もうすぐこの日記も閉鎖になります。(当分は見ることはできるようです)
ので、さすがにお尻に火がついて、引っ越し先を決めました。

https://peterpan20013.hatenablog.com/

ここです^^
つまらない日常を書いてきました。引っ越し先でもその傾向は変わりません。よろしくお願いいたします^^
以後は引っ越し先に記入していきます。

DiaryNoteの管理人さま。
2005年からありがとうございました!
本当に本当に感謝しています。

今日はお昼過ぎから、まず
夫さん方のお墓の修理をお願いする業者さんとお墓で待ち合わせました。
夫さん方のお墓がかなり脆い素材で、左上の方が欠けてきたのです。
明治のものなんですが、ある日パカっと割れそうなそんな感じにもなってきました。
実は夫さん方のお墓は二つあって。。。
駅近のお寺にあるお墓が、江戸時代のもので、それも随分と古いものなので風情をそのまま残して替えたいとは思っているのですが、欠けてきたとなると明治のお墓が先になりますね。

とりあえず建て替えは先にして、今は、修理とお掃除をお願いしたのです。
たまたま夫さんの知り合いの方と面識のある方で、とても感じの良い親子で。良き出会いがありました。

それからいなべの梅林公園まで再び車で行ってきました。
今回はほぼ満開でとても美しくて。
私の腰痛も、昨日今日はロキソニンが効く程度だったので比較的歩けて、夫さんと2人でぼちぼち歩いてました。
見晴らし台からみたら、吉野の桜みたいで。私は記念切手でしかみたことないのですが、ほんと同じ感じでしたが、今回はまだ藤原岳に雪が残っていて、背景がなんとも美しかったです。少し曇ってましたけど。

それから帰路につき、郵便局により、スーパーにも寄って買い物も済ませて帰宅。夕食にして、ゼレンスキー大統領の演説きいて、しばらくしたら夫さん眠気がきたみたいで。私も刺繍したりしてたんですが、集中力に欠けていたようで、数えていた目が大幅に間違っていて、かなり解き直して、ガッカリしてやめました。


一昨日は夫さん方
昨日は私実家方  

午前中に出発 高速のって京都東で降り
渋滞していたので時間みて近くの天下一品でラーメン。
そのあと神宮にいったのですが早すぎたので、
新京極の林万昌堂という甘栗屋さんにいき購入!
久しぶりの甘栗!このお店は父が生前贔屓にしていたところでとても美味しいのです。
しかしながら今回、大きめサイズがあり、値段が若干ちがったのであれ?と思いつつ小さい方。あまり値段の差はなかったので大きい方がよかったかなあ。なんて思いつつ。
天津甘栗のおいしいところは、最近東海地方で発見し直接買いに行くととても安くてしかも美味しい!
だから林万昌堂さんのは高級になってしまってますが、東海地方の甘栗屋さんは、三重からだと交通費がかかってしまうので滅多にいけません。
なのでなんだか得した気分になりました。

それからまた神宮に入ったのですが、そらでもまた時間があったので夫さんと甘栗をパクパクしてました。笑

神宮は私たち夫婦と妹しかいなかったです。最近は皆さんコロナもあるのでお見えにならないみたい。
今回はちいばあちゃんと呼んでいた私の祖母の妹さんの50回忌だったのできましたりわたしはこのおばあちゃんがとてもすきでした。手芸を教えてくれたりもしたのです。50年ぐらい前になるのかなあ。
そのちいばあちゃんを思いつつ。また神官さんも私たちが子供のこらからの長いお付き合い?なので子供のときから数えて三代目になるのです。 
滞りなく終わり、次はお墓参り。妹の車の後だったのですが、信号にも引っかかるわ渋滞にもはまるわ、駐車場もいつもの無料のところが空いてなくて有料に入ったりとかでずいぶん遅くなってしまった。
でも無事お参りできました。
お墓の土がだいぶふがふがとして柔らかくなり、ふむと凹むようになっているし夫さんが、花立の石が斜めになってる!ときがついたので、やはり砂か砂利を足さないとだめやね!と話してました。かなり歩くので1人2キロで一回につき4キロではこびいれよう!という話になりました。真夏はきついかなあ。

で、私の眠気もマックスになったので、お墓参りあとはどこにも寄らずに帰宅しました。三連休の最終日なので、反対車線の名神、新名神が渋滞してました!事故もなく無事帰宅しました。

夕食を用意したらもうすごい眠気に襲われて、ソファで眠ってしまいました。私の長所といえば、どこででも寝れるということでしょうか?(愛子さま風)

今日は特に何もなく、刺繍をしたり洗濯したりしてました。
今日は14次50分から母とのライン面会でした。
今回転院した先の病院は、看護師さんやドクターも優しい方が多くて、ライン面会の説明もちゃんとしてくださったのですが、今日、少し遅れてではありますが接続できました。
母はなぜか入れ歯をしていなかったので、すっかりおばあさんでしたが案外画面をみて理解して話をしてくれてました。とにかくその場では会話ができてよかったです。
最近仕上げたかわいい猫の刺繍の入った小さいクッションにもなる枕を見せたら喜んでくれて。前に2つ作っていたのですが、それも看護師さん理解してくれていて看護師さんもかわいい!といってくださいました。なんだかすごくやる気が出てきました。また作るぞーって。
それにかわいいおばあちゃんの母はいとおしいです。最近とくに母に感謝するようになってきたのです。いろいろ母には言ったこともあったけど、思い出してみれば優しい気持ちのいっぱいある母でした。辛抱強い母でもあって。
私には甘えてたのか、愚痴が多かったけど。でもそれも今は理解します。

で、面会時間は5分間だったので、あっという間に終わってしまいました。たぶん母はすぐに忘れると思うけど、1か月に一回できるみたいだし、平日なので私だけしかできないので、また予約しようと思います。

終わってから家事も済ませて、今日はイオンの火曜市なのでいってきました。
火曜市は何気に安いものがあるんです。一番は刺身です。とてもおいしそうなのが普段は800円ちかくしそうなものが400円台であります。これもいつまで続くかわかりませんが。
トマトも安くてよかった。夫さんはトマト好きなのです。夏でもないけど今トマトは旬だよ!っていうぐらい充実してました。

それからいちごもたくさん買いました。普段300円台なんてないんですが、今日はばっちりでした^^

あとは、銀行で必要なものをおろし、それから小さいクッションとして使える枕を二つ。枕カバーも。次の刺繍の作品2点用です。

それから帰宅して、ほどなくして夫さんご帰還。
夫さんも火曜市を理解していますので、おかずもハッピーお刺身セット!という感じで喜んでくれました。

それから夜、母にあげるクッション、もう仕上がっているのですが、さらにイニシャルをつけるのに(1文字2時間ぐらいかかります)チクチクさし続けました^^ まだできあがってませんが、がんばって作ります!

Nちゃんが気になってそろそろ上京もできそうかな?という感じになってきたので、社宅時代のお友達お二人にも連絡とりました。もちろんNちゃんにも。でもNちゃんのお返事は、最近は調子が悪くて寝てることが多い、痛みも強いということで、しばらくしたらまた連絡するということでした。明日こんどはお嬢ちゃまに連絡とって聞いてみたいと思います。すごく心配です。

長男家から春かゴールデンウィークあたりにこちらにきてくださるかもしれません。その前後にNちゃんに会いに行こうと思います。
そしてお孫ちゃん、およめちゃま、長男君来訪に備えていろいろ準備もしておきたいと思います。

でも今日は腰がまた痛くなって。
明日は月一回の不燃物&カンビン、段ボールの日なので、がんばって用意したいと思います^^

ホワイトデー

2022年3月14日 日常
ホワイトデーは真っ白な日ということで、
今日は真っ白でした。

ですので、刺繍のセットでもまとめ買いさせていただいて代替とさせていただきましょう。笑
昼から夫さんゴルフ練習場へ。
今月からコーチも変わり、今まで1時間半だったのが、50分になってしまったので、あっという間に終わってしまうので、前回はそのあと打ちっぱなしでもしたら?とおすすめしていたのですが、今日は夫さん、行きたいところがあったようで、50分で終わりです。

で、それからいなべ梅林公園というところまで足を延ばしました^^
ここは何千本という梅を楽しめるのですが、ちょっと山の中に入っていきます。
残念ながら、まだ満開は来週あたりかな?っていうぐらい咲いていませんでした。それから山を下りていなべ市役所(分所)にいきおいしいパンを買いました。

それから夫さんが生まれてからずっと聞いてはいたが行ったことがないという住宅地にも行ってみました。いろいろと納得したことがたくさんあったようです^^
そして義実家にいって換気をしよう!ということで、夫さんは義実家(といっても夫さんには実家です)私はカインズにクッションをみにいきました。ところが買物している途中に、メッセージが入り、

実家の窓ガラスが割れている

とのことだったので、あれそれは大変!一応警察呼んだ方がいいよ!私もすぐいく!といって慌てて買物を終えて義実家へ。

そうしたら母屋の正面玄関の横の窓が一枚確かに割れていました。
そのうち警察の方が三人もきてくださり、車もクラウンでかっこいい!なんて思っていたんですが、とりあえず現場検証していただき、もし被害届を出すのならば火曜日に派出所まできてください。とのことでした。夜でもよいらしいです。
被害届を出さなくても、記録はとっておいていただけるということなので、安心しました。

ついでに、今までリフォームでお世話になっている工務店さんに電話したらすぐにきてくださるとのこと。でも出発点が鈴鹿なので、これは担当の方によろしくお願いしますと頼んでおきました。

それから帰宅して夕食!
今日は結構外で過ごした感じになりました。

しかし暖かくなりました。20度ぐらいあったみたいです。
このまま暖かくなってくれたらいいな。
おめでとう!長男くん。
もう二人のおこちゃまもいて、すっかりお嫁ちゃまといっしょに父として大活躍ですよね。お嫁ちゃまとの七転八倒しながらも一生懸命生きている姿をみるにつけ、あるいは感じるにつけ、本当にうれしく思ってます。子供が結婚して家庭を順調に守ってくれてる姿を見れることは親として最高の喜びです。ほんとありがとう!毎日感謝しています。

今60歳になって感じるのは、やはり自分の父や母が私と同じような立場だったときに孫である長男くんや次男君にしてくれたことです。
子供の時とすっかり考え方が変わるのは親になったときで、今さらにその次の姿になるというか、孫ができることによって祖父母という立場になって、また新たに感じることがたくさんあるということです。その中の一つに自分の親が自分の子供たちにしてくれたこと。

私の父は子煩悩な人で、子供はいくらいてもよい!といって年上の母を困らせていたみたいです。でもほんと元気な父だったから、それはそれは娘としては小さい時はうれしかったです。身体をつかっていっぱい遊んでくれた。
旅行に行ったときには山ほどの荷物をできるかぎり父がもってね。だから結婚したときに夫さんが荷物を全然持たない人だったからびっくりしたものです。今、長男くんが率先してお荷物を持っている姿を見ると父と重なってくるのですよ。ほんとたくましくなってくれました。うるうる。
そして、本好きだったところは夫さんにそっくりでね。これはこれでよい習慣がついている!ってうるうるします。私が本は苦手なところがあったので、それがいやでいつも長男君に本を読んであげていた。それを今度は長男君がお孫ちゃん1号くんにしているところを見るとほんとうにうるるです!それもいつも喜びをもってみています。いや、次男君はまだ結婚してないのだけど、同級生の妹ちゃんたちに本を読んだんだよという話を聞いたときもすごくうれしかった。きっと次男君も本読みするんだろうなーーって考えるとこれもうれしいです。

いや、ほんとうにうれしいことばかりでね。
父が目を細めて長男くんをよしよし!と抱っこしていたり、運転手さんの車でいろんなところに連れて行ってもらってね。そのときはずっと父が長男君をだっこして寝かしつけてくれてた。もう片時も離れたくないっていう風にね。

いつも夫さんが言ってくれるんだけど、夫さんと結婚して孫を二人作ったこと、それが一番の親孝行だよ!ってね。そうだね。父のお気に入りの後輩だった夫さんだったからね。

母もね。私よりずっと年上のときの孫なんだけど、今の私よりずっと元気で。それこそ伊豆にいった帰りに私の運転する車の後ろ座席に長男君といっしょに笑いながら楽しんでいた時間。その母も今は元気もなくなってね。なんだかとても時の流れの速さも感じてしんみりきます。

長男君と次男君は4歳半離れているので、長男君はかなり長い間一人っ子状態でした。それに次男君が生まれて1年でジャカルタに駐在したので、ほぼほぼ長男君一人がかわいがられていた4年半でしたね。
ジャカルタやヨルダンから一時帰国するときは空港に迎えにきてくれたこともありました。

何年か前、まだ大阪の実家のお隣のお家のおばさまが生きていらしたころ、
「ピーターちゃんはあっちいったりこっちいったり、ほんとうに活動的で、まるでお父様みたいね!」
と言われたときはなんだか嬉しかったですが、ほんと父は最後の最後までよく歩きよく動いていました。

だから、長男をあっちこっちに連れていってね。旅行も伊豆はたくさんいったし、東北は蔵王、青森、角館などね。もちろん四国にもいったし、いろんな高級旅館に泊めてもらいました!

そんなときに父がどんなに孫を大切にしてきたか。それを今は夫さんに重ねてみてます。私と二人でお孫ちゃんの話で盛り上がることも多いのですが、夫さんという立場とはまた違うおじいちゃんである夫さんは、結構お孫ちゃんにメロメロで優しくってそのような姿を見れたのもうれしいことなんです。
そして夫さんが長男君のことを心配したりほめたりね。子供のときとは違う長男君を改めてがんばってるね!って。そういうふうに子供を褒め合えることはとてもうれしい時間だなあって。

もちろん次男君の話もするんですよ。次男君はやんちゃな時期もあったけど、それが結構懐かしい思い出でね。私たちにとって。それを乗り越えていったことは確かに夫さんと私のしっかりした思い出としてね。残ってる。思い出だけじゃなく、二人の歴史っていうのか、大事な積み重ねっていうのかな。そして次男君も連絡ないけどどうしてるかなーーとかね。
できれば次男君も結婚しておこちゃまにめぐまれて、そして私が経験して今にいたるように、長男君も次男君も、子育てを通して自分の親のことを思い、孫との時間を通して、祖父母だった私たちを思い出してくれたらうれしいな。きっとそのような思い出は懐かしいものだけでなく、そのときには私たちはいないかもしれないから甘酸っぱい思い出になってるんだろうなとも思いますよ。

京都の大神宮から春分の日に祖母の妹(私はちいばあちゃんと呼んでいた。一番仲良しだった)の50年祭の案内がきました。私は今年還暦だから私が10歳のときに亡くなったなんだなあと。たしか64歳で胃がんで亡くなっていたと思います。私はこのおばあちゃんが好きで、遊びにきてくれては、ビーズや毛糸の編み方とかを教えてもらったりしていて、たくさん遊んでもらったのです。ちいばあちゃんは独り身だったから、いつも家でりかちゃんとかバービーちゃん人形のお洋服を手編みして作ってくれて、三人で取り合いになっていたのです。手先が器用で、たばこ臭くって^^; でも好きだったなあ。

私の手芸好き(といっても下手だけど)はちいばあちゃんの影響です。編み物は大学生のときに自力でかなり練習したのだけど、いつのまにか全部捨ててなくなってしまってます。またお孫ちゃんに編もうかな。マフラーとか簡単なもの。でもひそかに、お孫ちゃん2号ちゃんがリカちゃん人形を使いだしたら、ちょっとだけ手縫いでお洋服作ってみようかな。。なんてね。まあ、洋服は不得意だから無理かな。。。笑

そんな何世代にも続いて生きてきた人たちを思い出している毎日です。外に出るのはまだ控えているので、刺繍ばかりしてます。でもほんと楽しいのです。だけど刺繍で長い時間同じ姿勢にしていると腰をやられるようになってしまった。体操する大切さを感じる今日この頃ですね。

自分が年寄になってきて、母が昔私にいっていた

ピーターちゃんはピカピカ光ってるよ!

って言ってた言葉。そのまま長男夫婦に伝えたいです。長男もつらい顔しているときもあるけど、親とも上手に付き合ってくれてね。そしてお嫁ちゃまとお孫ちゃんたちと一緒にいる姿、長男家のみんながピカピカに光って見えます!そして母が言ったその言葉だけを若い私は聞いていたんだけど、今は母の気持ちがよくわかる。母は私の姿を喜びをもってみていたんだってね。

そんなふうに家族を思い出しながら、若い家族を見れていること。ほんとうにありがたいことです。
32歳になった長男くん!ほんとうに誕生日おめでとう!
君が生まれた3月13日は、ほんとうにポカポカ陽気で梅の花が満開になってね。横浜だったのだけど、私はなぜか八朔ばっかりたべていたんだけど、父も母も心配してくれて、出産のときは涙を流してね。そして

天使が生まれてきた!

といって大感激してました。ほんとうに天使でしたよ。
私はお孫ちゃん二人の出産時、運よくお手伝いにいくことができました。それぞれのときやはり私の父母が喜んでくれたように、天使がきてくれたことを喜んでた。ほんとうに天使なんだよ!孫ちゃんは!

私の人生の大事なときに一緒に過ごしてくれてありがとうね。
駐在で大変だったときにも、今考えてみたら長男君はほんとうに協力的で静かについてきてくれました。ありがたかったです。
私にとって長男君は「同志」みたいな存在でね。山の別荘にまだ赤ちゃんだった次男と三人で行ったとき、まわりにはまだなんにもないさびしいところだったから、本当は暗闇が怖かったんだけど、純真無垢な長男君が寄り添ってくれていたことでどれだけ心強かったことか!子供とは親を強くしてくれるものなんだなあとつくづく思います。

今は弱っていくばかりで情けない親ですが、
あと何年ぐらい何回ぐらい会えるのかわからないけど、なるべく迷惑にならないように、コロっと死ねたらいいなあと願うばかりですが、長男ご一家の幸せをずっと願ってます!
元気に過ごしてね!

長くなりました。もうすぐこの日記は書き込みができなくなるので引っ越し先をみつけなければならないのですが、どうしてものかなとも思ってます。

火曜日、11時から実母が今いる病院から次のリハビリ用の病院(介護施設併設)に移るということで、朝から東名阪、名阪国道経由していってきました。
火曜日までお世話になった病院は看護師さんがたくさんお見送りしてくださいました。母も具合悪くはなってないようで、お話はちゃんとできました。ただ車いすではなくもうベッドで移動です。

次の病院は妹が手配してくれたのですが、複数あった中で、介護施設も併設ということで、そちらの方が便利がいいので私もそこに手をあげていました。看護師さんも担当のスタッフさんもとても親切で、ドクターも優しい感じ。看護師さんとの信頼関係もあるみたいなので安心しました。
見晴らしはまあ、山側なので奈良の町を見下ろすという感じです。

母とも久しぶりに対面で話ができました。手も握れたし、行ってよかったです。なんだか涙ぐんじゃいました。いつも私が遠くから来てることとか、病気のこととか、3つチェック事項があってそれを確認してくれました。笑
まだ完全にはぼけていないのはうれしいです。すぐ忘れてますけどね。

それから、妹と転院の手続きをして、15時ぐらいにバイバイしました。母とはまたしばらく会えないです。でもかわいらしいおばあちゃんになってる母を周りの方が見守ってくれていてありがたいです。前の施設は結構ほったらかしだったので、今回の病院には少し期待したいです。

コロナがなければ、千葉にもいってNちゃんにも会いに行きたいです。それに母のところにももっと頻繁にいって、一緒になにか手芸、簡単にできるものをしたいですね。今回、クッション2つ必要ということで、名前を刺繍したものを届けました。次回のときにはまた違うクッションを作っておこうと思います。

腰が痛くならないように、朝は座薬をしておきました。それでもまだ痛いのですがやや軽減されているので、母にはばれなかったのでよかったです。妹は痛々しいねといってました。

雨もじゃんじゃん降ってきたので妹ともバイバイして大阪の実家に。下道を走っていきましたが(すっかり適当に走ってもだいじょうぶになりました。)
府道2号が千里中央あたりものすごい事故渋滞でしたが、これもちゃんとほかの道を通って避けて。道を覚えるのが好きなので、奈良も大阪も三重も結構いけてる!みたいな気持ちになって楽しく運転してました^^

で、実家に戻ると寒い寒い。
一戸建てってこんな寒いんだなあ。。ってね。ちょっと荷物を整理しようとするも、寒くって寒くって。お風呂も氷風呂に見えるぐらい寒そうだし。結果、二階にあがって電気毛布つけて温かくして寝ました^^;

翌日は相変わらず寒いのですが、戸を開けて換気もして、玄関の掃除をして、異常に幅をきかせてきた水仙を始末して。。笑
でも水仙の球根まで根こそぎ処分はしいなかったので、次きたときにはまたにょきにょき毒の葉っぱを成長させ、毒入り球根も増やしているんじゃないかなあ。。。

近所の方がお声がけくださって、いつもお手入れしてくれてるんですね。的なことをおっしゃっていたので、やはり空き家であることをご近所は気にしているんだなあと。温かくなったらまたこまめにこないとね。
実家だけならいつでも来れますが、ガソリン代がかなりの高額になっているのには閉口です。年金生活に近い状態なのでこういうお金が負担にはなっているんですが、今回は高速代を節約しておきました^^ まあ、下道、国道のドライブも結構好きなので^^;

で、途中休憩したりして、実家を出発したのは15時ごろ。ちょうど小雨が降ってきてしまい、玄関先掃除した後だったのでよかった!と安堵して、ゴミを乗せて帰路につきました。帰路は国道163号経由、木津川から伊賀経由で名阪国道に入って、東名阪自動車道で。桑名についたのがちょうど19時過ぎだったので、イオンによって夫さん用のお刺身とか、30%引きとか半額になっているものをたくさん仕入れ、マンションの下でゴミを捨てて、帰宅し、夫さんの食事の用意(といっても簡単簡単!)してから、寝ました。

こちらのマンションはやはり温かいのでありがたいです。
今日は腰が少し痛かったので、お風呂に入り自己流の体操をして、おなかと背中に筋肉がつくようにして。。。お洗濯にお掃除に刺繍をして、いつもの生活です。

そうそう。。。。
この日記、管理人さんがやめられるという案内が入っていて、今年の3月末で記入ができなくなります。閲覧はしばらくできるみたいですがそれも、つかの間かもしれないので、引っ越し先をどうするか悩んでおります^^;


北京オリンピックは終わりました。なんだか白けたところもたくさんあったけど(運営上の)選手のがんばりはほんとうに伝わりました。とくにスピードスケート。高木美帆選手。すごかったです。

で、そのほかは特に私の予定はないので、母の新しい病院および施設用にクッションが2個必要ということで、クッションに刺繍で名前をつけたりで。あとは夫さんのゴルフの練習の送り迎えも1日だけ。あとは夫さん自力(といってもご友人の送迎)でどこかのゴルフ場に行かれたみたいですが、私は家にいました。

なので、体がなまってしかたないのですが、今週はずっと腰痛に悩まされていました。先日行った病院では、椎間板が薄くなってますとのことでロキソニンの処方だったのですが、次回の予約もないし、インターネットで調べてみたら、やはりなおす方法は、骨に骨格となる金属を入れるしかないみたいな?大がかりなことなので、仕方ありません。付き合うしかないですね。ですので、ベッドに寝転んで少し筋力をつけるために軽い運動をすることにしました。
すっかりおばあさんの歩き方で我ながら情けないですが、これも仕方なしとあきらめます。

妹から来月頭に奈良にいる母が転院するとのことで、クッションもって大阪にいくことにします。そろそろあたたかくなってくるので、またカビが生えないように、エアコン(ドライ)をつけてこないとね。

2022年になったと思ったら、もうすぐ2か月が経過します。すごい勢いです。どんどんと年寄まっしぐらです。いやすでに年寄ではあるんですが。

いつか誰かが言っていたのですが、人はちょっとずつちょっとずつ年を取っていくんだよってね。そして今現在が一番若いんだってね。そだよね。頭ではなく体で理解することができていますが、それでもこれからは体にとっては辛いことが多くなりそうです。

夫さんと先日話をしていたんですが、私はいろいろと考えすぎちゃうタイプで、しかもいろんなことが自分が原因とかね。どうしても自分がどうすべきかという若い時からの習慣で考えてしまう。ああいわれたからこうしないといけない。ああいってるんだから、こうあるべきとかね。
でももう年取ってきてるんだし、あんまり追求しまくっても仕方ないのかも。いやほんと、過ぎたるは及ばざるがごとしだなあと。なんにもしてないよりもひどい感じになっちゃう。かもね。

夫さんは意外と楽観的な部分が多くて、なんでそんなに自分に好都合に考えられるのか?と疑問に思うこともある。逆に私は自分に好都合はよくないと思っているから、漁夫の利みたいなことをしないようにしてるんだけど。結果、なにもかもひきさがってしまう態度になるんだよね。

でもそれでもよいんじゃないかな。私はそういう風に生きてきたんだから。
ただ、ここにきてそれがしんどい!って思うときが何度もある。それは、死ぬとどうなるか?とかこうすると死ぬんじゃないか?みたいな気持ちににていて、要するに考えても答えが出ないし、今はそういうこと考えても仕方ないみたいなね。

だから、夫さんがいつもいうように
「これでいいのだ」
と思う練習をしないとね。
くよくよ考えずにこれでいいのだ。これが必然だったのだとね。

そんなたいした人間でもなく人生でもないのですから。

そうそう。
夫さんとよく仏教の話をします。
仏教徒といっても謎がおおい。夫さんもよくお寺の住職さんと押し問答をしてみたいと言います。
宗教をなぜ人は求めるのか?

先日二人で話したとき、
「愛も欲であり、悟りにとっては不要な存在」
であるときいて、ほんとうだなと。私にとっては、子育て、子供への愛、それも欲にまみれているんだなあってね。
悟ることって、大変!いろんな欲を捨てないといけないけど、まず何が欲なのか、自分にある欲とはどんな感情なのか?とか、基本の基本を考えないといけないんだなと思ってました。
無欲っていうけど、その意味は今までちっともわかってなかったように思います。自分は欲にまみれているんだと自覚することから始めないとね。

夫さんの大学のときのクラブ日誌、夫さんよりも先輩の方々の父がコーチしていたときの世代の方の日誌に
「思考は敵だ」

ってあって、あだ名がナウマンさんという方が書いたものだったので「ナウマン哲学」と呼ばれていたのですが、それ、まさに今必要な最重要なことです。要らない思考だけじゃなく、一見要るように思える思考だって今の私にとっては不要なんだってね。敵視するぐらいじゃないと、体がもたないし、安らかな死を迎えられないです。

要するに、考えるより先に体を動かして、趣味もよし、家事もよし、買い物にいくもよし。掃除もよし。でもガソリン高いからドライブはできませんけどね。さびしいからサービスエリアを特集している雑誌などを買ってドライブした気になったりはしています。

病院変えました

2022年2月17日 日常
糖尿病の病院、千葉から三重に転居して、この2年間、とりあえずという感じで近くの病院に行ってましたが、いろんな病気持ちなので、やはり総合病院のほうがよいということと、最近新しい大きな病院が津波のこないところにドカンとできて、そこに行きたいなあと思っていたこともあり、思い切って変えました。
今日はかなり腰が痛いので、ついに整形外科にもこれました。先生が優しいお人柄でうれしいです。
あとは内科ですが、さきほどから診察室からは明るい声がしているので、なんとなく安心しています。
整形外科では、骨折などはないものの、やはり加齢とともに脊椎の間にある軟骨、いわゆる椎間板が薄くなってきているとのこと。
それで、ロキソニンをかなりたくさん処方してくださり、ラジオ体操をしてくださいね。といわれました。次回の診療の約束はなしです。
内科はこれからです。
久しぶりに手作りお菓子つくりました。
クッキーにチョコナッツとチーズスティックぽいものです。
クッキーは、本屋さんで売っていたムーミンの型抜きを購入。
ナッツなどをいれた生地にしたら大失敗。割れてたものが半分以上になってしまった。それにアイシングしようとしたら、これ初めてだったのですがかなり難しいというのが判明。クッキーがすくなかったので、練習もできずで、かなり悲惨なムーミンに。3個ほどやってやめました。笑

結果やはりチーズスティックがよかったよもう。それだけにしとけばよかったかなあ。時間は案外かかってしまい、4時間立ちっぱなしは年寄りにはきつかったです。

来年からはチーズスティックだけにしましょう!笑

鍋に湯煎して溶かしたチョコレートが、固まってしまった。どう始末をつけましょうかね。照

治りました!

2022年2月11日 日常
熱はでませんでした。
一日ゆっくりと寝たら元気になりました。昨日、一昨日はしんどくて不機嫌なのでした。夫さんすみませんでした^^;

とはいってもこのように寝すぎた後は必ず腰がやられます。
今日は夫さん言うところの
チャンピオンベルト
(腰痛用ベルト)
を付けています。おかげでちゃんと歩けます

今日は男子のフィギュアスケートのフリーがありました。
羽生結弦選手とても素敵でした。もともとフィギュアスケートなんてそんなに見なかったのですが、羽生結弦選手をみてからはとても好きになったのです。なぜならば、それまでの男子の演技ってなんとなくがんばって回転とかしてるんだけど、音楽に合わせてというよりもそちらの方にがんばってる!っていう感じですね。芸術性というか見ていて、回転はすごいなあ!スケートできるのすごいなあ!って思っても楽しむ!って感じじゃなかったのですね。
でもゆずる選手は違いますよね。音楽の流れに逆らわずに滑らかに、まるでそれがすべてオーダーメイドで作られたようにぴったりとフィットして流れていく演技。すばらしいなと。今回はクワトロアクセル失敗しましたけれども、やはりその点からすばらしい演技がみれたのですから!
でも彼の出現で、ほかの選手も変わってきたのも事実です。優勝したチャン選手、この方もちょっと前まではカクカクした演技で、そりゃ回転はすごくってもこれじゃあなあ。。みたいな?でも今日みたら、格段に演技力もアップしてる!これは羽生結弦選手効果ですよね!ほんと素晴らしい発展に寄与してくださったと思います。

表情から引退も考えているのかなーー。それだと寂しいなーーって思ってますが、鍵山選手も宇野選手もこれからがんばってくれると思います!

ということで、ハーフパイプの女子も銅メダルでたし、ボチボチですがメダリストも増えてきてめでたいです。

風邪気味

2022年2月9日 日常
軽く咳がでますが、メインリー身体が痛いです。
昨日買い物行った時も、胸の辺りや背中が痛くて歩くの辛かった。熱はないと思いますが眠いし寒気はするしで、とりあえず寝ます。
新疆ウィグル地区問題があるものの、やはり放映は見てしまいますね^^;;
日本人選手、寒い中がんばっておられます!
ジャンプの小林選手は金メダル!本当に強いんですね。
フィギュアスケート団体銅メダルも、感激しました^^
モーグルは激しすぎて、すごいなあ!という感嘆の気持ち、
ジャンプ女子も高梨選手残念でしたが4位もすごいですよね。
たくさんの競技があるみたいですが、スピードスケートがすごく楽しみです。パシュートもそうですが、転倒があったりと激しさマックスですものね。

ということで、刺繍もしながら、のんびりとした時を過ごしています^^
昨日は雪が降ったみたいでとても夜寒かったです。
今年は本当に寒い冬です。
少し日は経ちましたが、1.21に33周年!
二人でずいぶんと続いたねー!と言いながら、船津屋さんでランチしました!

もう何度か書いたかもしれませんが、結婚にいたるまでの経緯を少し書きます。

夫さんと初めてデートしたのは、1987年の12月だったと思います。ボート部の先輩ご夫妻の仲立ちで、半分お見合いみたいな感じで新宿の五味八珍だったかな?そういう名前の焼き鳥屋さんで初めて会ったのです。そのあと新宿京王プラザホテルの最上階のラウンジにいき、フルーツプレート食べたかな?笑

私はその頃は独り身で、長く付き合っていた人との交際を親に反対され、結局は破局した!という状況でした。が、長かった分、最後のほうでもう心の踏ん切りがついていたので、切り替えは早かったです。もちろんしばらくはウジウジしてましたが。なにせまだ27歳でしたが、30になってしまうとやばい!早くお相手を見つけないと!という感じもしてました。誰に言われるでもなく。結婚願望というより、独立したい。という気持ちと新しい家族への期待みたいなものかなあ。笑
あのころの自分は恐れ知らずでしたよ。今振り返ってみたら。

姉がお見合いでことごとく失敗していたので、私は一人目から真剣に!と思ってました。しかし、初回は、スケジュール確認の不足のため、私が一週間後だと思い込んでしまい、夫さんを雪の中かなり待ちぼうけさせ、私は会社関係の集まりで外泊しており、おまけにその時は三鷹に一人暮らししていていて、電話なども無かったので、山から降りて帰宅したら、電報がきていて判明した!というかなり焦る状況でした!
思い起こしてみても時代だなあって。

それで仕切り直しで、新宿で会ったのです。
夫さんは、そんなこともあったので、さして私のことは気に入って無かったかもね。私は父が気に入っていた夫さんがどんな人だろう?と思って、昔の記憶を辿って、たしか、ボート部の資料、東大戦のパンフレットとかでみた同じ苗字の方を思い浮かべてたのが、送られてきた写真が異なる方だったので、んー、どんな人だったかなあ。なんて感じで新宿の改札口で会ったら、それがまたなんというか、刑事コロンボ風な人で、結構それは点数高かったのですよ。笑
若いのにお父さん的なね。


でお付き合いしてまあ三ヶ月ぐらいには婚約しました。それが春だったかなあ。仲介してくださったボート部の父の後輩であり、夫さんの先輩である方の知っているお店、ビストロオヂという、一軒家で借り切りのお店、荻窪にありますが、そこではじめて夫さんの親ともご対面でした。ちょっと値踏みされた感があったり、違和感ありましたが、まあこんなものかなあ。みたいな?
仲良しのご夫婦であることが、もっとも魅力でしたので、その点は将来への保険みたいなものをいただいたように思ってました。ここ、わたしには大事だったのです。

今考えても、結婚って博打みたいなもので、ほんとどうなるかわからないですけど、やはり最後の相手の親をみて最終判断というのはとても大事だと今も強く思います。屋台骨がしっかりとしている家庭で育ったひとは、親の姿を見て毎日の平和な生活をしっているのですから。夫婦が仲良しでも子育て通して色々あるもんです。
それに二人揃って立ち向かっていける土台を持っている人が大事ということを意識していた若い私の判断は間違いなかったように思います。もちろん反面教師から学んだことです。

それで、婚約期間は長くて、1988年の春から翌年の1.21の結婚にいたるまで、まあ無事に婚約破棄などには至らず、過ごせました。色々あったけど。
で、結婚してから七月ごろに妊娠がわかり、私も仕事をしていたのですが、9月には退職。翌年3月出産でした。それが長男です。

結婚してから、船橋の社宅にはいったのですが、妊娠期間中に、妊婦さんグループができてある中にいれてもらい、その中にNちゃんたちがいて、それぞれ夫さんが仕事でいない状況で、しかも関西あたりから上京してきているという同じような境遇だったので、すぐに仲良しになって、そのお付き合いがいまも続いているんですね。長くお付き合いしてもらってます。改めてありがと!iさんもTーさんも!

で、出産したのは1990.3で、そのころはバブルの終わったころで、私たち、もう少し待てばよかったのですが、新居を手に入れないと!と焦っていたんですね。今、長男夫婦がそんな感じがみうけられるんぇすが、私たちはそのときやめておけば、高いローンを背負うことなかったのですが。、、

しかし、ローンを背負うというのは、特に夫さんにとって、もう会社から離れることはできないと、覚悟みたいなものができたキッカケになったみたいです。
ローンがなければ、というか、家を買わずに駐在にいっていたら、どうなったか?と考えるとそれはそれで友人との関係がどうなっていたか?と考えると、やはり買った方がわたしは良かった。つまりは、わたしたちが家を買ったあとすぐ近所にNちゃん、少し離れたところにIさんがマンションを買ったので、それぞれが駐在になって日本から離れても、また帰ってきたら、同じ千葉なのですくま会える!という状況だぅたのて、寂しさもなく、行ったり来たりできたんですね。みなさん、それぞれに柔軟性がある方々だから、たとえ遠くに離れていても会えたとは思いますが、特にNちゃんとは、二人でその後たくさん時間を共にしてきたので、その点本当に良かったと言えます。しみじみ。

で、まあこんな感じで、夫さんフィンランドへの長期出張(一年ぐらいですが、三ヶ月に一度しか帰ってこない生活)、インドネシア、ヨルダンと2回の駐在と、7年にわたる夫さんのヨルダン単身赴任をのりこえて幾星霜。フィンランドの長期出張のときに次男ができて、1994年に出産して、インドネシア駐在のとき1歳二ヶ月の乳児と幼稚園児をかかえて、今でいうワンオペ?で飛行機に乗っていったりね。
大使館の方の引っ越しとは異なり、民間の企業の駐在は、まず夫さんが先に仕事に慣れるというのが原則で一ヶ月以上経たないと家族はいけないのです。ですので、銃後の母状態がしばらくつづき、その間に引っ越し、パスポートとりにいったり、車処分したりと、国内なら残しておけるものも外地なので何一つ残してはおけないものばかりで。インドネシアのときは車の処分と家を賃貸にしたりと、かなり色々しなければならなかったです。父がひとこと「夫くんや夫くんのご実家はなんにもしないんだな」と呟いていたのを苦笑いしながら聞いたことがあります。でもこれは事実ではありますが、夫さんは夫さんで駐在先で学校の準備したり、家族を迎えるある程度のことはしているのです。
一方、大使館などは同時赴任なので、妻子供の面倒は、駐在先にいる奥様方に全面的にお世話になることになります。まあ、どっちがいいかですね。夫側のストレスとか考えると民間方式の方がよいかもね。

ということで、引っ越し大変だったし、それ以上に子育ても色々あったなあと。
あとのイベントは些細なことから大きなことまで、全部が、苦難は忘れてよい思い出になってます。いやもう全てが今ある私たちの歴史になっているから、重みがあることかもしれないです。

そんな感じの私たちでしたが、今はかわいい孫ちゃんもいるし子供二人は無事にちゃんと独立してくれているし。やはり気持ち的には幸福感に満たされています。
だから二人で小さなお祝いをすると、なんとなく嬉しいのです。
積み重ねてきたものは小さいものばかりかもしれませんが、なんていうか、部活のような、共同作業をやり終えたというかね。達成感があります。

という感じで
地元の船津屋さんというレストランでランチいただきました。
予約時に結婚記念日と、用途をかいておいたら、最後のデザートのお皿に

Happy Aniversary!

とチョコレートで書いてあって、心遣いが嬉しかったです。

そのあとわたしだけ、四日市の近鉄デパートに電車でいき、
おばさまのお見舞い、
遠い父の知人のおばさまへ、お供えのお菓子
四国の山の業者さんに差し入れのお菓子

を買ってきました。電車は久しぶりでしたがらこのところのコロナ、オミクロン株の爆発的流行のため、用心して乗りましたが、マスクしない人もいたりで、車では感じない恐怖も体験してきましたよ。

翌日までに、おばさま方に手紙をしっかり書いて、宅配にして、翌日夫さんゴルフ練習の帰りに送りました。久しぶりのお手紙だったので、下書きをしてしまいました。いつもおもいますが、手紙ってほんと大変な作業ですね。わたしは特に長く書いてしまう傾向があるので。

気分的はさっぱりしましたが、生活的には、今は超早起きで、昼間に不定期に仮眠とるという、相変わらず変な生活パターンで、やや身体はお疲れ気味みたいです。そのため日記の更新も遅れてしまいました。

寒い日が続いていてエアコンをつけないため、ソファーに敷いた電気毛布の上から用事以外は抜けられないのも少しよくないかなあ。
そのため隙があれば刺繍刺繍しています!

荷物搬入

2022年1月17日 日常
先週、奈良の母の施設退去に伴う荷物を搬出しましたが、先週金曜日は大雪であったため、追加料金かからないように、土日ではなく、本日月曜日午後から、義実家に一時預かりしてもらうことにして搬入しました!
中型トラックだったか、すごい大型ではないものの高さがあったので、ヤマトの方が駐車場には入れられないとのことで、とりあえず荷物の入ったカートだけ下ろして、トラックを裏の大庭にが案内したかったのですが、途中の適当なところでとめたと言われたので、とりあえずささっと全てを家に入れてもらい、ささっと終わりにしました。
地図を用意しておかないと口頭ではわからなかったかなあ。と。

とにかく用事を終えて、買い物のために御在所サービスエリアにいき、残念ながら希望するお菓子はなかったのですが、代替品を手に入れて、それから、またイオンまで戻り、買い物や銀行で記帳して帰宅しました。そらから夕食の支度してると夫さんが帰還。夕飯後、隋時代のドラマを観て、眠くなってきました。

明日は寒くなるみたい。また雪ふるのかな?
母の入っていた介護施設、退室になったので、
あらかた妹が整理してくれたのですが、大型の家具を義実家に仮置きすることになり、それをヤマト便の単身引っ越しパック?で送ってもらうために、搬出しに行きました。
時間指定を15:00-18:00でオプションでお願いしていたのに、午前中から早めに行きたいという電話があり、仕方なく早めに出ました。

外は雪になってましたが、積もるほどではなく、また、東名阪自動車道よりも、名阪国道の方が雪もなく、無事順調に奈良市内に着きました。

それからまたヤマト便さんから連絡入り、さらに早く行けないか。ということで、13:30過ぎに施設で待ち合わせしました。

ヤマト便はインターネットで見積もりと予約をしてしまうのですが、1カートに入りそうにない分はオプションという形で見積もるんです。今回は120cmのタンスがオプションになり、プラス1マンちょいぐらいで、結局37000円という見積もりでしたが、無理無理詰めてもらい、諦めていた家具も全部入れてもらって26400円で収まりました!良かった良かった。

で、早めに終わって、早めに帰宅しようとしましたが、伊賀上野のあたりで眠気マックスになってしまい、仮眠をとってから、イオンに寄って帰ったら、夜8時になってしまい夫さんはすでにヘベレケ酩酊状態で。汗

私は夫さんが寝てから一人で刺繍を楽しんでました。

再再度壁塗り

2022年1月11日 日常
義実家の母家の壁塗り。
今日、成人式も、まず夫さんのゴルフ打ちっぱなし練習。
その後に、塗料を買い足しての塗り塗りです。

結構楽しいです。
仕上がりも、少し離れてみると、エイジングを施したような、私好みなんですね。
でも実際のところ、この壁は本当にぼろぼろなので、正直、内側の土壁が崩れてきそう。玄関の奥の方は実際に崩れ落ちて斜めになっているところがあったりします。

それでも二人で塗り塗りしてると、なんとなく楽しいんですね。
なぜなんでしょうね。二人で協力して作業できるのもいいんでしょうね。
もし、一人で全部やりなさい!と言われたら、苦痛になっちゃうかも。
いいですね。共同作業ができるのは。

ということで、
夫さんのゴルフ練習のときは、刺繍をして車の中で待っているんですが、その時から日の入りまで、あっという間でした。

帰宅して夕ご飯作って、夫さんは今日は飲む!と言って先日買ったカティサークをお飲みになられたら、そのあと二人でAnne with E 赤毛のアンのシーズン2みながら、居眠りされてました。起こして、中華ドラマをまたつけて、しばらくしたらまたすやすやと居眠り。結局、私だけが見てました。笑

明日から夫さんは出勤です。

再度壁塗り

2022年1月10日 日常
母屋の壁塗り、と言っても杉板部分の腐食どめの塗料です。
夫さんと二人で。
私は結構家のメンテナンス好きですね。
夫さんと協力してやるのがとても楽しいです。

そして二人で帰宅したら食いしん坊の二人はご飯を食べて、テレビを見てり私は刺繍をしてと。

家事もやって、のんびりしていたら今日という日はまた過ぎていき、もう一月も10日過ぎてしまいました。

土曜日は

2022年1月9日 日常
夫さん、ゴルフ打ちっぱなし練習の日、
その間、次男くんのゲームお友達でいつもすごく立派なピーマンを何故か私たち親のところに送ってくださる方がいるんですが、その方にクリマロさんのクッキーを送るため、お店にGO!してました。
急ぎゴルフ場に戻ってギリギリお迎えセーフ。
それから義実家にいき、近くのカインズで、落ち葉拾いに便利そうな道具を買い、ついでに洗剤など生活必需品も買い揃え、義実家の石庭のお掃除。といっても実際は、壁の防腐剤塗を夫さんにお願いし、わたしは母屋の掃除とワックスがけを先にしていました。防腐剤はかなりよい感じで塗れていましたが、防腐剤が足りないという感じになったので、また明日くることにしました。落ち葉も思うようにうまくは取れなかったので、少し時間をかけないとダメみたいです。

17時の音楽も鳴り出し、寒くなってきたのでとりあえず終わり、イオンで買い物して帰りました。ご飯を食べたら、急激に眠くなってしまいました。笑

今年初の刺繍はお花がモチーフなんですが、遅々として進まず、のんびりやっていこうと思います。

メバチコ、ものもらいは、保存料無しの抗菌剤をつけていれば大体は小さくなっていきます。今回もさほど大きくならずにすみそうです。

1 2 3 4 5 6 7 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索