母は容態安定のもよう。

肺も肝臓も腎臓も、細菌性の何かにやられたみたい。
肝臓の斑点?の正体つきとめるのに造影剤CTがあるらしいが、
母にはきついらしいので、できない。
とりあえず元気になってきているので、
28or29日に退院でよいのでは?
とのことだったので、
妹が29日に迎えに行ってくれることになりました。

しばらくは妹に頑張って預かってもらい、
私も2月には手伝いにいき、
三月末は次男の入寮のため引っ越し第一弾。
四月には我が家の三重県への引っ越し。
と、まあ、立て込んで参りました。

母は退院したら、また熱を出すかもしれないから
もう一人暮らしはやめたほうがよい。
とお医者さんから言われたそうです。
姉から聞いた妹の感想はあのお医者さんは母をもう見放した。
ピーターちゃん言うところの寿命がもうすぐだということだろうと。

あと2年ぐらい持てばいいところかも。
妹は先が見えたので、しばらく母のために介護して後悔がないようにしたい。
と。わかる。わかるよ。

で、妹が行き詰まったら、いよいよ施設にしようということになりました。
母の住んでいる市もよいけど、となりの市にも施設は色々あるみたい。
平成の次の元号や、東京オリンピックは待っていてほしいんだけどな。

コメント

マサムネ
2018年12月26日22:59

命あるものはいつかは・・・といいますが、その時を眼の前にして残された人は一日でも、一秒でも長くいて欲しいと思いますよね。(僕もそうでした) 妻の祖父の時は仕事中でしたし、祖母の時は近くを通っていたのですが、バイトの面接も終わって帰宅してしまっていました(実はその時一刻を争う事態だった)あのとき、ぷらっと寄っていればなぁ、祖母はもう少し長く生きていられたかもな?と今でも思います。 残されているものがその人生を犠牲にしてまでもすることではないかも知れませんが、悔いの残らないように周りの人とよく話し合ってすすめてください。 いい方向に色々と向かうように願っています。

ピーターパン in Japan
2018年12月27日4:52

マサムネさん。心のこもったコメントありがとうございます。
私はもうかなり長く母と向き合ってきたので、妹や姉が心残りないようにと思います。私も予期してはいましたが、段々と親がいなくなってしまうのは寂しいもんですね。私よりは先に逝ってほしいとは思っているので、逆に安心する気持ちも起こってもいます。若いときならそんなことは微塵にも思わなかったと思います。
これから5カ月、バタバタする時間を迎えるので、油断なくは過ごさないとと思っています。

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