おめでとう!長男くん。
もう二人のおこちゃまもいて、すっかりお嫁ちゃまといっしょに父として大活躍ですよね。お嫁ちゃまとの七転八倒しながらも一生懸命生きている姿をみるにつけ、あるいは感じるにつけ、本当にうれしく思ってます。子供が結婚して家庭を順調に守ってくれてる姿を見れることは親として最高の喜びです。ほんとありがとう!毎日感謝しています。

今60歳になって感じるのは、やはり自分の父や母が私と同じような立場だったときに孫である長男くんや次男君にしてくれたことです。
子供の時とすっかり考え方が変わるのは親になったときで、今さらにその次の姿になるというか、孫ができることによって祖父母という立場になって、また新たに感じることがたくさんあるということです。その中の一つに自分の親が自分の子供たちにしてくれたこと。

私の父は子煩悩な人で、子供はいくらいてもよい!といって年上の母を困らせていたみたいです。でもほんと元気な父だったから、それはそれは娘としては小さい時はうれしかったです。身体をつかっていっぱい遊んでくれた。
旅行に行ったときには山ほどの荷物をできるかぎり父がもってね。だから結婚したときに夫さんが荷物を全然持たない人だったからびっくりしたものです。今、長男くんが率先してお荷物を持っている姿を見ると父と重なってくるのですよ。ほんとたくましくなってくれました。うるうる。
そして、本好きだったところは夫さんにそっくりでね。これはこれでよい習慣がついている!ってうるうるします。私が本は苦手なところがあったので、それがいやでいつも長男君に本を読んであげていた。それを今度は長男君がお孫ちゃん1号くんにしているところを見るとほんとうにうるるです!それもいつも喜びをもってみています。いや、次男君はまだ結婚してないのだけど、同級生の妹ちゃんたちに本を読んだんだよという話を聞いたときもすごくうれしかった。きっと次男君も本読みするんだろうなーーって考えるとこれもうれしいです。

いや、ほんとうにうれしいことばかりでね。
父が目を細めて長男くんをよしよし!と抱っこしていたり、運転手さんの車でいろんなところに連れて行ってもらってね。そのときはずっと父が長男君をだっこして寝かしつけてくれてた。もう片時も離れたくないっていう風にね。

いつも夫さんが言ってくれるんだけど、夫さんと結婚して孫を二人作ったこと、それが一番の親孝行だよ!ってね。そうだね。父のお気に入りの後輩だった夫さんだったからね。

母もね。私よりずっと年上のときの孫なんだけど、今の私よりずっと元気で。それこそ伊豆にいった帰りに私の運転する車の後ろ座席に長男君といっしょに笑いながら楽しんでいた時間。その母も今は元気もなくなってね。なんだかとても時の流れの速さも感じてしんみりきます。

長男君と次男君は4歳半離れているので、長男君はかなり長い間一人っ子状態でした。それに次男君が生まれて1年でジャカルタに駐在したので、ほぼほぼ長男君一人がかわいがられていた4年半でしたね。
ジャカルタやヨルダンから一時帰国するときは空港に迎えにきてくれたこともありました。

何年か前、まだ大阪の実家のお隣のお家のおばさまが生きていらしたころ、
「ピーターちゃんはあっちいったりこっちいったり、ほんとうに活動的で、まるでお父様みたいね!」
と言われたときはなんだか嬉しかったですが、ほんと父は最後の最後までよく歩きよく動いていました。

だから、長男をあっちこっちに連れていってね。旅行も伊豆はたくさんいったし、東北は蔵王、青森、角館などね。もちろん四国にもいったし、いろんな高級旅館に泊めてもらいました!

そんなときに父がどんなに孫を大切にしてきたか。それを今は夫さんに重ねてみてます。私と二人でお孫ちゃんの話で盛り上がることも多いのですが、夫さんという立場とはまた違うおじいちゃんである夫さんは、結構お孫ちゃんにメロメロで優しくってそのような姿を見れたのもうれしいことなんです。
そして夫さんが長男君のことを心配したりほめたりね。子供のときとは違う長男君を改めてがんばってるね!って。そういうふうに子供を褒め合えることはとてもうれしい時間だなあって。

もちろん次男君の話もするんですよ。次男君はやんちゃな時期もあったけど、それが結構懐かしい思い出でね。私たちにとって。それを乗り越えていったことは確かに夫さんと私のしっかりした思い出としてね。残ってる。思い出だけじゃなく、二人の歴史っていうのか、大事な積み重ねっていうのかな。そして次男君も連絡ないけどどうしてるかなーーとかね。
できれば次男君も結婚しておこちゃまにめぐまれて、そして私が経験して今にいたるように、長男君も次男君も、子育てを通して自分の親のことを思い、孫との時間を通して、祖父母だった私たちを思い出してくれたらうれしいな。きっとそのような思い出は懐かしいものだけでなく、そのときには私たちはいないかもしれないから甘酸っぱい思い出になってるんだろうなとも思いますよ。

京都の大神宮から春分の日に祖母の妹(私はちいばあちゃんと呼んでいた。一番仲良しだった)の50年祭の案内がきました。私は今年還暦だから私が10歳のときに亡くなったなんだなあと。たしか64歳で胃がんで亡くなっていたと思います。私はこのおばあちゃんが好きで、遊びにきてくれては、ビーズや毛糸の編み方とかを教えてもらったりしていて、たくさん遊んでもらったのです。ちいばあちゃんは独り身だったから、いつも家でりかちゃんとかバービーちゃん人形のお洋服を手編みして作ってくれて、三人で取り合いになっていたのです。手先が器用で、たばこ臭くって^^; でも好きだったなあ。

私の手芸好き(といっても下手だけど)はちいばあちゃんの影響です。編み物は大学生のときに自力でかなり練習したのだけど、いつのまにか全部捨ててなくなってしまってます。またお孫ちゃんに編もうかな。マフラーとか簡単なもの。でもひそかに、お孫ちゃん2号ちゃんがリカちゃん人形を使いだしたら、ちょっとだけ手縫いでお洋服作ってみようかな。。なんてね。まあ、洋服は不得意だから無理かな。。。笑

そんな何世代にも続いて生きてきた人たちを思い出している毎日です。外に出るのはまだ控えているので、刺繍ばかりしてます。でもほんと楽しいのです。だけど刺繍で長い時間同じ姿勢にしていると腰をやられるようになってしまった。体操する大切さを感じる今日この頃ですね。

自分が年寄になってきて、母が昔私にいっていた

ピーターちゃんはピカピカ光ってるよ!

って言ってた言葉。そのまま長男夫婦に伝えたいです。長男もつらい顔しているときもあるけど、親とも上手に付き合ってくれてね。そしてお嫁ちゃまとお孫ちゃんたちと一緒にいる姿、長男家のみんながピカピカに光って見えます!そして母が言ったその言葉だけを若い私は聞いていたんだけど、今は母の気持ちがよくわかる。母は私の姿を喜びをもってみていたんだってね。

そんなふうに家族を思い出しながら、若い家族を見れていること。ほんとうにありがたいことです。
32歳になった長男くん!ほんとうに誕生日おめでとう!
君が生まれた3月13日は、ほんとうにポカポカ陽気で梅の花が満開になってね。横浜だったのだけど、私はなぜか八朔ばっかりたべていたんだけど、父も母も心配してくれて、出産のときは涙を流してね。そして

天使が生まれてきた!

といって大感激してました。ほんとうに天使でしたよ。
私はお孫ちゃん二人の出産時、運よくお手伝いにいくことができました。それぞれのときやはり私の父母が喜んでくれたように、天使がきてくれたことを喜んでた。ほんとうに天使なんだよ!孫ちゃんは!

私の人生の大事なときに一緒に過ごしてくれてありがとうね。
駐在で大変だったときにも、今考えてみたら長男君はほんとうに協力的で静かについてきてくれました。ありがたかったです。
私にとって長男君は「同志」みたいな存在でね。山の別荘にまだ赤ちゃんだった次男と三人で行ったとき、まわりにはまだなんにもないさびしいところだったから、本当は暗闇が怖かったんだけど、純真無垢な長男君が寄り添ってくれていたことでどれだけ心強かったことか!子供とは親を強くしてくれるものなんだなあとつくづく思います。

今は弱っていくばかりで情けない親ですが、
あと何年ぐらい何回ぐらい会えるのかわからないけど、なるべく迷惑にならないように、コロっと死ねたらいいなあと願うばかりですが、長男ご一家の幸せをずっと願ってます!
元気に過ごしてね!

長くなりました。もうすぐこの日記は書き込みができなくなるので引っ越し先をみつけなければならないのですが、どうしてものかなとも思ってます。

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