮かべてそっとふいていた。その涙を隠すわけでもなく、さりげなく。

父には主治医として尊敬する同じ大学出身の先生がいた。その先生に、父はガン告知されたときに、死を受け入れられないことを伝えたらしい。そのとき先生は、「あるがままに生きなさい」といわれたと私に話してくれた。父はあるがままを受け入れることをはじめて認めることができ、その気持ちが私への先のメッセージになっているのだと思う。

たぶん、その言葉によって吹っ切れた部分があったとともに、自分の親の死をみつめ、あるいは自分の生きてきた道をみつめ、いろんなことをいっぱい頭にめぐらせていたのだと思う。




父の死後、2ヶ月ぐらいだったかな・・。ヨルダンに戻り落ち着き始めたころ、夢をみた。なんと父が出てきた。父は、地下鉄のプラットホームにいて、背広をきていてかばんをもっていた。そして私はのんきに「あれ?どうしたの?何してるの?」とたずねると父は「書類を忘れたから取りに来た」といった。そしてそれからどうなったかは忘れてしまったのだけれども、父と別れてから夢から覚めた私は、たまらなくなって、夫に抱きついてオンオン泣いた。ほんとうに、急に起こされた夫がびっくりして、私をあかちゃんのようにさすってくれて、大丈夫か?大丈夫か?っていってくれた。私は夢にパパが出てきた。パパがこんな話をしたと言って泣きじゃくって泣きじゃくって・・・


そして、
私は泣きながらこう思った・・。結婚していてよかった。私には夫がいるんだ。もう私にとって父性を感じられるのは夫だけなんだ。


夫のあたたかな気持ちは、私のなきじゃくりをおさめてくれ、私は眠りについたのだけれど・・




こう書きながら、私ってなんて馬鹿なんだろうと思う。だけど、これが私で、今の私も同じなのだ。



今日も夫と次男のことについて話をする。話をしながら、私は夫の些細な言葉が体にナイフのようにつきささるのを感じて、泣きながらどうしてそんな言葉が言えるの?私は死ぬことばかりを考えてきて、あなたには迷惑ばかりかけてきて、でもでも、それでも今は次男のために生きなきゃいけない。自分ががんばらなくては、次男もくじけてしまう。だめな私を鼓舞するのが精一杯で、あなたのことはぜんぜん考えられない自分勝手な人間なままだけど、それでも一生懸命生きなければならないって思っているのに、そういう言葉をきくと、くじけてしまいそうになる。


そんなことをさらにどうしてあなたがそんなことを言うのか、くどくどくどくど説明を重ねて、自分を納得させるべくジタバタとあえいで、夫につっかかる。困った夫の顔、そんなふうなつもりはないと言っても、さらに、追求していく。私の思っている気持ちを全部吐き出しながら、自分は馬鹿だ馬鹿だと思いながら、それでも話を続けて、また泣いて、そして、空虚な気持ちを感じて・・それでも次には、次男のためにしっかりと立て直さなければならないと、もう・・・自分のことばかりいって・・



わかっているのだ。
自分だけのことを言っているにすぎない。



夫と私は真剣に向き合ってお互いの日々思っている人への概念の違いを戦わせた今日になった。
夫と私はちがう生活環境におり、社会的ステータスにおいてもことなる意識で生きている。私と次男は同じステータスで、夫は異なる立場にいる。そこが論点だった。


夫はこういった「僕は次男とは話をしないほうがいい」

違う。違うよ。そういうってことは、自分の環境を見つめることも、考え直すこともしないってことだ。私はそういうことをいっているんじゃない。話をしないほうがいいんじゃなくって、今は話をできる考えをもっていないって言って。そして、お願いだから、単に自分の子供だから、妻だから哀れだと思ってやさしくするのではなくって、人として接してくれ。次男とその周りにいる人間を社会のクズだと思いながら次男だけを助けようとしないでくれ。そんな気持ちは次男にもすぐわかってしまう。彼が家族になにも話さなくなってしまったらもうおしまい。私もなんにもできなくなってしまう。そのときには、もう彼は遠いところに、ほんとうにいってしまう。今は彼の心のいたみを、彼と同じように感じることができないと、心を閉じてしまう。だから、もうそういう言葉を言わないで・・私に言うということは、彼にも同じ気持ちをもっているということだから・・・






ここ数日、私たちはこのような論調で体にも心にもつきささる刃を感じながら、それでも次男のことを守りたい一心で話をしつづける。





次男の気持ちを思う。
次男は今は、心が晴れつつあるのを感じる。でも彼はずっとずっと苦しんできたのだ。私たちはその苦しみをまったくわかっていなかった。あることがきっかけでかれの心は爆発をした。そして、やっといま私は気が付いたんだ。私はなんにも理解していなかった。あのこがほんとにしたいことも、あの子が現実とのギャップで苦しみ始めたこともそのときも・・。彼の心は繊細で、だからこそ小さいときにはよく気が利いて、他人の気持ちをキャッチするのが早くって、それに基づいての行動も的確で・・。学校でもがんばってしまっていたんだなと。ごめんね。龍忍。私、ほんとうに理解のない親だった。



今は龍忍は、こういってくれた。

「おかんを母だと思っていたら、腹がたつこともいっぱいあった。でも一人のアネゴっていう感じでみたら、いいやつだ」


でしょ?早く気が付けばよかったのに。って・・彼に笑ってかえしたら、彼は屈託のない笑顔を返してくれて、ごめんな。ほんとうに。っていってくれた。

今彼は好き勝手をしている。他人からみたら、まったく信じられない変貌をしていると思う。だけど、私は彼が私との約束を必ず守っていることを知っているし、私の言葉を大切に聴いてくれる人間になっていることをわかってる。私は彼のために今は懸命に生きたい。いつも、彼が外出するとき、私はかれにいってらっしゃいといいながら、応援してるよ。私はあなたがしていることをまっすぐ見ることができるよ。って思ってる。



私は今は、彼を信じてるっていう表現はしない。彼の行動が見えているから。だから安心して待つことができる。




めちゃくちゃな内容。でも殴り書きしかまだできない。



四十郎さま

ふたりとも心が疲弊するまで話し合って、私もあなたに負担をかけっぱなしにしているのも十分わかっているのに、あたたかかくもやさしくもなれなくって。それでも真剣に向き合うことだけを頼りにして、それをぶつけていけるあなたと私の関係にありがとうと思って・・・・。それが私の夫の大きさなのであり、私の到底できないことをすることのできるあなたなのです。次男に対して真剣であるのと同様に、私たち二人も今真剣に向き合っている。そのことだけで私を許して。








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ごめんなさい。
この記事について、ことの善し悪しをコメントしないでください。私はただ書いているだけなのです。もうしわけありません。
長かったです。もう1年近く過ぎてしまったのではないのかなと思います。私の心の病は峠を越しました。でも今家庭内の問題(龍忍)でさらにごちゃごちゃしています。もうこの1年の変化のなさと激しさに戸惑うばかりです。でもここにきて書いてみようと思えた今日は確実に私の中での変化を感じます。

ブログ形態が変わったので、写真をアップしました。今の写真ではなくヨルダンに駐在していたときにとったものです。なんとおおらかな表情、穏やかな表情なのだろうと感心してしまいます。今はすっかり年も重ねてしまい、この1年の苦渋は私の表情も一変させてしまった・・ほんとうに驚くばかりです。


今は次男の問題で手一杯です。まだまだ具体的に何を整理して書こうかなんてことは考えられない。でも、一歩一歩進まなくちゃいけないと思っています。

つらかったとき、夫がほんとうに私と真正面から向き合ってくれた。そのことにまず感謝します。逆の立場だったら私は夫がしてくれたことができただろうかと心底思います。夫の偉大な私への配慮は私が今生きているという結果につながっているのだと思う。ありがとう。。。ほんとうにありがとう。


まだ家族としての問題が山積みで、なぜこんなに次々と出てくるのか不思議に思うほどだけど、ちょっと息をついたところで、夫がいってくれる「もし私たちに子供がいなければ、きっとこんな大変な思いをすることはなかっただろうけれど、逆に子供がいなければ平穏だったかもしれないけれども、寂しい思いもしたかもしれない。だから子供がいてアップダウンのある人生にも感謝しなければいけないのかもね」という言葉が身にしみていました。

私は自分のことだけで精一杯のときに、夫はそうでないほかの人の立場で物を言うことができることが、それだけですごいなぁ・・と思ってしまう。





でも



今は、私も次男の気持ちになって物事を考えようとしている。親の立場ではなく自分が中学生だったころ、どんなことに悩んでいたのか、次男が今どんな気持ちでこんな状態になっているのか、置き換え置き換え・・・

次男の苦しみは私の苦しみ
私の苦しみは夫の苦しみ


家族なのだなと思う。
朝、次男は無事起きて
そして学校まで送りました

担任の先生から夜電話を
いただいて、
不十分ではあるけれど
現在のところで次男と話を
したことを伝えてくれました

やはりかの先生が
次男にはよい理解者だと
思いました

その中で
長男との関係をまっさきに
先生に訴えたようで、
そのことを気にされていました






次男は私と話したくないと
言ったので、
昨日の夜、全寮制の学校を
探してみました
インターには行きたくないと
思っていても、日本人学校なら
よいといっていること、
それでも日本人学校でなく
少しでも彼の欲する英語を身につける
ということを満たすところ・・

という観点で
Kニューヨーク校の情報を見ましたが
これは学費が年間400万かかる
ということで、断念せざるを得ない・・

次にR英国学院というところの情報をみて
ここなら彼も納得するのではないかな?と
思い、印刷をしておきました

彼がおきたときに、



私と話をしたくないのなら
親から離れてすごすというのもいいでしょう
お兄ちゃんとの関係もそうだけど、
いったん家を離れて家をみるというのも
大事だからね

親として、精一杯できることを
していくつもりだからね
だから、この学校もあなたには
もしかしたらいいかもしれない

でも強制ではなく、
あなたが気に入ればという選択肢を
用意しているに過ぎない

お父さんが駐在になったら
あなたを外地に再び連れて行くつもりで
いるけれど
あなたにしたら、今の学校をとても
気にいっているのでしょうし・・
離れることは抵抗があるでしょうしね


あなたがそういう気持ちだからといって
私はあなたをほうってはおかないよ
そういう親じゃないからね
あなたのことをバックアップするつもりはいつでも
あるというのを忘れないで



そういうことを言ったら
その資料は受け取り
そして、おとなしく聞いてました


でも



学校から帰ってきたらもう
おんなじで・・
英検も申し込んでいるのですが
それも受けないと言い出して・・


まぁ・・



仕方ないですね




朝に何時間睡眠時間があれば
いいんだ?と聞いたら8時間といったので
ならば22時30分には寝ないとね
といってあったので、


ぐずぐずしていたのだけど
10時半に寝ろといって
寝かせました


馬鹿みたいだけど・・


まだまだネンネ(死語です)なくせに・・
一人で起きれないくせに・・・


そう心の中で捨てせりふすることも
忘れていない意地悪な親でもあり

そして、一人嘲笑することで
満足して、会話を終える
いいたいことが山ほどあっても
少し言いかけて口ごもる
出て行った言葉が
かの子のささくれ根性を
刺激したんじゃないかと
想像しながら・・・
これ以上いったら、私も人でなしなんだろうな
って思いながら・・



以前NHKで青春なんとかといって
子供が賛成反対の両方に分かれて
ディベートをするという番組があって
今でも覚えているある男の子の言葉がある

たしか、親の共稼ぎについての
討論で、賛成反対両方の意見があって、
反対の男の子が言った言葉


「中学生になって反抗期になって、
 自分はなんとなく常に母親にくってかかって
 すごしていた
 だけど、それは自分にとって必要であったし
 いてくれてそれを聞いてくれるだけで
 よかった
 (だから共稼ぎで家に母親がいないのは反対)」


夫の母も
中学生になった長男である夫に

「Yのことがもうわからなくなった」

といったことがあると、以前聞いたことがあった
夫はあまり覚えていないみたいですが、
そういわれたということだけ覚えていた



出張先から夫が次男にメールを送ってきた

「龍忍へ 二年ぶりの海外出張です。成田からロンドンへ向かう飛行機の中でずっと龍忍のことを考えていました。二人で名古屋空港経由アンマンへ帰ったとき、名古屋空港でお小遣いでお菓子を買ってくれたこと、フランクの待ち時間○×ゲームをしたことなど懐かしく思い出しました。今の年頃というのは、体と心の成長時期でその両方のバランスがなかなかとりにくいこともあり、簡単に言うと、心臓がどきどきし易いし、興奮しやすい時期で、もやもやするのですが、それは発達時期によるものです。そういうものなのだということで腹がたったとき、いらいらしたときなどちょっと冷静に自分を見てみるとよいと思います。帰りにはフランクフルトの空港で龍忍の好物のソーセージなど買うつもりですが、乗り継ぎ時間が限られておりちょっと危ういかもしれません。少なくともブダペストでサラミは買います。父より」

次男はチラッと読んで
すぐ戻してきた(私の携帯にきたので)
以前私も父からもらった手紙を
サラッと読んだことを思い出した
(今もそれを持っていて、長男にも次男にも
 見せたことがあるのですが・・)



親孝行したいときには親はなし


これ、子供の立場で聞いていたのに、
いつのまにか親の立場で見るようになったんだ・・
そして、これが語ることは、
子供が親つまり自分に対して
心をオープンにしてくれることを見ることなく
死ぬこともあるということなんだな・・と
そう思うとなんだかさびしいね・・・
いろいろありましたが、
次男とは相変わらず最悪です

まず、長男といざこざがあり
長男を妹の家に下宿?させています

夫が海外出張しているので、
今次男と二人きりで生活していますが・・

家庭教師の件、
塾の件、

どれをとっても
彼にとってアドヴァンテージの
つくことがなく
反抗期の彼は
窮地に立たされ

彼は、自分がしていることが
悪いと知っているのですが
それでもなにもかも
私のせいにして、

今朝は
今朝で、昨日二人で話し合いをして
12時少し過ぎて寝たことで
朝起きるときに

「おめーのせいで
 寝不足だから
 学校休む」

などといわれる始末・・
それならば1時間後に起こせば
上等でしょうと・・
本当はそんなことサラサラしたくないのに
岩のように固まって何も言わず
何もしようとせず
起きようともしない次男に

どうしようもない
虚無感を感じてしまいました・・

仕方ないので
1時間後という・・・その約束をし
車で送ることにし、
その前に担任の先生に電話して
相談をしておこうと・・

頼りにしていた
塾の先生には、
どうもかなり悪い印象を
もたれてしまっているようで
びっくりしたのが
数学の先生に対して

あいつウゼー
死ね!

という始末・・

ほんとうに・・
どうしちゃったんだろう
どうなっちゃうんだろう
この子は・・

最近の漫画って
そういう会話が多いですよね

うぜーんだよ
お前なんて死ね!

そのままのせりふを
言っているようデモあり・・

たとえば・・・

以前見た映画で
「ダウンタウンヒーローズ」
というのがあって
その映画とっても好きなのだけれども

旧制中学の学生生活を
描いているのですが

今の時代なら大問題になることが
てんこ盛り・・
それでも、中学同士の喧嘩は公認だし
寮生の規則破りも、警察も校長も
介入できなかったり・・
そんなかんなの
すごい迫力はあるにしても
今も昔も、このころの男の子っていうのは
喧嘩っぱやくって
無理を承知で正義を通し
いわば、
honorのためには
なにがなんでもとがんばるころなのかも・・

それに対して、
今の子ってやっぱり
ギスギスと小さい枠にはめられすぎて
発散できる場所も機会も与えられず・・
自分のhonorは滅多打ちにされるし・・
大変なのかもしれないなぁ・・って
つい思ってしまう

そんな気持ちはもっていても
それはそれ、これはこれで、
現代に生きる親として、わが子を見るにつれて
情けないやら、わからないやら、

結局
甘やかしすぎたんでしょーかね?
あるいは
ほうっておきすぎたんでしょうかね?
あるいは
かまいすぎたんでしょうか?
あるいは
なんなんでしょーか?

私にはよくわからないけど、
イライラしている中学生の姿には
わびしさを感じ、
その姿に自分の小さくなっている
背中を感じる今日このごろなのでした・・

とりあえず
学校に電話して
担任の先生に事情を説明して、
彼のことを話しましたら、
遅刻してもいいから
よこしてください
自分(先生)が話を聞いてみます
そういうときは、学校にベッドが
あるから、学校にいったんきて
寝たらいいといってください

とおっしゃってもらえた

塾の先生は、この学校について
少し否定的におっしゃるのですけれど・・
確かに中学受験については
底辺校ではありますが、
私は先生の対応がすばやかったり
子供のことを子供の立場で考えてくれて
いることに非常に満足しています
確かに学生はぬるくって
勉強もさしてしない子が多いです
それは否定はできないです

次男にしてみれば
勉強しなくても
半分よりは上にいられること、
今回夫が面倒をみたことや
塾の社会の先生にお世話になった
ことなどがあり
学校の成績が50番もあがり
やっと1組には入れる成績になった
のに・・
彼へのハードルはもっと高くって
ほめられることも少ない・・

考えてみれば
この学校だけが
彼のことを唯一立派に認めてくれている
のかもしれない


なのに
彼は父親の駐在で、
この学校も辞めなければならないときが
くるかもしれない

母親(つまり私)も
学力を心配して、インターのある駐在地なら
連れて行くと言っているし・・・


そう思うと
彼のイライラや暴言も
わからないでもないか・・



ふむ・・・


母が送ってくれたFAXに
短歌が3首あった
妹が気を利かせて母に事情を
説明しておいてくれたのかな・・
どなたの歌かは不明ですが・・

今日受けし 試験危うしと来て告ぐる
子供の顔は 親しきものを

はさみもて 布を裁つときの緊張感
大きくなりたる子を叱るとき

夕餉(ゆうげ)のあと 自分の部屋にもどりゆく
思春期ふたり 思秋期ふたり


ううむ・・・


学校に行ってきます・・・
おほほ。。
ついにやりましたよ・・


今日は待ちにまった?
デジタルパーマの日なので
ありました

いつもの美容院では
デジタルパーマはないので
インターネットで
調べて予約したのですが・・



お店のお兄さんは
割と感じがよくって
いろいろ話をしたりしながら
・・
デジタルパーマって
すごいですねぇ・・
3年ぐらい前から
始まったらしいのですが


なんだか
脳波を調べる実験用の
機械のように
髪を巻いたロットに
熱を通して

薬で弱った(?)髪に
熱を加えてタンパクを溶かす
といった説明がありましたが・・

とりあえず
できあがりは・・

たしかに
巻き巻きになった!


今日は雨だったので
家に戻ってから
さらに自分の髪型
にまとめるために
ホットカーラーを
つけてみたら・・

おぉ〜

理想的な縦巻きカールが・・



マリーアントワネットのような
エースをねらえの
お蝶夫人のような・・
すばらしいカールが
できましたとさ!





やりましたねぇ・・
恐るべし!デジタルパーマ!



そして

いよいよスポーツクラブに
申し込みをしました
明日から
ぼちぼちトライしてみます
買いたいなと思っていた音楽を
見つけました
某CMで使われているものですが・・

これはかなりいいですね・・・
お気に入りになりました
↓ここで聞くことも見ることもできます



http://slowxballad.3.dtiblog.com/blog-entry-133.html




さて
今日は長男の入学式でした
とはいっても入学式はパスして
後援会主催の父母歓迎会から出席・・

ちょっと長男の高校のときの雰囲気とは
お母様方違うなぁ・・と思いつつ^^;

後援会長さんの話も聞けましたし
学校長さんも見ることができて
話もきけました


学校長さんのおっしゃるには
J大学では、学生にしっかり勉強をさせます
うっかりしていると5年学校にいくことになります
とおっしゃったのですが・・
これ・・みなさんおっしゃって・・妹といっしょに
「それって5年行く人のほうが多いってことなのかな?」
と笑ってしまいました


それから

Do educate by yourself

をおっしゃていましたよ。。
大学生はもう大人である
自分の意思で勉学を積むこと

そういったありがたいことを
おっしゃっていただきました



長男はなんだか
高校のときより学生がチャライ
のが気に入らないらしいのですが・・


でもまぁ・・
あなたの高校は高校1年2年と自由奔放に
リバティを楽しんだあと
3年生になったらすっかり落ち着いてしまった
のかもね・・
人間ってそんなものだよ

だから、今まで高校が厳しかった人は
大学1、2年ははじけるんじゃないの?
あなたはそれをもう経験済みだから
チャライのがなんだか気にいらないんじゃない?


といったら

いや、僕がチャラクなりそうで
いやな気分がしたんだ


ですって!まぁ・・それもいいんじゃないですか?
と思ったのだけど。あんまり格好がチャラクなったら
アルバイトができませんよ
とだけ言っておきました




J大学は、あと5年で創立100年を迎えるそうです
伝統のある学校なんですね
で、構内には思ったほど桜はなくって
学校の外にある道・・通称ソフィア通りと呼ばれる
ところに桜が満開になってました
この桜の由来もうかがいました
1960年に卒業した学生が、ここで学んだことへの
恩返しができないか?ということで、お洋服を質に
入れてまで、お金をゲットして桜の苗木を60本
植えたのが、今こんなに大きくなっている・・という
ことらしいのです・・・


実に立派な桜でした・・でも
これは外堀を外からみたほうがきれいだったかも?
グラウンドにつながる土手側におそろしくすばらしい
桜の姿がありましたから・・




学校は思ったよりも狭く感じてしまったのですが
それもそうですよね・・○CU高校や大学の
広大な敷地に比べたら・・ 狭い!
だけど、都内の一等地にあるこの学校・・
隣にはホテルニューオータニがあったり
紀尾井ホールなんぞもあったりで、
ものすごく贅沢なところに建っているんだなぁ・・と
実感



とにもかくにも
長男は無事学生証もいただいて
立派な大学生となったのでした

めでたしめでたし
はい・・3月31日ですね・・・

なんといっても
もう2008年が四分の一終わってしまいました
くぅ〜 きっとすぐ死ぬような気がする^^;

で・・そんなことは
どうでもいいのですが

明日はいよいよ長男の入学式です
入学式自体は有楽町の国際なんとかフォーラムで
あるみたいなのですが・・
これは行かないことにしました
(私の母にも入学式って親がいったっけ?
 と言われましたが・・私の大学の入学式はだれも
 こなかったのです)

その代わり午後から父母会のようなものが
あるのですが、それを妹と一緒に行くことに
しました

なにせ、恥ずかしながら
私・・J大学は入ったことがありません^^;
総長の顔なんぞはこのさい写真で見ることに
して^^;
とりあえず桜咲く構内を散策してきたいと思います^^;

ついでに・・というかこちらがメインかもしれませんが
妹と昼ごはんを食べてきます^^; 楽しみですなぁ・・

と・・
次男のときは長男と長男の彼女に行ってもらいましょうか>
入学式・・無事その日がくることを今は心から願っています
そのときはもう私も51歳になってることになりますけどね・・
はぁ・・

さてっと・・

今大好きな曲を何曲も発掘しているのですが・・
とりあえずYOUTUBEでこの曲をご紹介します

1970年代にヒットした曲で
「We’re all alone」boz scaggs

youtube でどうぞ・・
http://jp.youtube.com/watch?v=CUKfQpldgmk&;;;feature=related

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
Outside the rain begins and it may never end
So cry no more, on the short dream
Will take us out to sea
Forever more, forever more

Close your eyes Amie and you can be with me
Neath the waves through the caves of ours
long forgotten now
We’re all alone , we’re all alone.

※Close the window calm the light
 And it will be all right
 No need to bother now
 Let it out, let it all begin
 learn how to pretend

Once a story’s told ’ I can’t help but grow old’
Roses do lovers too
So cast your seasons to the wind
And hold me dear, oh hold me dear

※くりかえし


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

この曲・・
ほれてます。。はい。。

ちなみにYouTubeのコメントにカナダの女性が

This song has a special part of my heart....
reminds me of my husband.... who passed away
...bring tears...

とありますが・・これを読んで思わず涙が
出てしまいました・・・くぅ・・もの思う春ですかねぇ・・
に行ってきました>昨日

夫のリフレッシュ休暇の最後は
私の希望でTDLへ
もちろん運動のためですけどね・・

ひさびさに二人でディズニーランドにいくと
すっかり回りは若い方ばかりで^^;
あんなに友人や親戚とでいったTDLだけど

結構・・時代を感じてきましたよ

ディズニーランドは私が大学に入ったときぐらいに
オープンしたのを覚えています まぁつまりは
28年前? 忘れましたが、大阪に住んでいる友人が
一緒にいこうと誘ってくれたのですが
もちろん私は存在すら知らなかった

ところが行って見たらすばらしいテーマパークで
とてもびっくりしました
あのときの写真が残っていますが
私も若いんですなぁ・・これが^^;
かわゆいし・・・なつかしいです おほほ

で・・

その後、結婚する前に
夫ともきましたので
そのときのことも思い出したり・・
夫に
「ねぇねぇ、あのとき私のこと
 ほんとうに好きだった?」なぁんて
聞いたりしてね。。おほほ

まぁ・・ 二人でラブラブで
外回りを5周ぐらいしてきました

その間当然のことながら
春休みですから多くの若者たちを
みましたが・・・
見るに耐えない馬鹿ップルっぽい子もいるし・・
なんだか・・男の子二人に女の子6人ぐらいの
ハーレム状態?のグループもいたり
結構小学生だけっていうグループがいっぱいで
びっくりしました

ウェスタンリバー鉄道と魅惑のチキルームはやっていなくって
その他のもので乗れそうなものを・・探したのですが
私が乗り物がだめなので・・スターウォーズの
star tours がやっとでした・・
あとはマークトゥエイン号とか・・
(mark twein って’二尋っていう意味だったんですね 知らなかった・・今回まじめにアナウンスを聞いたら・・いろいろな薀蓄を聞けました^^;)
夜のジャングルクルーズはまた雰囲気がありましたねぇ・・
あとは変なマシンで小さくされてしまうのとか・・
(私はもう何度も見ているのですが夫が初めてだったので)
おぉ・・たったこれだけ?^^;
あとはウィンドウショッピングとお食事・・


たまに
二人きりになるのって
いいですね
いろんな話もできるし
ずっと手をつないで歩いてみました^^;

子供ができてからは
子供中心でまわっていたTDL
子供のために友人と走り回ったり
友人のために走り回ったり

そんなヤングなママだった自分は
過去のかなたに消え去って
でもその思い出を
今の若いお父さんとお母さんに
重ねたりしてね・・
そうやって思い出にもふけって
いましたよ・・



で・・・

家に帰ったら
次男も友人と一緒にいきたいとのことで
詳しくきいたら

女6人に男二人

というではありませんか・・・おぉ・・
ハーレムですかぁ・・^^;
まぁ・・いいいけどね・・・

長男も旅行から戻ってきて
ご機嫌なのでありましたよ



実は
火曜日の夜、あれから
水戸まで次男を連れてでかけて
いました^^;
昨日は一日TDLだったので
今日は疲れていました

それに昨日私は風邪が最高潮で
ハンドタオルを2枚つかって
鼻水をふいていたぐらいで・・

それが今日夫にも回ったみたいで
本日は安息日でありました


でも夕方
長男の入学式のための
ブレザーとスラックスなどを
買いに行きました
スーツは使い勝手が悪いので
トラッドっぽくしたのですが
選んでくれた店員さんが
桜色のネクタイを選んでくれたりして
おしゃれな感じにまとまりました

いやぁ・・
若いっていいですね・・つくづく

ついでに超トラッドなタイプになるような
ネクタイとYシャツも買って・・
ご機嫌な私なのでした・・

だって

息子にトラッドを着せたかったので^^;
似合いますよ・・なかなか・・
今度写真アップしますね^^;

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