最近YOUTUBEでいろんなものを見たりしているのですが、今日はうっかり(お母さん)というキーワードにたどり着いてしまって、思わず泣けてしまった。

龍忍が私に向かってクソババ的発言をするようになったとき、最初私はこう思っていた。親からもどんな男性からもそんな言葉を聞く事がなかったのに、どうして罵声を浴びなきゃいけないんだろう?あんな人間信じられないよ。男の子ってなんてひどいんだろう。小さいときにもみじのお手手を広げておかあさーんって言って抱きついてきた龍忍。そのときすでに幼子を卒業していた長男に「龍忍が大きくなったらこういうこともしていたって証言してね」って笑いながら・・余裕の母親でダッコしてあげていた。いつもいつもあのときの龍忍を思い出す。なんて子供ってかわいいんだろう?こんなに愛情を注ぐことのできる存在があるなんて不思議で楽しくて嬉しくて・・。あのときのシーンはいつも私の心の中にあるのです。

龍忍の態度も素行も悪くなってきたとき、私との喧嘩も絶えなくなりました。なにかといえば、お互い罵倒しあう。そしてついには次男の堪忍袋の緒が切れて私にくってかかってくる。そういう場面が多くなって、私はわんわんと泣くし、次男の怒りは収まらないことが夫に多大な心配をかけて、よく会社を遅刻させたり早退させたりもしました。

ある日、龍忍と私だけのとき、まだ午前中だったと思う。何が原因だったか忘れちゃったのだけれども、こりもせず私が龍忍に注意をしたとき、腹に据えかねたものがあったのか、龍忍がうわ・・・と私に殴りかかってきて、連打を浴びてしまった。逃げられなかったので、そのままうずくまると、背中に強烈な一撃を浴びてしまい、ものすごい激痛が走った。そのまま起きれなくなって、自分では情けないと思いながら、わんわん泣いて、いたいいたいって叫んだ。でも龍忍は部屋に閉じこもってしまった。私は痛くて動けないからだを懸命に這い蹲りながら、やっとのことで携帯のところまでいって、泣きじゃくりながら夫に電話をして、立てない・・いたくて立てない・・御願いだからかえってきて!と懇願したのです。

尋常じゃない私の電話に、急いで戻ってきてくれた夫はたぶん唖然としたと思います。私は痛みのために動けないまま、洋間のテーブルの上にうつぶせになっていました。夫を見ても顔を向けることしかできなかった。

結局立ち上がることもかなり困難だったのだけれども、どうしてももうこれは病院にいかないといけないという危機感で、懸命に夫に支えてもらって、近くに住んでいる友人に車の応援をたのんだ。あまりに痛がる私に友人はどうしたの?と聞いてきたんだけど・・最初は正直にいえなくて、高いものをとろうとして転んだってうそをついた。

結局腰の骨が二箇所折れていたという状態だったのだけれど、手術できるものではないということで、泣く泣くまた家にもどった。

検査結果を待っている間、少しだけ友人と話す時間があって、彼女にはうそをついてもどうせわかっちゃうときがくるだろうと思い、泣きながら真実を話した。彼女は龍忍のよき理解者でもあるので、そんなことがあったのか・・と絶句しつつも、やさしく私を慰めてくれた。私は強がりのところもあるのだけど、彼女が私の頭をなでてくれたとき、嗚咽が出るぐらい泣いてしまった・・。


あのときの痛みってからだの痛みに精神的打撃があったから、よけい悲惨な思いになってしまったのだろうと思う。

子供に殺される親っているけど、私も次男にいつか殺されちゃうのかな・・とか、殺されても自業自得かな・・どうせ私なんてもう何の意味もない存在なんだから、殺されたってかまわないかも・・死ぬときは痛いだろうけど・・でも仕方ないよな・・・


自分の存在ってなんなんだろう?どうして私をこんなにするまで次男は私が嫌いなんだろう?私の今までしてきたことの何が悪かったのだろう?


夫は一生懸命私に次の被害がないように、それからも龍忍と私が二人きりになることないように心を尽くしてくれました。

龍忍も、やはりひどいことになったという気持ちになってくれたためか、その後は私に手を出すことはしなくなりました。

しばらく私の龍忍に対する感情は冷え切っていて、ともすればすぐに怒り出す龍忍を感じるにつけ、全身に氷水を浴びせられる気持ちになってしまう。すくんじゃうっていうのかな・・。




でもね・・



あれから1年過ぎて、今はこう思う。
やっぱり私は龍忍のことわかっていなかったんだな・・って。親として彼の方向性を正しくみてあげてなかったんだなって。龍忍はバイタリティーもあるし自立心も大せいの子なので、ほんとうに夫や私のやり方がいやだったんだと思う。なんとか自分で道を見つけたいと思っているところで、いつも横槍がはいってうまくいかない。出口がない暗闇の中で、私のウツ状態といういやな側面も見ざるを得なかった。口うるさいだけの私が不快だったんだと思う。

警察にも呼ばれたし、いわゆるチンピラ的子供たちとも接触するようになった。普通に学校にいって、普通に生活するということが、なんてすごいことなんだ!って情けないような気持ちが普通になったりもした。学校にちゃんと通っている子がとっても優秀でしゃんとした子に見えてきた。警察なんてちょっと腹たつわ!みたいな存在だったのに、警察に負い目ができるって、いやだいやだ・・っていう気持ちにもなった。

でも、今全てのことを振り返ってみたとき、龍忍の人生とか考え方っていうのは、私が知らない世界のことで、そういう世界も世の中には確かに存在していて、自分の今までの人生では無視できたことも、親として直視して受け入れなければならないんだということをつくづく感じる。



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男の子の母親って、すごく楽しい。
男の子の母親って、自分が母親である意味をうんと教えてくれる。

だけど、男の子の母親って、すごくさびしくなる。
与えてもらった幸福以上に、つらいことも持ってくる。
乱暴で、下品で、粗暴で、わからずやでいやになる。

でも、今はやっと、両方受け入れられる親になったのだと思う。
つらかったけど、まだまだ龍忍は親のことなんて振り返ってはくれない年齢だけど、龍忍をいとしいと思う気持ちは変わらない。長男を大事にしているように、龍忍も大事。かわいかった姿はもう過去のものでしかないし、二度と得られるものでもないし、おかん!ちいさいぞ!と見下げていう姿はオッサンそのものなんだけど、私は龍忍がたくましく幸せに生きてくれるなら、どんなことでもするからね。ってマトモな親らしく思えるようになってきた。それが親子なんだろうと思う。つらくとも乗り越えていけるものがあるのが親子なんだって、今は信じてる。

龍忍の笑顔をこれからいっぱい見ることができますように・・・。


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