母のぼけ具合を呆れていたのに、最近自分のぼけもひどくなってきたらしいのを感じざるを得ないことが増えてきて呆れておりますが、ここらへん、ぼけたあとの自分の対応のこれからの習慣が年老いて出てくるであろうと考えると、あほやね、わたし、ごめんなさい。笑。ぐらいですますのがよいかなと思ってしまいます。色々取りつくろってプライド高くぼけてないわよ、失礼な、は厳禁やね。言い訳するのもちょっとね。ぼけた自分を素直に明るく謝るのが一番ね。

次男はそろそろ卒業研究の提出間際で大変な毎日に違いないと想像しています。
それに最大の敵、杉花粉に悩ませられ始めているかも?と心配します。
長男は先日演劇に出演して、きっとバテバテで仕事に行っているに違いない。
妹は寒い時期のワンコの世話が大変そう。引越しもあるようだし、ずっと手伝ってあげたいのに。
五十朗は私のぼけにも悪態つかず、フォローしてくれて。。忍耐力は父親ゆずりかも。ありがたや、ありがたや。

大阪母はぼけ太郎はだいぶ進んできましたので、一人暮らしはもう無理かとはやはり思います。事務作業ができないのが定着してます。
寝て起きて食べて、新聞週刊誌はよみます。看護師さんや医師とは楽しく話しをします。
91歳でこれだけできれば長生きエリートですね!

なんど聞いても、正確な年齢は言えずサバをよみます。
風呂はいつ入ったかは前日でも忘れます。
天気予報は何度聞いても初めて聞くみたいです。
夜はトイレ一度いきますが、私が少々物音立てて家事をしても気がつかず寝ることができるようになりました。(正直これありがたい、夜や朝方外出したり、ゴミ出しや掃除も大丈夫になったので)
私がいつも補充していますが、見ないまま、お金はもうあれへんといいます。
それでも「認知症にはなりたくない」というところ、かわいいね。

でもそれは自分の母だからそう思えるのです。
私の母はもう私の子供になってますが、思い出の母は、いつまでも母なのです。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索