昨日、母の施設から電話
もう少しのところで間に合わず、折り返し電話するもすでに妹にかけていたらしく。
内容は、母が腰痛を訴えて、ロキソニンで対応するも、トイレなどかなり苦戦しているので、病院に連れて行って欲しい。
施設はこれなんだなあと。一応看護師さんもいるし、薬を出してくれる小さな医者とも連携とってはいるけど、レントゲン撮ったりはできないので結構、病院行くのに呼び出されるのを、義理の父で手伝っていたころを思い出しました。
母は骨は丈夫なほうでしたが、やはり95歳という年齢ですから。
近くに住んでいる妹にお任せし、まずは小さい病院へ。しかしここではレントゲンだけで、異常は見られないので、市立病院でMRIを撮ってくれ。とのことで翌日の今日また妹に病院行ってもらいました。
結果は
浮腫骨挫傷がみられる
あとは椎間板の損傷が全体的に見られる。痛みはここからと思われる。
でした。
仕方なしですよね。
さらに痛みが続くようなら、骨盤のレントゲンも後日とる。とのこと。
対処はロキソニンと湿布。
痛みが続くようなら、神経に効く薬をだすとのこと。一体なにかな。
痛いだろうなと思う。
私も腰痛持ちだから、母の様子と対処はしっかりみておきたい。
95歳であってもなくても、起き上がれない苦しみを持って生き続けるのは大変。
以前、妻が身体が動かなくなり、自宅で介護していた夫さんが、妻に殺してと頼まれて殺したという生々しい事件、たしかNHKでやってた。執行猶予がついたみたいだけど、子供から責められて苦悩して生きている夫さんの姿が痛々しかった。
私は、自らも安楽死賛成派。母は反対というか、そんな私が信じられないみたいでした。かなり昔に話をしたのですが。
今回、愛猫を看取って思いましたが、猫とか動物の安楽死は、薬などが苦しそうなのでちょっと反対なんですが、三日弱苦しそうにしている猫ちゃんを早く楽になってもらいたいと思いながらも、頑張っている姿もまた愛おしく思えて。でも後者は単なる偽善のように感じる。心の中で、もうすぐ楽になるから頑張れ!と思っている自分の心が妙にいやなものにも思えた。いや、ニャンコは楽になるなんてわかってないし。なんでこんなことになっているんだ?と忌まわしく思っているのかな。痛みが何者かわからずに相対してるんだろうな。彼に楽に死なせてあげられる薬があるなら、それを飲ませてあげられる私がいるだろうか。いや、意思がなくて苦しそうにしているニャンコにそもそも薬は飲んでもらえないんじゃないか。でも苦しいよりはずっといいんじゃないか。
私が愛猫の立場ならと考えていた時間でもありました。
ただ見守り、寄り添うことしかできない。姉の旦那さんが、亡くなる前に姉が用事をしに席を立つと、行かないでくれ、一人にしないでくれと言っていたと姉が言っていたことを記憶している。だからきっとダンも一人きりが嫌だろうと。私ができることは、寂しい思いだけはさせないよ。それだけだった。
母を思う。
母はもう一人でも寂しいとは言わない。認知症が母の死に対する恐怖を無くしてくれていると思う。だけどまだらボケであるなら、正気に戻ったときにだれもいないと寂しいと思っているかもしれない。実際には今はコロナで施設立ち入り禁止で会いには行けないけど。
義理の父は、最期誰にも気付かれずに亡くなった。見回りにきた看護師さんが発見して死亡が確認された。
義理の母は父をできるだけ長く生きていてほしくて高濃度輸液を点滴するのを選んだ。義母は、義父がいなくなるのを最も恐れると言っていた。あなたにはわからないのよ。夫がいなくなってしまう喪失感が。と。
しかし、本来なら二、三ヶ月の命を長引かせたために、結局、通院も週一回になり、私が毎日いくようになり、本人はたまに会うだけになった。
そして、寂しいお別れ。
いつもそれを思い出す。だから愛猫との別れは、これでよかったのだと納得するようにしている。延命だけはしたくないと。
だけど、結局、もっとああすればよかったとか、こうしてあげれば良かったとか、色々思うことにはなってしまっている。今はそういう思いを封じ込めようとしている状態でもあるんだなと。
だから母に対してもきっと後悔することはたくさんあるかもしれない。
とにかく介護は対処療法。そして思い悩まないこと。それから痛み取ってあげることが最優先で、体を楽にしてあげることが一番大事だと改めて思う。
母がまだまだ生きると思っている私がいる。愛猫がまだまだ生きると信じていたようにね。
妹にお世話になって申し訳ない。
無理な時は私も行くので遠慮なく言ってほしい。と思ってます。
話がまとまっていなくてすみません。
もう少しのところで間に合わず、折り返し電話するもすでに妹にかけていたらしく。
内容は、母が腰痛を訴えて、ロキソニンで対応するも、トイレなどかなり苦戦しているので、病院に連れて行って欲しい。
施設はこれなんだなあと。一応看護師さんもいるし、薬を出してくれる小さな医者とも連携とってはいるけど、レントゲン撮ったりはできないので結構、病院行くのに呼び出されるのを、義理の父で手伝っていたころを思い出しました。
母は骨は丈夫なほうでしたが、やはり95歳という年齢ですから。
近くに住んでいる妹にお任せし、まずは小さい病院へ。しかしここではレントゲンだけで、異常は見られないので、市立病院でMRIを撮ってくれ。とのことで翌日の今日また妹に病院行ってもらいました。
結果は
浮腫骨挫傷がみられる
あとは椎間板の損傷が全体的に見られる。痛みはここからと思われる。
でした。
仕方なしですよね。
さらに痛みが続くようなら、骨盤のレントゲンも後日とる。とのこと。
対処はロキソニンと湿布。
痛みが続くようなら、神経に効く薬をだすとのこと。一体なにかな。
痛いだろうなと思う。
私も腰痛持ちだから、母の様子と対処はしっかりみておきたい。
95歳であってもなくても、起き上がれない苦しみを持って生き続けるのは大変。
以前、妻が身体が動かなくなり、自宅で介護していた夫さんが、妻に殺してと頼まれて殺したという生々しい事件、たしかNHKでやってた。執行猶予がついたみたいだけど、子供から責められて苦悩して生きている夫さんの姿が痛々しかった。
私は、自らも安楽死賛成派。母は反対というか、そんな私が信じられないみたいでした。かなり昔に話をしたのですが。
今回、愛猫を看取って思いましたが、猫とか動物の安楽死は、薬などが苦しそうなのでちょっと反対なんですが、三日弱苦しそうにしている猫ちゃんを早く楽になってもらいたいと思いながらも、頑張っている姿もまた愛おしく思えて。でも後者は単なる偽善のように感じる。心の中で、もうすぐ楽になるから頑張れ!と思っている自分の心が妙にいやなものにも思えた。いや、ニャンコは楽になるなんてわかってないし。なんでこんなことになっているんだ?と忌まわしく思っているのかな。痛みが何者かわからずに相対してるんだろうな。彼に楽に死なせてあげられる薬があるなら、それを飲ませてあげられる私がいるだろうか。いや、意思がなくて苦しそうにしているニャンコにそもそも薬は飲んでもらえないんじゃないか。でも苦しいよりはずっといいんじゃないか。
私が愛猫の立場ならと考えていた時間でもありました。
ただ見守り、寄り添うことしかできない。姉の旦那さんが、亡くなる前に姉が用事をしに席を立つと、行かないでくれ、一人にしないでくれと言っていたと姉が言っていたことを記憶している。だからきっとダンも一人きりが嫌だろうと。私ができることは、寂しい思いだけはさせないよ。それだけだった。
母を思う。
母はもう一人でも寂しいとは言わない。認知症が母の死に対する恐怖を無くしてくれていると思う。だけどまだらボケであるなら、正気に戻ったときにだれもいないと寂しいと思っているかもしれない。実際には今はコロナで施設立ち入り禁止で会いには行けないけど。
義理の父は、最期誰にも気付かれずに亡くなった。見回りにきた看護師さんが発見して死亡が確認された。
義理の母は父をできるだけ長く生きていてほしくて高濃度輸液を点滴するのを選んだ。義母は、義父がいなくなるのを最も恐れると言っていた。あなたにはわからないのよ。夫がいなくなってしまう喪失感が。と。
しかし、本来なら二、三ヶ月の命を長引かせたために、結局、通院も週一回になり、私が毎日いくようになり、本人はたまに会うだけになった。
そして、寂しいお別れ。
いつもそれを思い出す。だから愛猫との別れは、これでよかったのだと納得するようにしている。延命だけはしたくないと。
だけど、結局、もっとああすればよかったとか、こうしてあげれば良かったとか、色々思うことにはなってしまっている。今はそういう思いを封じ込めようとしている状態でもあるんだなと。
だから母に対してもきっと後悔することはたくさんあるかもしれない。
とにかく介護は対処療法。そして思い悩まないこと。それから痛み取ってあげることが最優先で、体を楽にしてあげることが一番大事だと改めて思う。
母がまだまだ生きると思っている私がいる。愛猫がまだまだ生きると信じていたようにね。
妹にお世話になって申し訳ない。
無理な時は私も行くので遠慮なく言ってほしい。と思ってます。
話がまとまっていなくてすみません。
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