武田アナウンサーが最後涙を流してました。
私はほんとうにその思いがわかりました。
よく親になって一人前と言いますが、
最近それが本当の意味でわかるのです。
その言葉は親になったから上から目線だとかの 印象で
捉える人もいますが、それは違う
私も子供として親に傷つけられたとか
ああいうお母さんがよかったとか
子育てはこうあるべきとか
いろんな思いがありながら子育てしてきた。
いろんな波を乗り越えてきて
子育てを振り返って、
大人になった子供に
こんなお母さんでごめんね
こんなお母さんの元でも立派に育ってくれてありがとう
と言いました
なんだか気持ち的には、
失敗を重ねてきた自分を認めたくもないような
へんなプライドもあるのは事実
だけどそれ以上に二人の息子それぞれが
個性の強い私に振り回されてきたのも事実で、
それをはねつけ、寄せ付けないようにしてきた特に次男の
反抗心の強さと長さが
私のいたらなさであったのだと
痛感するばかりなのです。
少し前夫に、
子供とのこと色々あったからこその
今なのだから、
昔のことも容認できるんじゃない?
と言われたとき
私は
ううん。やはりあのときは辛かった。
そのことは無い方が良かったと思ってる。
と自分の生き様を否定しました。
でも本当は
そんななけなしのプライドがある自分だから
けちょんけちょんに否定されたのだ。
自分は大した人間ではないのに、
大した子育てができたわけじゃないのに
親であるというだけで
いつのまにか尊大になっていたのだとね。
自覚しているのです。
子供の立場だけだと被害者に簡単になりうる。
でも子育てを通すと自分を丸裸にされてしまう。
あれもこれも嫌なんだ!とね。
子育ては人生の裏表。
子供として生きるのは表舞台であり、
親として生きるのは裏舞台のようで、
両方を生きて初めて両方の立場が理解できる。
一人前というのはそういうこと。
だから、
武田アナウンサーの涙をみたとき、
私も長く自分と葛藤してきた。
それを思い出して私も胸が苦しくなった。
今は、私は自分は何様でもなく、
人生における修行をとにかく乗り越えて
いこうと思っているだけの人間です。
子供からヘルプがきたら、
それを助けられるか、修行です。
いつも息子たちが私を迷惑がらないようにとは
気をつけていても、うるさい親だと常に思われてしまうものだと気をつけていくのも修行です。
歳をとると、
自分の至らなさを感じてしまいます。
それに年寄りになっていくことは
若い人にとっては生きているだけで面倒をかけることに
なってしまう。
だから年寄りこそ徳を積むべきだと
私は思うのです。
こんな気持ちになることは、
子育て前半には分からなかったことで、
私は唯一、子供にしてあげたかったことは
私ができなかった
高校と大学生活、お金がないから部活もできず
家のことをやらなければならなかったことだけは
させたくない。この7年間の多感で貴重なときを
ほんとうにエンジョイしてほしい。
そして大人になっていって、信頼できるお嫁さんと
地味でもいいから手を取り合い思いやりを持って
生きていってほしい。ってね。
ん?まだ欲張りですかね。
結婚して子育てをするのは
それだけでも予期せぬこともあり大変なこと。
そう考えたら、
それ以上の余計な面倒はなるべく削いでいく合理性が
ないとそれは自分にかかってくる。
夫の悪口言ってもプラスになることなんて一つもない。
むしろマイナスだらけになってしまう。
私は優しい夫に恵まれましたが
いろんな性格の違いもあり、
齟齬もあり
軋轢もあり
だけど、全部ひっくるめて
自分の親にはなかったものを
結婚前に期待していたものを
いつもわたしにくれました
それは私の立場を尊重してくれたことでした。
でも本当にリアル尊重してくれているのは今です。
それが私には何よりかけがえのない宝で、
晩年に夫に感謝できる環境にできた夫婦であったことだけは、
息子たちにも理解してもらえたらと思います。
不出来な夫婦でも、ここまでなんとかやってこれたのだけが
私の、いえ私たちの誇りでありオナーでもあるのです。
毒親であったのでは?
と思うことも多々あるけど
それも私の不甲斐なさなのだとね。
認めてそこで終わりでなく
武田アナウンサーが言った
これからもずっとなんですね。ですよね。
苦しみも嬉しさも
全てが全部自分という川の流れを構成しているもの
ゆく川の流れは絶えず ですね
私はほんとうにその思いがわかりました。
よく親になって一人前と言いますが、
最近それが本当の意味でわかるのです。
その言葉は親になったから上から目線だとかの 印象で
捉える人もいますが、それは違う
私も子供として親に傷つけられたとか
ああいうお母さんがよかったとか
子育てはこうあるべきとか
いろんな思いがありながら子育てしてきた。
いろんな波を乗り越えてきて
子育てを振り返って、
大人になった子供に
こんなお母さんでごめんね
こんなお母さんの元でも立派に育ってくれてありがとう
と言いました
なんだか気持ち的には、
失敗を重ねてきた自分を認めたくもないような
へんなプライドもあるのは事実
だけどそれ以上に二人の息子それぞれが
個性の強い私に振り回されてきたのも事実で、
それをはねつけ、寄せ付けないようにしてきた特に次男の
反抗心の強さと長さが
私のいたらなさであったのだと
痛感するばかりなのです。
少し前夫に、
子供とのこと色々あったからこその
今なのだから、
昔のことも容認できるんじゃない?
と言われたとき
私は
ううん。やはりあのときは辛かった。
そのことは無い方が良かったと思ってる。
と自分の生き様を否定しました。
でも本当は
そんななけなしのプライドがある自分だから
けちょんけちょんに否定されたのだ。
自分は大した人間ではないのに、
大した子育てができたわけじゃないのに
親であるというだけで
いつのまにか尊大になっていたのだとね。
自覚しているのです。
子供の立場だけだと被害者に簡単になりうる。
でも子育てを通すと自分を丸裸にされてしまう。
あれもこれも嫌なんだ!とね。
子育ては人生の裏表。
子供として生きるのは表舞台であり、
親として生きるのは裏舞台のようで、
両方を生きて初めて両方の立場が理解できる。
一人前というのはそういうこと。
だから、
武田アナウンサーの涙をみたとき、
私も長く自分と葛藤してきた。
それを思い出して私も胸が苦しくなった。
今は、私は自分は何様でもなく、
人生における修行をとにかく乗り越えて
いこうと思っているだけの人間です。
子供からヘルプがきたら、
それを助けられるか、修行です。
いつも息子たちが私を迷惑がらないようにとは
気をつけていても、うるさい親だと常に思われてしまうものだと気をつけていくのも修行です。
歳をとると、
自分の至らなさを感じてしまいます。
それに年寄りになっていくことは
若い人にとっては生きているだけで面倒をかけることに
なってしまう。
だから年寄りこそ徳を積むべきだと
私は思うのです。
こんな気持ちになることは、
子育て前半には分からなかったことで、
私は唯一、子供にしてあげたかったことは
私ができなかった
高校と大学生活、お金がないから部活もできず
家のことをやらなければならなかったことだけは
させたくない。この7年間の多感で貴重なときを
ほんとうにエンジョイしてほしい。
そして大人になっていって、信頼できるお嫁さんと
地味でもいいから手を取り合い思いやりを持って
生きていってほしい。ってね。
ん?まだ欲張りですかね。
結婚して子育てをするのは
それだけでも予期せぬこともあり大変なこと。
そう考えたら、
それ以上の余計な面倒はなるべく削いでいく合理性が
ないとそれは自分にかかってくる。
夫の悪口言ってもプラスになることなんて一つもない。
むしろマイナスだらけになってしまう。
私は優しい夫に恵まれましたが
いろんな性格の違いもあり、
齟齬もあり
軋轢もあり
だけど、全部ひっくるめて
自分の親にはなかったものを
結婚前に期待していたものを
いつもわたしにくれました
それは私の立場を尊重してくれたことでした。
でも本当にリアル尊重してくれているのは今です。
それが私には何よりかけがえのない宝で、
晩年に夫に感謝できる環境にできた夫婦であったことだけは、
息子たちにも理解してもらえたらと思います。
不出来な夫婦でも、ここまでなんとかやってこれたのだけが
私の、いえ私たちの誇りでありオナーでもあるのです。
毒親であったのでは?
と思うことも多々あるけど
それも私の不甲斐なさなのだとね。
認めてそこで終わりでなく
武田アナウンサーが言った
これからもずっとなんですね。ですよね。
苦しみも嬉しさも
全てが全部自分という川の流れを構成しているもの
ゆく川の流れは絶えず ですね
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