久々に?といっても月1回ですが、大阪まできました。
三重から大阪なので距離としてはそうたいしたものではなく、
ドライブとしては短距離! 的な感じはまだ変わっていないなあと感じながら夜に入りました。まあ要するにドライブとしてはやや物足りない距離です^^
でも新名神を鈴鹿経由ではなく、ひさびさに亀山経由にしたところ、亀山から西亀山インターに合流するところを再確認でき、改めて、あーこういう道路だったのが、こんな感じになったんだな!と実感できました。どうも新しい側の道路を通っていると、元の道がどうだったか忘れてしまって頭の中で記憶がつながらなくってね。まあこれも年とってきたってことでしょうか?
高速道路でのトラックの荒い運転は相変わらずですね!抜きつ抜かれつ。。いや昨日はかなり安全運転だったので抜かれつ抜かれつだったのですが、暴走トラックやら並走のろのろトラックやら相変わらず世知辛い光景が繰り広げられてました。安心したような、あきれたような。。変な気持ちを持ちましたよ。
さて、
千葉方面がまた大変な水害ですね。
台風15号からかな?
先日書いた戌の満水は台風19号のあとまたあるんじゃないか?ということでしたが場所は変わって千葉で再びになりましたね。
私的にはこれは
令和 亥の満水 (千葉)
といって記憶にとどめておきたいです。
(台風19号の被害はまた別のものです)
にしても、やはり周期的に激しいものがめぐってきているんでしょうから、やはり水郷地帯やらは気を付けないといけませんね。
私たちが住んでいたところは北西部ですので、停電も水害も大丈夫だったみたいです。でも関東そのものが低地なのですから、これからまた大変になるのかなーー。新潟まで関越自動車道通っていったときに、山越えをしましたが、この山々。。すばらしい山々、またものすごい数の山々から一気に水があふれてきてるんだなと想像すると非常に怖い地形でもありますよね。関東平野。
改めて山のふもと、川の近くの流れというのは注意しなければならないと。
そういう意味で、今住んでいる三重のこの地方、やはり北西部(北勢こちらではいいますが)、南側の水害は尾鷲をはじめとしてとにかくすざまじいものがあります。でも私たちが住んでいるマンション地帯もおおもとは干潟です。少し高台には「汐見町」という地名もあります。大水郷地帯のすぐ近くです。(昔でいう輪中かな。長島スパーランドやなばなの里は揖斐川の中にある長い洲にあります。長島というより長洲です!今は堤防がかなり高く整備されているので、建物はほとんど堤防より低いです。)
とりあえずマンションは3階で、それ以下は選ばなかった。駐車場は6階で自走式(機械式はきらい)なので車も浸水しないようにはしています。すべては南海地震、東南海地震を見据えてです。
私はなんだか恐怖症もあるので、東北の大震災のときに、車の後ろにはライフジャケットを2つ、それから車のガラスを割ることができ、シートベルトを切ることができるものを1つ用意してあります。
いつもは家族にそれを馬鹿にされますが、今回のことがあり、夫さんも馬鹿にすることなくちゃんと用意してあるからね!という話は聞いてくれました。
災害は起こってみたら準備不足を痛感しますが、
過ぎ去ってみたら用意周到にしている人は馬鹿にされます。理不尽だけど人間って自分も含めて愚かしいところがいっぱいあるから仕方ないですね。
先人がいくら
震災は忘れたことにやってくる
といっても人はみな忘れていきます。
夫さんは実は伊勢湾台風のときに生まれているんですが、伊勢湾台風の被害を教訓にはできてないみたいで、いくら私がマンションの近くは堤防が地震で壊れてければ1mの津波。壊れてしまった場合は4mの津波がくる。といっても、またまたそんな話ばっかりして!とたしなめられるばかりでね。スーパー堤防ができたから大丈夫みたいな。
今回の関東に被害をみて、夫さんの意識がちょっと変わってくれたようでありがたいです。
同様に東京に住む長男にも、そこは水没する地帯なのだというのを改めて訴えたいです!荒川氾濫もそうですが、その近くの支流が氾濫したら40センチの浸水があるとハザードマップにもあります。
荒川は、隅田川の水量が増えないように、隅田川に流す量を制限する水門があるそうです。今回はここを閉じなかったためか、氾濫にいたりませんでしたが、これはもうギリギリのところだったのだと推測します。
また、江戸時代に比べるとダムが増えたことも荒川氾濫に至らなかったのではないでしょうか?
とにかく、今後も関東に住まわれている方で、低層の家に住んでいらっしゃる方は引き続き命を守ることをしなければいけないときがあるのだという自覚はもっていただきたいと切に願います!今回の記憶が忘れ去られないように。
ちなみにですが、関東大震災のとき、銀座には30センチぐらいの津波がきていることも書き添えます。
夫さんも還暦をすぎて、そろそろ私たちも自分たちの終の棲家を持ちたいとは思いますが、どうしても東南海、南海地震のことがあって持ち家を建てたり買ったりというのができないままでいます。
夫さんが働いてくれている間のあと5年は賃貸の家でもなんとかなりそうな気配です。しかし、今後家を買ったり建てたりするのは経済的にも大変でもあるので、今の私は節約をとにかく加速させなきゃ!という感じです。そしてできれば地震がきてから、被害の状況をみて建てられそうだったら建てる。。。という感じにしたいのですが、まあ、、そんなうまくには行かないのが常です。
私の場合は結構逆現象になるので、備えている間は特に何も起こらないようにも思えるので、私が突然死したら、その後大変なことがおきるかもなあ。。と思ったりもしていて、なんだかこんなこと考える私って。。やっぱり結構馬鹿だなとも思ったりしています。
さて
今回の大阪滞在の主な目的は定期的なものの処分(ちょっとずつですが)、草取り(今日は雨だったので地面が乾く明後日あたりするつもり)、玄関先の手入れ、銀行関係の連絡、もし間に合えば母のオムツを購入しておくなどです。
すべて終わってから母のところにいって、施設から送られてきた、インフルエンザ予防接種などの同意書をもっていきます。
大阪の家は高校までいましたので、もちろん大切な思い出が多いですが、こうやって通わないと住民がいないという状況はいつきても寂しく感じられます。
三重から大阪なので距離としてはそうたいしたものではなく、
ドライブとしては短距離! 的な感じはまだ変わっていないなあと感じながら夜に入りました。まあ要するにドライブとしてはやや物足りない距離です^^
でも新名神を鈴鹿経由ではなく、ひさびさに亀山経由にしたところ、亀山から西亀山インターに合流するところを再確認でき、改めて、あーこういう道路だったのが、こんな感じになったんだな!と実感できました。どうも新しい側の道路を通っていると、元の道がどうだったか忘れてしまって頭の中で記憶がつながらなくってね。まあこれも年とってきたってことでしょうか?
高速道路でのトラックの荒い運転は相変わらずですね!抜きつ抜かれつ。。いや昨日はかなり安全運転だったので抜かれつ抜かれつだったのですが、暴走トラックやら並走のろのろトラックやら相変わらず世知辛い光景が繰り広げられてました。安心したような、あきれたような。。変な気持ちを持ちましたよ。
さて、
千葉方面がまた大変な水害ですね。
台風15号からかな?
先日書いた戌の満水は台風19号のあとまたあるんじゃないか?ということでしたが場所は変わって千葉で再びになりましたね。
私的にはこれは
令和 亥の満水 (千葉)
といって記憶にとどめておきたいです。
(台風19号の被害はまた別のものです)
にしても、やはり周期的に激しいものがめぐってきているんでしょうから、やはり水郷地帯やらは気を付けないといけませんね。
私たちが住んでいたところは北西部ですので、停電も水害も大丈夫だったみたいです。でも関東そのものが低地なのですから、これからまた大変になるのかなーー。新潟まで関越自動車道通っていったときに、山越えをしましたが、この山々。。すばらしい山々、またものすごい数の山々から一気に水があふれてきてるんだなと想像すると非常に怖い地形でもありますよね。関東平野。
改めて山のふもと、川の近くの流れというのは注意しなければならないと。
そういう意味で、今住んでいる三重のこの地方、やはり北西部(北勢こちらではいいますが)、南側の水害は尾鷲をはじめとしてとにかくすざまじいものがあります。でも私たちが住んでいるマンション地帯もおおもとは干潟です。少し高台には「汐見町」という地名もあります。大水郷地帯のすぐ近くです。(昔でいう輪中かな。長島スパーランドやなばなの里は揖斐川の中にある長い洲にあります。長島というより長洲です!今は堤防がかなり高く整備されているので、建物はほとんど堤防より低いです。)
とりあえずマンションは3階で、それ以下は選ばなかった。駐車場は6階で自走式(機械式はきらい)なので車も浸水しないようにはしています。すべては南海地震、東南海地震を見据えてです。
私はなんだか恐怖症もあるので、東北の大震災のときに、車の後ろにはライフジャケットを2つ、それから車のガラスを割ることができ、シートベルトを切ることができるものを1つ用意してあります。
いつもは家族にそれを馬鹿にされますが、今回のことがあり、夫さんも馬鹿にすることなくちゃんと用意してあるからね!という話は聞いてくれました。
災害は起こってみたら準備不足を痛感しますが、
過ぎ去ってみたら用意周到にしている人は馬鹿にされます。理不尽だけど人間って自分も含めて愚かしいところがいっぱいあるから仕方ないですね。
先人がいくら
震災は忘れたことにやってくる
といっても人はみな忘れていきます。
夫さんは実は伊勢湾台風のときに生まれているんですが、伊勢湾台風の被害を教訓にはできてないみたいで、いくら私がマンションの近くは堤防が地震で壊れてければ1mの津波。壊れてしまった場合は4mの津波がくる。といっても、またまたそんな話ばっかりして!とたしなめられるばかりでね。スーパー堤防ができたから大丈夫みたいな。
今回の関東に被害をみて、夫さんの意識がちょっと変わってくれたようでありがたいです。
同様に東京に住む長男にも、そこは水没する地帯なのだというのを改めて訴えたいです!荒川氾濫もそうですが、その近くの支流が氾濫したら40センチの浸水があるとハザードマップにもあります。
荒川は、隅田川の水量が増えないように、隅田川に流す量を制限する水門があるそうです。今回はここを閉じなかったためか、氾濫にいたりませんでしたが、これはもうギリギリのところだったのだと推測します。
また、江戸時代に比べるとダムが増えたことも荒川氾濫に至らなかったのではないでしょうか?
とにかく、今後も関東に住まわれている方で、低層の家に住んでいらっしゃる方は引き続き命を守ることをしなければいけないときがあるのだという自覚はもっていただきたいと切に願います!今回の記憶が忘れ去られないように。
ちなみにですが、関東大震災のとき、銀座には30センチぐらいの津波がきていることも書き添えます。
夫さんも還暦をすぎて、そろそろ私たちも自分たちの終の棲家を持ちたいとは思いますが、どうしても東南海、南海地震のことがあって持ち家を建てたり買ったりというのができないままでいます。
夫さんが働いてくれている間のあと5年は賃貸の家でもなんとかなりそうな気配です。しかし、今後家を買ったり建てたりするのは経済的にも大変でもあるので、今の私は節約をとにかく加速させなきゃ!という感じです。そしてできれば地震がきてから、被害の状況をみて建てられそうだったら建てる。。。という感じにしたいのですが、まあ、、そんなうまくには行かないのが常です。
私の場合は結構逆現象になるので、備えている間は特に何も起こらないようにも思えるので、私が突然死したら、その後大変なことがおきるかもなあ。。と思ったりもしていて、なんだかこんなこと考える私って。。やっぱり結構馬鹿だなとも思ったりしています。
さて
今回の大阪滞在の主な目的は定期的なものの処分(ちょっとずつですが)、草取り(今日は雨だったので地面が乾く明後日あたりするつもり)、玄関先の手入れ、銀行関係の連絡、もし間に合えば母のオムツを購入しておくなどです。
すべて終わってから母のところにいって、施設から送られてきた、インフルエンザ予防接種などの同意書をもっていきます。
大阪の家は高校までいましたので、もちろん大切な思い出が多いですが、こうやって通わないと住民がいないという状況はいつきても寂しく感じられます。
コメント
関宿は16号で横切ったことしかないです。千葉にいるときにもっといろいろ回ればよかったです。流山は地名からしてちとこわいです。すぐ北の三郷は埼玉県ですら、ちばらぎもふくめ県境は少し面白いです。