親友のNちゃんとの昼食は喜んでもらえました。
この日は朝から大忙しでした。まずはホテルから船橋東武デパートに買い物に。それからIさんをピックし、Nちゃんのところへ。あいにくの雨となりました。
Nちゃんはすっかり筋肉が落ちてしまい、もうポキンと折れそうなぐらい痩せていました。食欲がとにかくないらしく、コースだったのですがそんなには量ないのに食べられないものをみんなに分けてくれたり。
最後のデザートは、お皿にメッセージをかいてもらったもので、それは喜んでくれました。
このお店のシェフさんは有名ホテルでシェフされていた方で、奥様と次男と幼稚園で同級生なのでした。お店はクリスマス仕様だったのですが、全てが品の良い飾り付けで、トイレもとっても上品で。
友人Iさんもこんな感じに新しい家はしたい!とおっしゃるほどで。お料理にも厳しいのですがどれもとても美味しいと褒めてくれました。我が事のように嬉しかったです。ほんとデザートまで完璧でした!
Nちゃんにもとても満足していただけて、無事お手製の刺繍も渡せて、さて前日の下見の成果をだしたかったのですが、とりあえず、私たちの出会いの起源である社宅。船橋なんですが、そちらを見に行きました。
運転中も、少し息が上がるといって窓を開けてもいい?とときどき酸素を取り入れたりしていました。心がきゅーっと痛みました。苦しいのだろうなって。
社宅はいまはなくて、マンションになってしまっているのですが周りにある光景にそれぞれの記憶が蘇って。とても懐かしくなりました。みんな妊娠中に出会ったのです。社宅は結婚して10年以内の家族しか入居できないところで。
関西からお嫁にきた人たちが多く、見知らぬ土地で、いつのまにか助け合って過ごした場所でした。
ここで出会えた方々がわたしには人生の宝物になったのです。長くお付き合いしていただいているのです。あのころ一生懸命子育てしていたころがキラキラしていました、
周辺のお店などを確認してから、運良く晴れてきたので、見浜園に行こうかなと、なんとなく南に向かっていましたが、途中、Nちゃんがもう帰宅したいと。なので急ぎNちゃん宅に戻り、別れを惜しんでバイバイしたのですが、すぐに電話があり、自宅なにきてお話ししたいと。なので、一瞬ご迷惑にならないかと迷ったのですが、結局お邪魔したのでした。
私たち的には楽しくお話ししたつもりでしたが、長居は無用ですよね。1時間、2時間近くいさせていただいたのち、改めてバイバイしました。
原発は乳がんでしたが、その後肺がんが出ての末期癌。ガン研でもう手の施しようがないと言われショックをうけていたところに、勤務している病院のドクターが抗がん剤治療をすすめてくれ、生きるために再び彼女は果敢なチャレンジをし始めているのですが、やはり弱っている身体には負担が大きいのだと思います。
食事のテーブルの間にある透明の仕切りが、目に反射するみたいで、正面にいる私がはっきり見えないと。なので視線が合ってないのはそのせいだから気にしないでと。
申し訳ないのですが、私の父もだんだんと目が見えなくなってきたことを思い出してしまいました。
痛みは本人にしかわからない。私たちは彼女が衰弱していることしかわからないけど、なんとかそばにわたしたちもついているよと伝えたかった。通じてくれていれば嬉しいです。
次はいつこれるかな。来年早々には来れたらきたい!と思いました。
それからホテルに戻り、翌日、今度は長男のお嫁ちゃまとホテルチェックアウト後に待ち合わせ。おまごちゃん2号ちゃんとも久しぶりの再会でしたが案の定泣かれてしまいましたがご愛嬌でふ。もうすぐ仲良くしてね!
新しいフレッシュな命は力強い輝きを放っています。お嫁ちゃまもいつものように素晴らしい優しさを見せてくださり、ありがたやです。本当にいつもご配慮いただいて。嬉しいです。でも無理のないようにともやはり願っています。
今回の買い物は、非常用品です。私がどうも心配性で、長男家族が被災したときに、とりあえず困らないようなものを買い揃えたくてね。
かなりの量になりましたが、一部は配送にしてもらい。。。
日用品を買う前にお昼になったので、椿珈琲店でお食事。2号ちゃんもモリモリと食べていてね。なんというか生を力強く感じました。
それから日用品を買い揃え、長男くんへの食べ物も。
また荷物がいっぱいになりましたが、車でお二人のマンションの前に。2号ちゃんが泣き叫んでしまうの覚悟でお嫁ちゃまににもつを全部運び入れてもらい、オババはおまごちゃんのたくましい足キックを喜んで受けてました。ほんと、前日との違いよ。。。。
それでお嫁ちゃまとはバイバイ。またね!今日もお付き合い下さりありがとうございました。感謝&バイバイです。
そのまま高速道路にのり、夫さんに電話連絡。もちろんナビでの通話ですが、はなしをしていると、いつのまにか湾岸高速道路から東名入る道2箇所チャンスあるんですが両方とものがし、どんどん南下したのでまあこの方向でもっとも効率的な道、鎌倉に抜けていきますか!みたいな軽いノリで朝比奈インターで降りて夕暮れの鎌倉越え。久しぶりに都会のそばの地方都市の車での混雑を感じつつ。由比ヶ浜あたりで完全に陽は落ちたのですが、江ノ島のしょぼい?イルミネーションも見れたし、なんとなく観光した気分にもなり。鶴岡八幡宮は、長男がまだ小さいころに父ときたなあとか、次男を妊娠したのがわかった初期ぐらいに、長男がかまくらを見たいと言ったので、江ノ島にきたら、お母さんかまくらはどこ?といわれ、初めて絵本で読んだ雪のかまくらだったことに気がついてごめんね.違うかまくらにきちゃった。と説明していたあの日。電車で総武線快速のグリーン車で二人で来たんだよね。かわいかったなあ。つくづく。。。夫さんはあのころまだフィンランドに長期出張の繰り返しで、三ヶ月に一度しか戻れなくてね。フィンランドによく電話をしていて、通信費が五万円超えたこともありました。インターネットがある今ではそのようなことはありえませんが。
そんなかんなで思い出にひたりつつ、江ノ島渋滞が終わり、茅ヶ崎に向かいましたが、ここでも看板というか標識をたよりに高速道路に乗りたかったのですが、東名高速道路への案内が足りないので疑心暗鬼になり、結局相模川を北上し、本厚木から東名高速に入りました。ほっ。
それからは新東名に入り駿河湾沼津サービスエリアで夜を越して翌朝、再び東名高速道路に入り、ここも昔はよく通ったなあと懐かしく走り、走っているうちに、そういえば東海地方のTVで紹介していた天津甘栗のお店が碧南市にあったなあと。方向的には三重県からは遠いので、帰り道寄ってみよう!と岡崎インターで降りたのですが、すでに意識が東海地方にフレンドリーになっているせいか、岡崎城とか八丁味噌の蔵とか、あーいいね!いいね!と通り過ぎ、安城市とかもどんな街かなあーと興味津々で。
無事碧南市にはいり甘栗やさんも発見!うん。大量に買おう!とおもいましたが、1人2000円までだそうで。。誠に残念、しかし出来立てをいただいたら、ほくほくでほのかにあまく。冷めたらもっと実が引き締まって美味しくなったのですが、栗好きにはたまらないなあー!って思って幸せに。
それからは一路北上すると、見慣れた国道23号に入れたので一安心して走っていたら事故るんじゃないか?と思えるほどの眠気がきたのでコンビニで休憩。2時間ぐらいねてしまいました。それから頑張って帰宅。
帰宅したら掃除と洗濯をして、夫さんが洗濯してくれていたものにアイロンもかけていたら、夫さんが帰宅。それからはいつも通りで、夕食しとお風呂準備して、プールに行ってきた夫さんと和やかな夕食をとりました。
夜は早めに寝ました。
翌朝、つまり今日ですが
夫さんの歯医者さん、私が通っている大阪の歯医者にいくため、また車で。ガソリン入れてから、出発!高速道路降りて昼食たべて、実家に入って、寝床のセットをすませ、歯医者さんに。
歯医者さんは新家屋になってとても広くなってました。
夫さん結局、抜歯になり、歯を作ることはなかったのですが、ドクターの無痛でささっとやってのけた技術力の高さとお話の上手さは褒めてくれました。うんうん。そうなんですよね。素晴らしい歯医者さんです!
で今は実家です。
阪急オアシスで夕食を仕入れて、実家の二階で食べました。この実家に夫さんがくるのは久しぶり。私がいつも一人で過ごしていた部屋で一緒に馬鹿話するというのも味があるなあと。
そしたら夜、妹からメッセージがあり母の調子が悪いと。
どうもそのあと姉とも連絡とって推測するに、施設側が病院を退院した母の具合があまりまだよくないのにこの状態で退院は時期尚早と思っているみたいな気配。とりあえず明日母に異変があったら、急遽奈良に向かおうと思います。
母に電話したら、寝ていたみたいで、ぼやっとした話し方で、本当に私と認識してくれているかなあと思ってしまった。来週火曜日に面会予約入れてるから会えるよ!と伝えておきましたがわすれちゃうんだろうなあ。
この日は朝から大忙しでした。まずはホテルから船橋東武デパートに買い物に。それからIさんをピックし、Nちゃんのところへ。あいにくの雨となりました。
Nちゃんはすっかり筋肉が落ちてしまい、もうポキンと折れそうなぐらい痩せていました。食欲がとにかくないらしく、コースだったのですがそんなには量ないのに食べられないものをみんなに分けてくれたり。
最後のデザートは、お皿にメッセージをかいてもらったもので、それは喜んでくれました。
このお店のシェフさんは有名ホテルでシェフされていた方で、奥様と次男と幼稚園で同級生なのでした。お店はクリスマス仕様だったのですが、全てが品の良い飾り付けで、トイレもとっても上品で。
友人Iさんもこんな感じに新しい家はしたい!とおっしゃるほどで。お料理にも厳しいのですがどれもとても美味しいと褒めてくれました。我が事のように嬉しかったです。ほんとデザートまで完璧でした!
Nちゃんにもとても満足していただけて、無事お手製の刺繍も渡せて、さて前日の下見の成果をだしたかったのですが、とりあえず、私たちの出会いの起源である社宅。船橋なんですが、そちらを見に行きました。
運転中も、少し息が上がるといって窓を開けてもいい?とときどき酸素を取り入れたりしていました。心がきゅーっと痛みました。苦しいのだろうなって。
社宅はいまはなくて、マンションになってしまっているのですが周りにある光景にそれぞれの記憶が蘇って。とても懐かしくなりました。みんな妊娠中に出会ったのです。社宅は結婚して10年以内の家族しか入居できないところで。
関西からお嫁にきた人たちが多く、見知らぬ土地で、いつのまにか助け合って過ごした場所でした。
ここで出会えた方々がわたしには人生の宝物になったのです。長くお付き合いしていただいているのです。あのころ一生懸命子育てしていたころがキラキラしていました、
周辺のお店などを確認してから、運良く晴れてきたので、見浜園に行こうかなと、なんとなく南に向かっていましたが、途中、Nちゃんがもう帰宅したいと。なので急ぎNちゃん宅に戻り、別れを惜しんでバイバイしたのですが、すぐに電話があり、自宅なにきてお話ししたいと。なので、一瞬ご迷惑にならないかと迷ったのですが、結局お邪魔したのでした。
私たち的には楽しくお話ししたつもりでしたが、長居は無用ですよね。1時間、2時間近くいさせていただいたのち、改めてバイバイしました。
原発は乳がんでしたが、その後肺がんが出ての末期癌。ガン研でもう手の施しようがないと言われショックをうけていたところに、勤務している病院のドクターが抗がん剤治療をすすめてくれ、生きるために再び彼女は果敢なチャレンジをし始めているのですが、やはり弱っている身体には負担が大きいのだと思います。
食事のテーブルの間にある透明の仕切りが、目に反射するみたいで、正面にいる私がはっきり見えないと。なので視線が合ってないのはそのせいだから気にしないでと。
申し訳ないのですが、私の父もだんだんと目が見えなくなってきたことを思い出してしまいました。
痛みは本人にしかわからない。私たちは彼女が衰弱していることしかわからないけど、なんとかそばにわたしたちもついているよと伝えたかった。通じてくれていれば嬉しいです。
次はいつこれるかな。来年早々には来れたらきたい!と思いました。
それからホテルに戻り、翌日、今度は長男のお嫁ちゃまとホテルチェックアウト後に待ち合わせ。おまごちゃん2号ちゃんとも久しぶりの再会でしたが案の定泣かれてしまいましたがご愛嬌でふ。もうすぐ仲良くしてね!
新しいフレッシュな命は力強い輝きを放っています。お嫁ちゃまもいつものように素晴らしい優しさを見せてくださり、ありがたやです。本当にいつもご配慮いただいて。嬉しいです。でも無理のないようにともやはり願っています。
今回の買い物は、非常用品です。私がどうも心配性で、長男家族が被災したときに、とりあえず困らないようなものを買い揃えたくてね。
かなりの量になりましたが、一部は配送にしてもらい。。。
日用品を買う前にお昼になったので、椿珈琲店でお食事。2号ちゃんもモリモリと食べていてね。なんというか生を力強く感じました。
それから日用品を買い揃え、長男くんへの食べ物も。
また荷物がいっぱいになりましたが、車でお二人のマンションの前に。2号ちゃんが泣き叫んでしまうの覚悟でお嫁ちゃまににもつを全部運び入れてもらい、オババはおまごちゃんのたくましい足キックを喜んで受けてました。ほんと、前日との違いよ。。。。
それでお嫁ちゃまとはバイバイ。またね!今日もお付き合い下さりありがとうございました。感謝&バイバイです。
そのまま高速道路にのり、夫さんに電話連絡。もちろんナビでの通話ですが、はなしをしていると、いつのまにか湾岸高速道路から東名入る道2箇所チャンスあるんですが両方とものがし、どんどん南下したのでまあこの方向でもっとも効率的な道、鎌倉に抜けていきますか!みたいな軽いノリで朝比奈インターで降りて夕暮れの鎌倉越え。久しぶりに都会のそばの地方都市の車での混雑を感じつつ。由比ヶ浜あたりで完全に陽は落ちたのですが、江ノ島のしょぼい?イルミネーションも見れたし、なんとなく観光した気分にもなり。鶴岡八幡宮は、長男がまだ小さいころに父ときたなあとか、次男を妊娠したのがわかった初期ぐらいに、長男がかまくらを見たいと言ったので、江ノ島にきたら、お母さんかまくらはどこ?といわれ、初めて絵本で読んだ雪のかまくらだったことに気がついてごめんね.違うかまくらにきちゃった。と説明していたあの日。電車で総武線快速のグリーン車で二人で来たんだよね。かわいかったなあ。つくづく。。。夫さんはあのころまだフィンランドに長期出張の繰り返しで、三ヶ月に一度しか戻れなくてね。フィンランドによく電話をしていて、通信費が五万円超えたこともありました。インターネットがある今ではそのようなことはありえませんが。
そんなかんなで思い出にひたりつつ、江ノ島渋滞が終わり、茅ヶ崎に向かいましたが、ここでも看板というか標識をたよりに高速道路に乗りたかったのですが、東名高速道路への案内が足りないので疑心暗鬼になり、結局相模川を北上し、本厚木から東名高速に入りました。ほっ。
それからは新東名に入り駿河湾沼津サービスエリアで夜を越して翌朝、再び東名高速道路に入り、ここも昔はよく通ったなあと懐かしく走り、走っているうちに、そういえば東海地方のTVで紹介していた天津甘栗のお店が碧南市にあったなあと。方向的には三重県からは遠いので、帰り道寄ってみよう!と岡崎インターで降りたのですが、すでに意識が東海地方にフレンドリーになっているせいか、岡崎城とか八丁味噌の蔵とか、あーいいね!いいね!と通り過ぎ、安城市とかもどんな街かなあーと興味津々で。
無事碧南市にはいり甘栗やさんも発見!うん。大量に買おう!とおもいましたが、1人2000円までだそうで。。誠に残念、しかし出来立てをいただいたら、ほくほくでほのかにあまく。冷めたらもっと実が引き締まって美味しくなったのですが、栗好きにはたまらないなあー!って思って幸せに。
それからは一路北上すると、見慣れた国道23号に入れたので一安心して走っていたら事故るんじゃないか?と思えるほどの眠気がきたのでコンビニで休憩。2時間ぐらいねてしまいました。それから頑張って帰宅。
帰宅したら掃除と洗濯をして、夫さんが洗濯してくれていたものにアイロンもかけていたら、夫さんが帰宅。それからはいつも通りで、夕食しとお風呂準備して、プールに行ってきた夫さんと和やかな夕食をとりました。
夜は早めに寝ました。
翌朝、つまり今日ですが
夫さんの歯医者さん、私が通っている大阪の歯医者にいくため、また車で。ガソリン入れてから、出発!高速道路降りて昼食たべて、実家に入って、寝床のセットをすませ、歯医者さんに。
歯医者さんは新家屋になってとても広くなってました。
夫さん結局、抜歯になり、歯を作ることはなかったのですが、ドクターの無痛でささっとやってのけた技術力の高さとお話の上手さは褒めてくれました。うんうん。そうなんですよね。素晴らしい歯医者さんです!
で今は実家です。
阪急オアシスで夕食を仕入れて、実家の二階で食べました。この実家に夫さんがくるのは久しぶり。私がいつも一人で過ごしていた部屋で一緒に馬鹿話するというのも味があるなあと。
そしたら夜、妹からメッセージがあり母の調子が悪いと。
どうもそのあと姉とも連絡とって推測するに、施設側が病院を退院した母の具合があまりまだよくないのにこの状態で退院は時期尚早と思っているみたいな気配。とりあえず明日母に異変があったら、急遽奈良に向かおうと思います。
母に電話したら、寝ていたみたいで、ぼやっとした話し方で、本当に私と認識してくれているかなあと思ってしまった。来週火曜日に面会予約入れてるから会えるよ!と伝えておきましたがわすれちゃうんだろうなあ。
コメント