今、三重なんですが、今日気がついたことがあります。
大阪の家は私の育ったところではありますが、親がいて自分の将来もまだまだ見えない18歳までの期間に住んでいたところ。
あの結婚していないころの空気。それが大阪にいると自然に思い出される。変な話、隣の一歳下の高校の同窓生が昔二階の窓から我が家を見てたなあとか、あいついつも生意気だったなあとか(^^;; 父のことも思い出す。二階の部屋になくなる前に一人で寝ていたところだし。私と妹のために用意してくれた部屋だったのだけれど、一緒にいると勉強もできないし、喋ってばかりがいやだったので、いつの間にか3畳ぐらいの書斎で寝起きするようになったとか。
その書斎で捕まえた小さい蜘蛛を小さいプラスチックのケースに入れて、飲まず食わずでこの蜘蛛は何ヶ月生きるかという実験して、いつの間にかその蜘蛛を見ることが日課になり、死んだときは悲しくなったという大変な黒歴史があったのだけれど、そんなことは母は知らない。私の母は私には無関心で、記憶が遠のいてきている今も、姉と妹には親としての思い出を話すけれど、私とのことは、ピーターちゃんに話聞いてもらったり、自分の親が寝たきりになって夜中のオムツ交換交代してくれて、本当に嬉しかったとかそんな思い出しかないもよう。そういった話を聞くと、かなり親といっても自然体で親してた母が、あのときにああ言った、こうしていたと思い出し、子供はそんな親でも親と認めてきたんだな。この家には、大人や親というものを、子供としてしかとらえてなかった自分がいたんだと、なんだかひしひし感じる。
親と暮らしていた家は、どこか窮屈だった。次男が今、千葉のマンションにいるときに似たような気持ちになっているんじゃないかと感じることもあったものね。

それから結婚したあとの、すごく自由で、解放された自分とその空間が、千葉のマンションであり、この三重のアパート。自分主体の家であり、自由に過ごせる空間。
行き来しているからのこの空気の違い、変化をめまぐるしく脳で感じて、妙な感じがします。

老人二人、母と義母、二人とも自分の家、私にとっては解放された方の家に、お二人はいて、そこにいたままで、人にヘルプを求める。これってすごく恵まれてますよね。
実家に通い始めてもう6年ぐらいになるでしょうか。いや、もっとかな。なんだか私、やばいかも? なぜなら、待ってる二人を羨んでるものね。私もそういう贅沢な暮らし方したいよと思うようになってきた。本来なら千葉の家にいて、老後の家の心配もなく、お金の心配もない。引っ越しももうしなくていい。

でも現実はちがう。母を看取るだけじゃない。なくなったら家の整理もある。そして、三重の義母の世話がはじまる。いや、その前に三重に家を建てないと。義母は同居してといっているが、私達の住むところがまだない。建て替えが必要。その前に、母屋、別棟の建て替え。全部ゼロから。建て替えている途中どこに住むんだ?
本当はこの三重のアパートはそのためにも借りていた。

まだまだ引っ越し、片付けがてんこ盛り。老人たちはそんな私たちの未来なんて何もかんがえず、自分のことだけ心配する。いいご身分だし、今の私には本当に羨ましいだけ。

これって何かあったら、気持ちがプッツンしそうな予感がする。
このアパート去りがたい理由が、今ははっきりわかったように思う。

これも修行か。なんか疲れてるんかな。こんなときこそ目の前のことだけに思考、行動集中なのね。修行僧の修行と違い、修行の内容も計画も立てなきゃいけない専業主婦って。。。。

さて、こんなときこそ自分がためされるとき。大事なポイントにいるようです。

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