今日は大阪は雨から始まってます。
よく降っていますが、寒さがひと段落ついてあたたかめなので
母にはよいと思います。

今日は阪神淡路大震災23年
思い出してみれば、前年の1994年9月に次男が生まれたのですが、それが非常に暑い夏で、当時はめったに使わないエアコンをついに3回使った!などと言っていたほどでした。
その翌年、1月すぐに地下鉄サリン事件(オウム真理教)があり、その後すぐに阪神淡路大震災というなんだかよろしくないことが続いたのでした。

ちなみに次男が生まれた9月は、関西空港がオープンした月なので、次男は関西空港、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災と同級生ということになります。
波乱の年代ですね。ほんと。

今年は冬が早く始まり、とても寒い日々が続いていて、巷ではすでに温暖化=もうけ話みたいな?風潮になっていて、だまされないぞーー的な声も出始めています。でも温暖化対策っていうより排気ガス規制は日本では当たり前になってるけど、ジャカルタとかひどかったのでほんとうにそれだけは温暖化の名のもと、対策しっかりしたほうがよいなと。

あ、ジャカルタでビルの床崩壊事故があったようですが、
すごいですね。
旧インターコンチネンタルホテルで今は違う名前のホテルになっているようです。インターコンチ、うまいこと売却しましたね。
ジャカルタは何度も言ってますが、私たちが駐在した1992年前後に作られていた危ないビルがいっぱいあるのですが、とにかく柱がほそーーーーくて、目に見える太い柱はすべて張りぼて! 当時の映像をビデオにしっかり収めています。どこにあるかな?って。。。埋もれちゃってますが。
韓国企業が受注したビルはとくに危険を顧みない設計のものが多く、当時言われていたのはガルーダ航空が入っていたビルです。シンガポールの有名な高層ビルもそうですが、このビルの設計図を見て日本企業は建てられないということで断ったものを韓国企業が受注したものです。今はどうなってますかね。
とにかくあの当時から20年。セメントだってどんなものが使われているかわからないし、このような事故はどんどん出てくるでしょう。韓国企業が建てたビルからは撤退しておいたほうがいいと思います。これマジです!

ジャカルタに引っ越すときに夫があるマンションの見取り図を見せてくれたのですが、そのお部屋のどこに柱あるの?っていうほどで、要するに柱と壁が同じ厚さなので図面には見えてこないんですね。それでいて高層マンションなんですよ。あーーおそろし!こんなところ入れません!っていって断り、二階のない平屋住宅に住んだのです。そうしたら同じ会社のニョニャニョニャ(ご婦人)さんからなんで今更一戸建て?って言われちゃいました。

これは以前にも書きましたが、当時ジャカルタに進出していた日本の建設企業の姿があまり見受けられなかったので不思議だったのですが、実は住居が建設企業さんたちだけが集まって住んでいたらしく、普通のマンションとかには恐ろしくて住めなかったようです。お会いする機会がなかったのですが、今でもきっと一般企業さんとは別の場所に住んでおられると確信いたしております!笑

ちなみに、スナヤンという地区であの当時新しく建設が始まったモールの基礎工事でジャカルタにしては珍しくまじめにぶっとく柱作ってるなーーとみていたら、それは日本企業が施工していたのでした。やっぱりなーーー。てな感じでみていたものです。

あのとき私は変態?扱いされたものですが、そろそろ在ジャカルタの日本企業さんは駐在者の住居をまじめに考え直したほうがよいと思いますよ^^

とかなり話はそれましたが、今年の冬大きな事件や災害がないことを願います。気候変動が激しいし、地震も全国で起こっているのでいつになくひやひやしています。

ということで千葉にもうすぐ帰るので、母の美容院に行く日も金曜日とし、お風呂も今日お昼間に入ってもらうことにしました。



コメント

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五十朗
2018年1月18日2:28

94年の夏は世界的に記録的暑さでした。フィンランドとバルト諸国を転々としてましたが白夜でエアコンもないホテル - 暖房はしっかりしてる で往生しました 夜の10時にかんかんでりなんで 100年来の暑さと報道されてました 街路樹がみんな黄色くなって枯れてました 部屋でねてられないので アイスキャンディーたべたり そとをあるいたりしてごまかしてました あのころは記録的円高でもありましたね

ピーターパン in Japan
2018年1月18日8:50

あー。すごい懐かしい!五十朗さまが大変だとよく話をしてくれました。確か次男出産後、フィンランドへの長期出張か終わったんですよね。
あのときは寂しくなったときにフィンランドのホテルに電話してしまい、月の国際電話代金が5万円ぐらいになって涙涙でした。今の何時間でもただが信じられないですね。
最近テレビでエストニアなどバルト三国の話題がありましたが、くしくもスカイプがエストニアの企業と聞いてびっくりしました。
フィンランドでの長期出張のときバルト三国に馴染みがあった五十朗さまがアテンドしてくれて家族でエストニア、ラトビア行ったのが懐かしいね。すごく綺麗で素朴なところで、石畳みの街もあり、私は大好きになりました。独立直後ということもあり、若い人がとても生き生きしていたような。

nophoto
五十朗
2018年1月19日22:11

古いドイツの町並みが残っているのが特徴でそれ目当てのドイツ人観光客も多い。中国人が奈良京都で感激するのと同じ現象。オペラバレーもいきましたね 龍忍が気分悪くなって大変でしたが リトアニアはいけなかったのでいつかいきましょう ラトビアは今部 の先輩の奥さんが大使閣下ですな 私が行っていたころは大使館領事館ともなく パスポートなくしたら終わり の状況だったんですが

ピーターパン in Japan
2018年1月23日0:01

わーー。いけたらいいなーー。以前のような環境は今の私には夢みたいな状況なので。。。ラトビアには強力な知人さんがいらっしゃるようですねーー。とりあえず飛び込めるところがあるのはうれしいです。日本人の観光客も日本の首相の訪問があったので増えるかな?あるいは企業も増えたりかもね。

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