国道51号はなかなか魅力的な国道でした。
以前香取神宮から鹿島神宮にこの国道を使って走りましたが、夜になったため見ることができずにいました。
そこで昨日は再度鹿島神宮めざし、さらに北上して終点の水戸まで走ってきました。
ツイッターにも上げましたが、
鹿島神宮はかなり格の上の神宮で、
延喜式の中で「神宮」と名の付くのは、伊勢神宮、香取神宮と鹿島神宮3つしかなかったとのこと。調べるとここは非常に奥深いというのを知りました。
朝早かったのですがなんとかオープンの9時には到着。
参道はかなり整えられており、駐車場の呼び込みのおばちゃんの声に従って入りました。500円でしたが、実際には一番神宮の入口の近いところに300円の駐車場がありました^^
それから神宮に向かってあるくと、ボランティアのデスクがあったりしたんですが、今は全員ボランティア中とありました。残念^^ あとでわかったのですが、ボランティアさんは無料で、このボランティアさんの机のところにだけ神宮の簡単なパンフレットがありました。結果私は遠慮しちゃってこの説明のパンフは受け取れなかったです。(神宮内にはなかったです)
で、入っていくと、とても雰囲気のようい楼門とかがあり、なんだか格式が上っていうのもわかるなーーという感じ。でも個人的には香取神宮の方が私はかっこいいなーーとは思いました。というのも、ここは珍しいような感じがするんですが、楼門と社殿が垂直に配置されてるんですね。こんな配置は初めてで。。ですので楼門を入っていくと、普通は楼門からぐーーっとズームしていく感じで拝殿に近づくんですが、ここは社殿はどこ?みたいな?笑
ただ、奥宮という宮がかなり長い森林木立の道を歩いていった先にあったりして、これはこの森林(すごく木の背丈が高い)こみで立派な宮なんだな。。っていう感じがしました。
ところで
鹿島神宮にきて初めて知ったことがいくつかありました
1)鹿島神宮の祭神 武甕槌大神 たけみかづちのおおかみ
鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。
http://kashimajingu.jp/about/御由緒・御祭神/ より
この神様とふつぬしのおおかみ(香取神宮の神様)が。。。日本の建国に携わったお二人(二人といっていいのか)なんですね。すごいわ。ほんと^^
2)鹿島神宮の創建は神武天皇のときで皇紀元年なんですね!すごいわーー。笑
3)鹿島神宮には鹿がいる。
この鹿はタケミカヅチノオオカミの使いらしいです。奈良の鹿とは異なり、柵の中でおとなしくしていました。
4)鹿島神宮には奥宮がある。
なんとなく伊勢神宮の内宮、外宮みたいな感じがしました。奥宮はそんなには大きくないのですが建物そのものも質素でありながら厳かな感じでした。
5)鹿島神宮にはさざれ石がある。
あの君が代の「さざれ石」です。なんだかもこもこっと盛り上がった石で変わった形のものでした。もともとはさざれ石というのは細かい小さい石という意味みたいですね。ウィキペディアによると
「日本の国歌である「君が代」の歌詞に歌われることで、その名が知られている。ただし、歌詞中のさざれ石(細石)は文字通り、細かい石・小石の意であり、それらの小石が巌(いわお)となり、さらにその上に苔が生えるまでの過程が、非常に長い歳月を表す比喩表現として用いられている。」とあります。
実際の国歌でのさざれ石のモデル?になったものは岐阜県揖斐川町にあるそうです。
さざれ石は「さざれ石は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。」
とあります(同じくウィキペディア)それがわかるなーーといった具合の面白い形状でしたよーー。ほんと。やっぱり実際に見てみないとわからないものですね。
6)鹿島神宮の「要石」は香取神宮のものより厳かに扱われている。笑
香取神宮は拝殿社殿に行く道とは違う道にあります。そこには神社もあり、ちゃんと見れば大切にされているのがわかるのですが、わりと自由な感じで見ることができるし、フレンドリーな感じです。ところが鹿島神宮の要石は、ちゃんと拝礼しないといけない形になっていて、柵の外には小さい鳥居があったりします。
香取神宮の要石には拝礼しなかったので、いかんかったかなーーって思ってます^^笑
7)奥宮にいくまでの奥参道の森林木立がすばらしい
流鏑馬も行われるためか、参道はきれいな土なんですが轍のようなものが2-3本入っています。そこを避けるときれいに整地されたような土の道がずーーと続きます。
知りませんでしたが「塚原卜伝(ぼくでん)」のテレビドラマかなにかの撮影がここでなされたという看板が出てました。
塚原卜伝
http://city.kashima.ibaraki.jp/info/print.php?no=3389
鹿島では有名な方のようです^^;;
といったぐあいです。
無事御朱印帖にもサインしてもらい(奥宮と二つしてもらいました)
車に向かったのですが、その途中、マンホールの蓋に鹿島アントラーズの記章?が書いてありました。そこで私は初めて、この鹿のマークが鹿島という地名にくっついた鹿ではなく、鹿島神宮の神様の使いとしての鹿なんだというのを理解して、うわーーって思いました^^
無知っていうのはほんと無知なんだなーーって。
ということですごく奥深いものを感じながらこちらを後にし、さらに国道51号を北上すると。。
今度は
「鹿島灘海浜公園」があったので入ってみました。
駐車場からは海はみえず、車を降りてしばらく見晴らしの丘みたいなところを歩いていくと、下り坂になっていき、だんだんと海が見えてきます。
そこでまたびっくり! ここものすごく整備されています!
ただの海岸ではなく、砂浜から丘にかけて樹木が公園風に整備されています。それがものすごく広い範囲なんですね!
鹿島は鹿島神宮のあたりというのは工場があったりして浜辺は期待してなかったのですが、少し走るとこんなに素晴らしい海岸線を持っていたんですね!これを整備している県?市?も大変だなあと。それでもすばらしい光景にびっくり。ただ一人で時間をかけて降りていくにも一苦労な感じだったので、これはのちのちにとっておこうと^^ あんまり年取ってくると上り下りはかなりきついですが。。誰かと一緒にあるかないとちょっと根性はいらないレベルでした。
風は強いし波も荒そうでしたがほんときれいな鹿島灘でした!
そこからさらに北上したらほどなく大洗海岸に到着です。
ここは昔大学1年のときに友人になった方のおうちが土浦だったのですが招待してくれて、明治大学に通っていたお兄さんに車で連れて行ってもらったところです。以前行ったときは静かな荒い海だなーーって感じでしたが、すっかりリゾートっぽくなってました。あのころの写真などは取らなかったので比較ができなくて残念です。今でもあのころの思い出があって大洗ときくと、何もない海水浴場みたいな感じでしたが、実際には、青い道もあったりビーチバレーのコートもあったり、いらっしゃるお子様連れはテントを張ってたりと、とても賑やかな感じでしたが海は九十九里と同じような感じでした。
そしてそこをちょっと北東に行くと、今度は岩場の海岸線。んーー。まあこれは和歌山の岩場のほうが迫力あるなあと思いました。
大洗からは北海道(苫小牧)にいく商船三井のフェリーが出ているようですね。北海道への玄関みたいな宣伝文句がありました。タワーもあったりと、レジャーうにはよいところだなーーって。ただ、地震がきたら逃げましょうという表示がありますが、結構走らないといけないので、私は死ぬな。
大洗磯前神社が高台側にあったので、きっとここの手前まで津波がくるってことだなあ。。と。確かに、あの海浜公園もかなり上らないといけなかったのですが、これは津波とかで浸食された結果の風景なのかなと思います。
さらに大洗から北上して水戸を目指したところ、ここから北西に走ります。ほんとうにもうすぐそこの距離でほどなく水戸駅に。すると突然国道51号は国道50号に変わってしまい。。なくなってしまいました。
ということで、Uターンして水戸偕楽園とかはまたねーー。。といった感じで国道6号に入りましたが、やはり距離的には100キロあるので長い長い。。トイレや眠気問題も出てきたので常磐道の千代田石岡インターから入りPAに入りましたら。観光バスがすごいたくさん入っていて長蛇の列!
ふうーーやっぱり日曜の夕方だなーーと思って空いてから入りましたが、
すっかり眠くなって熟睡。
中ほどで2回トイレにいったのを覚えてましたが、すっかり目が覚めたのは夜中になってしまい(笑)帰宅したのは早朝でした^^
それにしても国道16号は朝の4時半から結構なトラックが通っているんですが、あんなに早起きしてお荷物届けにいくんですね。国道16号はほんとすごい交通量だなあと思いました。
はい。。今回もお疲れ様でした。
追記
少しやばいことが。。
半袖でいったのですが、紫外線カバーの手袋などをもっていなかったので、日にさらしていたら、ひどくかゆみがきました。あーーこれ紫外線アレルギーが再発したな!っていう感じでした。両腕きました。
免疫力低下で起こるみたいで、糖尿が悪化していたころになりましたが、またこれ悪化してきた証拠かなあと。残念です。とりあえず日にさらすのはやめます。
以前香取神宮から鹿島神宮にこの国道を使って走りましたが、夜になったため見ることができずにいました。
そこで昨日は再度鹿島神宮めざし、さらに北上して終点の水戸まで走ってきました。
ツイッターにも上げましたが、
鹿島神宮はかなり格の上の神宮で、
延喜式の中で「神宮」と名の付くのは、伊勢神宮、香取神宮と鹿島神宮3つしかなかったとのこと。調べるとここは非常に奥深いというのを知りました。
朝早かったのですがなんとかオープンの9時には到着。
参道はかなり整えられており、駐車場の呼び込みのおばちゃんの声に従って入りました。500円でしたが、実際には一番神宮の入口の近いところに300円の駐車場がありました^^
それから神宮に向かってあるくと、ボランティアのデスクがあったりしたんですが、今は全員ボランティア中とありました。残念^^ あとでわかったのですが、ボランティアさんは無料で、このボランティアさんの机のところにだけ神宮の簡単なパンフレットがありました。結果私は遠慮しちゃってこの説明のパンフは受け取れなかったです。(神宮内にはなかったです)
で、入っていくと、とても雰囲気のようい楼門とかがあり、なんだか格式が上っていうのもわかるなーーという感じ。でも個人的には香取神宮の方が私はかっこいいなーーとは思いました。というのも、ここは珍しいような感じがするんですが、楼門と社殿が垂直に配置されてるんですね。こんな配置は初めてで。。ですので楼門を入っていくと、普通は楼門からぐーーっとズームしていく感じで拝殿に近づくんですが、ここは社殿はどこ?みたいな?笑
ただ、奥宮という宮がかなり長い森林木立の道を歩いていった先にあったりして、これはこの森林(すごく木の背丈が高い)こみで立派な宮なんだな。。っていう感じがしました。
ところで
鹿島神宮にきて初めて知ったことがいくつかありました
1)鹿島神宮の祭神 武甕槌大神 たけみかづちのおおかみ
鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。
http://kashimajingu.jp/about/御由緒・御祭神/ より
この神様とふつぬしのおおかみ(香取神宮の神様)が。。。日本の建国に携わったお二人(二人といっていいのか)なんですね。すごいわ。ほんと^^
2)鹿島神宮の創建は神武天皇のときで皇紀元年なんですね!すごいわーー。笑
3)鹿島神宮には鹿がいる。
この鹿はタケミカヅチノオオカミの使いらしいです。奈良の鹿とは異なり、柵の中でおとなしくしていました。
4)鹿島神宮には奥宮がある。
なんとなく伊勢神宮の内宮、外宮みたいな感じがしました。奥宮はそんなには大きくないのですが建物そのものも質素でありながら厳かな感じでした。
5)鹿島神宮にはさざれ石がある。
あの君が代の「さざれ石」です。なんだかもこもこっと盛り上がった石で変わった形のものでした。もともとはさざれ石というのは細かい小さい石という意味みたいですね。ウィキペディアによると
「日本の国歌である「君が代」の歌詞に歌われることで、その名が知られている。ただし、歌詞中のさざれ石(細石)は文字通り、細かい石・小石の意であり、それらの小石が巌(いわお)となり、さらにその上に苔が生えるまでの過程が、非常に長い歳月を表す比喩表現として用いられている。」とあります。
実際の国歌でのさざれ石のモデル?になったものは岐阜県揖斐川町にあるそうです。
さざれ石は「さざれ石は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。」
とあります(同じくウィキペディア)それがわかるなーーといった具合の面白い形状でしたよーー。ほんと。やっぱり実際に見てみないとわからないものですね。
6)鹿島神宮の「要石」は香取神宮のものより厳かに扱われている。笑
香取神宮は拝殿社殿に行く道とは違う道にあります。そこには神社もあり、ちゃんと見れば大切にされているのがわかるのですが、わりと自由な感じで見ることができるし、フレンドリーな感じです。ところが鹿島神宮の要石は、ちゃんと拝礼しないといけない形になっていて、柵の外には小さい鳥居があったりします。
香取神宮の要石には拝礼しなかったので、いかんかったかなーーって思ってます^^笑
7)奥宮にいくまでの奥参道の森林木立がすばらしい
流鏑馬も行われるためか、参道はきれいな土なんですが轍のようなものが2-3本入っています。そこを避けるときれいに整地されたような土の道がずーーと続きます。
知りませんでしたが「塚原卜伝(ぼくでん)」のテレビドラマかなにかの撮影がここでなされたという看板が出てました。
塚原卜伝
http://city.kashima.ibaraki.jp/info/print.php?no=3389
鹿島では有名な方のようです^^;;
といったぐあいです。
無事御朱印帖にもサインしてもらい(奥宮と二つしてもらいました)
車に向かったのですが、その途中、マンホールの蓋に鹿島アントラーズの記章?が書いてありました。そこで私は初めて、この鹿のマークが鹿島という地名にくっついた鹿ではなく、鹿島神宮の神様の使いとしての鹿なんだというのを理解して、うわーーって思いました^^
無知っていうのはほんと無知なんだなーーって。
ということですごく奥深いものを感じながらこちらを後にし、さらに国道51号を北上すると。。
今度は
「鹿島灘海浜公園」があったので入ってみました。
駐車場からは海はみえず、車を降りてしばらく見晴らしの丘みたいなところを歩いていくと、下り坂になっていき、だんだんと海が見えてきます。
そこでまたびっくり! ここものすごく整備されています!
ただの海岸ではなく、砂浜から丘にかけて樹木が公園風に整備されています。それがものすごく広い範囲なんですね!
鹿島は鹿島神宮のあたりというのは工場があったりして浜辺は期待してなかったのですが、少し走るとこんなに素晴らしい海岸線を持っていたんですね!これを整備している県?市?も大変だなあと。それでもすばらしい光景にびっくり。ただ一人で時間をかけて降りていくにも一苦労な感じだったので、これはのちのちにとっておこうと^^ あんまり年取ってくると上り下りはかなりきついですが。。誰かと一緒にあるかないとちょっと根性はいらないレベルでした。
風は強いし波も荒そうでしたがほんときれいな鹿島灘でした!
そこからさらに北上したらほどなく大洗海岸に到着です。
ここは昔大学1年のときに友人になった方のおうちが土浦だったのですが招待してくれて、明治大学に通っていたお兄さんに車で連れて行ってもらったところです。以前行ったときは静かな荒い海だなーーって感じでしたが、すっかりリゾートっぽくなってました。あのころの写真などは取らなかったので比較ができなくて残念です。今でもあのころの思い出があって大洗ときくと、何もない海水浴場みたいな感じでしたが、実際には、青い道もあったりビーチバレーのコートもあったり、いらっしゃるお子様連れはテントを張ってたりと、とても賑やかな感じでしたが海は九十九里と同じような感じでした。
そしてそこをちょっと北東に行くと、今度は岩場の海岸線。んーー。まあこれは和歌山の岩場のほうが迫力あるなあと思いました。
大洗からは北海道(苫小牧)にいく商船三井のフェリーが出ているようですね。北海道への玄関みたいな宣伝文句がありました。タワーもあったりと、レジャーうにはよいところだなーーって。ただ、地震がきたら逃げましょうという表示がありますが、結構走らないといけないので、私は死ぬな。
大洗磯前神社が高台側にあったので、きっとここの手前まで津波がくるってことだなあ。。と。確かに、あの海浜公園もかなり上らないといけなかったのですが、これは津波とかで浸食された結果の風景なのかなと思います。
さらに大洗から北上して水戸を目指したところ、ここから北西に走ります。ほんとうにもうすぐそこの距離でほどなく水戸駅に。すると突然国道51号は国道50号に変わってしまい。。なくなってしまいました。
ということで、Uターンして水戸偕楽園とかはまたねーー。。といった感じで国道6号に入りましたが、やはり距離的には100キロあるので長い長い。。トイレや眠気問題も出てきたので常磐道の千代田石岡インターから入りPAに入りましたら。観光バスがすごいたくさん入っていて長蛇の列!
ふうーーやっぱり日曜の夕方だなーーと思って空いてから入りましたが、
すっかり眠くなって熟睡。
中ほどで2回トイレにいったのを覚えてましたが、すっかり目が覚めたのは夜中になってしまい(笑)帰宅したのは早朝でした^^
それにしても国道16号は朝の4時半から結構なトラックが通っているんですが、あんなに早起きしてお荷物届けにいくんですね。国道16号はほんとすごい交通量だなあと思いました。
はい。。今回もお疲れ様でした。
追記
少しやばいことが。。
半袖でいったのですが、紫外線カバーの手袋などをもっていなかったので、日にさらしていたら、ひどくかゆみがきました。あーーこれ紫外線アレルギーが再発したな!っていう感じでした。両腕きました。
免疫力低下で起こるみたいで、糖尿が悪化していたころになりましたが、またこれ悪化してきた証拠かなあと。残念です。とりあえず日にさらすのはやめます。
コメント
だろう?って思っちゃいます。今回国道51号と同様に、圏央道を走ってみるというのを試してみたかったのですが、海老名あたりで渋滞にはまるかもしれないと思ってやめました。圏央道も人気があるんですね^^ 一度通ってみたいです。
それにしても死後に。ということは遺族は知っても本人はあの世で知るとは。