平成のときテレビのニュースかなにかで
みたような記憶。
昭和に比べると画数が少なくて
間延びした感じだったので
皆と話していたのは、なんだか物足りない感じみたいな。
しかし、平成の世に生まれた世代は、
その元号が当たり前の普通の存在だったのだ
ということを改めて思いました。
私たち夫婦が結婚する直前、
前の年の12月あたりから昭和天皇の
お具合が悪いということで
歌舞音曲を控えるようにとのことだった。
崩御されたのは年が明けての7日で、
私たちの結婚式は1.21予定で
さらには霊南坂教会から学士会館まで車で移動で、
もろに皇居を半周する感じであったので、
案じていたのを思い出します。
結婚したのが平成元年で
長男は平成2年
次男は平成6年生まれなのです。
このころあたりには平成も慣れてきましたね。
今回、
このように崩御のち元号発表ではなかったので、
本当に明るい気持ちで受け入れられるのは
よいことかと。
過去には地震などの天災が続いたりしたら元号を
変えていたようですが、
1天皇1元号はとても合理的だと思います。
面倒だから西暦だけに
なんていう人の気持ちには同意できないですね。
だいたいこういう微妙なセンスが
日本人を賢くさせるんですよ。
何年足せば西暦にとか、
明治から令和までスラスラって計算できて、
わーすごい!頭いい!とか、
元号は最初と最後がかぶるから、
西暦の1年の間に元号二つある年があるんだよ。
とかね。
これは四季がある国とない国の差みたいな
もので、あのとき寒かったからあれが大変だった
などと記憶するのと同じで、
平坦な道は、脳には刺激は与えられないもんです。
宗教的なものはさておき、
色々な点で
新しい元号が決まり
来月からその元号の使用がはじまるのだ
と思うと
日本人や日本国にとって
ひとつの区切りになるというのは
身が引き締まる思いです。
ちょうど新天皇が即位されるとき、
私は千葉の引っ越しを終え、
本格的に関西に根ざして生きていくことに
なります。
とは言っても荷物出したあと、
最終掃除をし、
貸す手続きのため再度千葉にいかないと
いけませんが。
お孫ちゃんのAくんが昨日から保育園入園したみたい。
お母さんは寂しかっただろうな。
Aくんは泣いたかな。
お迎えのとき、お母さんはAくんを抱きしめたかな。
なあんて妄想してました。
みたような記憶。
昭和に比べると画数が少なくて
間延びした感じだったので
皆と話していたのは、なんだか物足りない感じみたいな。
しかし、平成の世に生まれた世代は、
その元号が当たり前の普通の存在だったのだ
ということを改めて思いました。
私たち夫婦が結婚する直前、
前の年の12月あたりから昭和天皇の
お具合が悪いということで
歌舞音曲を控えるようにとのことだった。
崩御されたのは年が明けての7日で、
私たちの結婚式は1.21予定で
さらには霊南坂教会から学士会館まで車で移動で、
もろに皇居を半周する感じであったので、
案じていたのを思い出します。
結婚したのが平成元年で
長男は平成2年
次男は平成6年生まれなのです。
このころあたりには平成も慣れてきましたね。
今回、
このように崩御のち元号発表ではなかったので、
本当に明るい気持ちで受け入れられるのは
よいことかと。
過去には地震などの天災が続いたりしたら元号を
変えていたようですが、
1天皇1元号はとても合理的だと思います。
面倒だから西暦だけに
なんていう人の気持ちには同意できないですね。
だいたいこういう微妙なセンスが
日本人を賢くさせるんですよ。
何年足せば西暦にとか、
明治から令和までスラスラって計算できて、
わーすごい!頭いい!とか、
元号は最初と最後がかぶるから、
西暦の1年の間に元号二つある年があるんだよ。
とかね。
これは四季がある国とない国の差みたいな
もので、あのとき寒かったからあれが大変だった
などと記憶するのと同じで、
平坦な道は、脳には刺激は与えられないもんです。
宗教的なものはさておき、
色々な点で
新しい元号が決まり
来月からその元号の使用がはじまるのだ
と思うと
日本人や日本国にとって
ひとつの区切りになるというのは
身が引き締まる思いです。
ちょうど新天皇が即位されるとき、
私は千葉の引っ越しを終え、
本格的に関西に根ざして生きていくことに
なります。
とは言っても荷物出したあと、
最終掃除をし、
貸す手続きのため再度千葉にいかないと
いけませんが。
お孫ちゃんのAくんが昨日から保育園入園したみたい。
お母さんは寂しかっただろうな。
Aくんは泣いたかな。
お迎えのとき、お母さんはAくんを抱きしめたかな。
なあんて妄想してました。
コメント
半端なかったですよね。
実際に行事も多かったし。
そういう点からも平成天皇のご決断は
ほんとうにすごいと思いました。