今回の地震は
http://daichinokai.sakura.ne.jp/oitatchi/oitatchi83.pdf
これを読むととてもわかりやすかった。
実は私は最近の地震は、
江戸時代の安政の大地震
と同じになるのでは?
勝手に推測しています。
安政の大地震は
江戸後期に
日本列島のかなりの広範囲で
次々と起きた大規模地震
具体的には
1847 善光寺地震 (弘化4)
1853 小田原地震 (嘉永6)
あたりから始まり
1854 伊賀上野地震 (嘉永7)
1854 安政東海地震
1854 安政南海地震
1854 豊予海峡地震
1855 飛騨地震 (安政2)
1855 陸前で地震
1855 遠州灘で地震 (東海地震の最大余震)
1855 江戸大地震
1856 八戸沖地震(巨大地震) (安政3)
1856 江戸で地震
1857 駿河で地震 (安政4)
1857 伊予・安芸で地震(芸予地震)
1858 飛越地震 (安政5)
1858 八戸沖で地震
1859.1 石見で地震 (安政6)
1859.10 石見で地震
ざっとこんな感じ
安政年間にかと思いきや嘉永が多いのですが、
これは後から改元したらしいです。
私はこれらはプレート型地震以外に中央構造線上の問題もあるのかなと思っていましたが、
それだと長野善光寺地震、小田原あたりが説明つかない。
しかし今回の地震から
あー。そうかー。と思ったのが、
フォッサマグナ。
フォッサマグナは大きな溝で、中央構造線みたいに線ではない。
溝の西端と東端のラインがあり、その中央に火山帯が並ぶ、
古い地層の上に新しい地層が大きな溝の形で存在
という構造になっているみたい。
西端のラインが、糸魚川-静岡構造線で
東端のラインが、柏崎-千葉構造線
西端ラインだけが有名で、これをフォッサマグナと
理解しているのは間違いで、
フォッサマグナは実は
大昔の日本列島は、大陸から離れたときに
今の小笠原列島の昔の島々と衝突して真ん中が折れ
海になり、
そこに新しい堆積物が入り、さらに造山活動により
隆起してできた部分なので、かなり幅が広い。
深さも8000から9000メートルはあるのではと言われている。
ということらしいよ。(私の理解)
東側ラインがあまり有名ではないのは、境界線がはっきりしてないから
らしい。
このフォッサマグナの場所を見てみると
北アメリカプレートと
ユーラシアプレート の境目
日本には、四つのプレートが押し合いへしあいしているのですが、
実はこの二つのプレートの境界だけは、列島の陸地下にあります。
いやはや、怖いですね。考えるだに。
しかし、
安政の大地震をみるに、
やはり日本列島全体を揺るがす地震は、
四国沖にあるフィリピンプレートとユーラシアプレート
との境目
江戸東京、千葉などは、太平洋プレートも入り
もう大変ですね。
四つのプレートが同時に大規模に動くとほんと恐ろしい。
プレートの動きは、それぞれで大きく言えば
太平洋側の二つのプレート、太平洋プレートとフィリピンプレートが、
陸地側の二つのプレート、北アメリカプレートとユーラシアプレートを
カタカナなハ の字方向に押す形で動いているようです。
(いつかは日本はくの字がさらに鋭角に曲がっていくと言われていますが、まさにこの動きによるんですね!)
研究者ではないので、
適当な推測ですが、
これらのプレートが比較的大規模に動く期間
が安政大地震だったり、今だったりなんでしょうね。
つまりは、
太平洋側の西日本側は
フィリピンプレートが迫ってくることによる地震と津波
太平洋側の東日本側は
太平洋プレートが迫ってくることによる地震と津波
フォッサマグナの西と東の縁に位置するところに住む国民は地震と地滑り
中央構造線上の国民は地震
に注意したほうがよいと思う。
かなり広範囲だけど。
なお、
フォッサマグナは東側の北側は、二つに分岐します。
一つは柏崎に、もうひとつは
新発田-小出構造線で
今回の地震の震源地の山形沖はこの延長上に重なります。
ですのでこの山形以北の延長上は津波にも注意ですね。
テレビではひずみが集中しているところ
という表現をしていますが、
フォッサマグナの縁であると考えたほうがわかりやすい。
ということで
これからの地震、
安政大地震と
フォッサマグナ
中央構造線
この三つに重なる位置かどうか
これからも観察していきたいと思います。
しかし
千葉に抜ける構造線は明確には見つかってないみたいですが、
このマンションあたりはやはり大昔は海だったのでしょうね。
以前、安政の江戸の大地震の震源地は柏だった
というNHKの特集がありました。すごく前ですが。
それを考えるとまあ東縁のすぐ近くで内側で海だったとみとよいように思います。
近くにある山は筑波山ぐらいですからね。
今回の地震でさらに思い出したのは
去年行った新潟ドライブです。
関越自動車道は谷間を通りますが、最初は利根川をのぼる感じで、
関越トンネルこして新潟側にいくと、平野が広がります。綺麗な川沿いの風景に変わりました。
さらに海側にいくと、佐渡島が見える切り立った山、弥彦山だったかな?
かなり急な山で、壮観な眺めに驚かされたのですが、
このあたりの地形もやはりフォッサマグナの東側北縁ならではの光景なのかなと。
http://daichinokai.sakura.ne.jp/oitatchi/oitatchi83.pdf
これを読むととてもわかりやすかった。
実は私は最近の地震は、
江戸時代の安政の大地震
と同じになるのでは?
勝手に推測しています。
安政の大地震は
江戸後期に
日本列島のかなりの広範囲で
次々と起きた大規模地震
具体的には
1847 善光寺地震 (弘化4)
1853 小田原地震 (嘉永6)
あたりから始まり
1854 伊賀上野地震 (嘉永7)
1854 安政東海地震
1854 安政南海地震
1854 豊予海峡地震
1855 飛騨地震 (安政2)
1855 陸前で地震
1855 遠州灘で地震 (東海地震の最大余震)
1855 江戸大地震
1856 八戸沖地震(巨大地震) (安政3)
1856 江戸で地震
1857 駿河で地震 (安政4)
1857 伊予・安芸で地震(芸予地震)
1858 飛越地震 (安政5)
1858 八戸沖で地震
1859.1 石見で地震 (安政6)
1859.10 石見で地震
ざっとこんな感じ
安政年間にかと思いきや嘉永が多いのですが、
これは後から改元したらしいです。
私はこれらはプレート型地震以外に中央構造線上の問題もあるのかなと思っていましたが、
それだと長野善光寺地震、小田原あたりが説明つかない。
しかし今回の地震から
あー。そうかー。と思ったのが、
フォッサマグナ。
フォッサマグナは大きな溝で、中央構造線みたいに線ではない。
溝の西端と東端のラインがあり、その中央に火山帯が並ぶ、
古い地層の上に新しい地層が大きな溝の形で存在
という構造になっているみたい。
西端のラインが、糸魚川-静岡構造線で
東端のラインが、柏崎-千葉構造線
西端ラインだけが有名で、これをフォッサマグナと
理解しているのは間違いで、
フォッサマグナは実は
大昔の日本列島は、大陸から離れたときに
今の小笠原列島の昔の島々と衝突して真ん中が折れ
海になり、
そこに新しい堆積物が入り、さらに造山活動により
隆起してできた部分なので、かなり幅が広い。
深さも8000から9000メートルはあるのではと言われている。
ということらしいよ。(私の理解)
東側ラインがあまり有名ではないのは、境界線がはっきりしてないから
らしい。
このフォッサマグナの場所を見てみると
北アメリカプレートと
ユーラシアプレート の境目
日本には、四つのプレートが押し合いへしあいしているのですが、
実はこの二つのプレートの境界だけは、列島の陸地下にあります。
いやはや、怖いですね。考えるだに。
しかし、
安政の大地震をみるに、
やはり日本列島全体を揺るがす地震は、
四国沖にあるフィリピンプレートとユーラシアプレート
との境目
江戸東京、千葉などは、太平洋プレートも入り
もう大変ですね。
四つのプレートが同時に大規模に動くとほんと恐ろしい。
プレートの動きは、それぞれで大きく言えば
太平洋側の二つのプレート、太平洋プレートとフィリピンプレートが、
陸地側の二つのプレート、北アメリカプレートとユーラシアプレートを
カタカナなハ の字方向に押す形で動いているようです。
(いつかは日本はくの字がさらに鋭角に曲がっていくと言われていますが、まさにこの動きによるんですね!)
研究者ではないので、
適当な推測ですが、
これらのプレートが比較的大規模に動く期間
が安政大地震だったり、今だったりなんでしょうね。
つまりは、
太平洋側の西日本側は
フィリピンプレートが迫ってくることによる地震と津波
太平洋側の東日本側は
太平洋プレートが迫ってくることによる地震と津波
フォッサマグナの西と東の縁に位置するところに住む国民は地震と地滑り
中央構造線上の国民は地震
に注意したほうがよいと思う。
かなり広範囲だけど。
なお、
フォッサマグナは東側の北側は、二つに分岐します。
一つは柏崎に、もうひとつは
新発田-小出構造線で
今回の地震の震源地の山形沖はこの延長上に重なります。
ですのでこの山形以北の延長上は津波にも注意ですね。
テレビではひずみが集中しているところ
という表現をしていますが、
フォッサマグナの縁であると考えたほうがわかりやすい。
ということで
これからの地震、
安政大地震と
フォッサマグナ
中央構造線
この三つに重なる位置かどうか
これからも観察していきたいと思います。
しかし
千葉に抜ける構造線は明確には見つかってないみたいですが、
このマンションあたりはやはり大昔は海だったのでしょうね。
以前、安政の江戸の大地震の震源地は柏だった
というNHKの特集がありました。すごく前ですが。
それを考えるとまあ東縁のすぐ近くで内側で海だったとみとよいように思います。
近くにある山は筑波山ぐらいですからね。
今回の地震でさらに思い出したのは
去年行った新潟ドライブです。
関越自動車道は谷間を通りますが、最初は利根川をのぼる感じで、
関越トンネルこして新潟側にいくと、平野が広がります。綺麗な川沿いの風景に変わりました。
さらに海側にいくと、佐渡島が見える切り立った山、弥彦山だったかな?
かなり急な山で、壮観な眺めに驚かされたのですが、
このあたりの地形もやはりフォッサマグナの東側北縁ならではの光景なのかなと。
コメント