続くかわからないけど、がんばってみようと思う。赤裸々かもしれませんが・・・
2010年4月23日 日常 コメント (7)こんにちは。ひさびさに書いてみようかなという気持ちが起きたのでちょっとずつ振り返る作業を含めて書いていきたいと思います。
もともとこの日記は私がいつ死んでも、あるいは私が年をとって子供に過去を問われたときにこんなふうにあのときは感じていたんだよというのを残しておきたかったからでもあります。
ところが、途中、ウツ状態に入ってしまい自分の今までの生き方とか考え方が遠い世界のことに思えるような生活を送ることになってしまった。どなたかがおっしゃっていたように、自分が思ってもみない状況にいってしまうことこそが本当の人生なんだという言葉どおりでした。
元来私は天然といいましょうか、その場限りというスタンスではないのですが、自分が組み立てた設計図がぼんやりと頭の中にあってその針路に向かってとくに心配もせず、またありのままで生きていると信じていたのです。
でも、特に結婚というものを通して、別世界で暮らしていた夫の性格が私とは若干というか、底辺では同じような部分はあるにしてもかなり異なる部分があり、そのずれを生来のわからない部分でのへんてこな辛抱みたいなものをもって過ごしてきたように思います。そこの部分は当然のことながら自分の性格とか生きてきたいままでの歴史とはずいぶんと異なってきたものだったので、矛盾となって長年にわたって蓄積されたわけです。もちろんその場その場では夫とも話し合いとか軽い&重い口論などもしてきたわけですけどね。
こう書くと私は更年期のありきたりの季節を迎えただけとも思えてくる。そしてそのいわゆる思秋期と次男の思春期がちょうど衝突した形になっていっきに我が家の氷河期がおとずれてしまった・・・。
今こうやって書いていると、それが過去形になっていることがこっけいに思える。実際はまだまだ明けてはいない部分がたくさんあるのですが。
私はこの2年の間、人生というか人間の生と死についてずいぶん考えてしまったのだと思う。今もまだ大人になりつつある次男で私たち夫婦は思い悩むこともあります。でも、ちょっとだけ自分自身に光がさしてきたような感じがして・・それは特別な光じゃなくって、以前こんなふうに自分は生きてきていたんだという、過去の自分を思い出す作業ができるようになってきて・・その過去の自分を考えるとなんだかとっても勇気を感じることができて・・そんな光なんですけどね。
それに、やっぱり特に女親にとって男の子の多感な感情というのは理解しがたい部分があるもんです。あるもんですなんて無責任風な言い方に聞こえますが経験したことで自分にとってはこの言葉は重いんです。そして母親の苦悩というものに対して、無頓着に過ごしている思春期まっさかりの子供に幻滅して自殺してしまう女性もいたという話を母からも聞いたときに、その気持ちわかるわかると、うなずいてしまう私でもあったりするのです。ちょうど私がウツのときにその話をちらっと聞いたことがあって、思い切り同化してしまいましたしね。
私がうつになって死なずに済んだのは、年老いた母がいたからです。それが理由で私が死なずに済んだのならそれはウツとはいえないというなら、単に落ち込んでいただけなのかもしれない。でも母が生きていることが、私を生かしてくれた。それだけでも今母が生きていてくれていることに一番感謝をしたいです。
龍忍(次男)・・・
がんばっていこうね。正直この1年間は四十郎も私も龍忍の将来だけを見てきたんだよ。今まだあなたは大人になりきれずにもがいている最中だけど、やっと私は龍忍にがんばっていこうねと思えるようになれた。きっとそれは龍忍からのメッセージでもあったのだと思う。まだあなたは気がついていないと思うけどさ。
もともとこの日記は私がいつ死んでも、あるいは私が年をとって子供に過去を問われたときにこんなふうにあのときは感じていたんだよというのを残しておきたかったからでもあります。
ところが、途中、ウツ状態に入ってしまい自分の今までの生き方とか考え方が遠い世界のことに思えるような生活を送ることになってしまった。どなたかがおっしゃっていたように、自分が思ってもみない状況にいってしまうことこそが本当の人生なんだという言葉どおりでした。
元来私は天然といいましょうか、その場限りというスタンスではないのですが、自分が組み立てた設計図がぼんやりと頭の中にあってその針路に向かってとくに心配もせず、またありのままで生きていると信じていたのです。
でも、特に結婚というものを通して、別世界で暮らしていた夫の性格が私とは若干というか、底辺では同じような部分はあるにしてもかなり異なる部分があり、そのずれを生来のわからない部分でのへんてこな辛抱みたいなものをもって過ごしてきたように思います。そこの部分は当然のことながら自分の性格とか生きてきたいままでの歴史とはずいぶんと異なってきたものだったので、矛盾となって長年にわたって蓄積されたわけです。もちろんその場その場では夫とも話し合いとか軽い&重い口論などもしてきたわけですけどね。
こう書くと私は更年期のありきたりの季節を迎えただけとも思えてくる。そしてそのいわゆる思秋期と次男の思春期がちょうど衝突した形になっていっきに我が家の氷河期がおとずれてしまった・・・。
今こうやって書いていると、それが過去形になっていることがこっけいに思える。実際はまだまだ明けてはいない部分がたくさんあるのですが。
私はこの2年の間、人生というか人間の生と死についてずいぶん考えてしまったのだと思う。今もまだ大人になりつつある次男で私たち夫婦は思い悩むこともあります。でも、ちょっとだけ自分自身に光がさしてきたような感じがして・・それは特別な光じゃなくって、以前こんなふうに自分は生きてきていたんだという、過去の自分を思い出す作業ができるようになってきて・・その過去の自分を考えるとなんだかとっても勇気を感じることができて・・そんな光なんですけどね。
それに、やっぱり特に女親にとって男の子の多感な感情というのは理解しがたい部分があるもんです。あるもんですなんて無責任風な言い方に聞こえますが経験したことで自分にとってはこの言葉は重いんです。そして母親の苦悩というものに対して、無頓着に過ごしている思春期まっさかりの子供に幻滅して自殺してしまう女性もいたという話を母からも聞いたときに、その気持ちわかるわかると、うなずいてしまう私でもあったりするのです。ちょうど私がウツのときにその話をちらっと聞いたことがあって、思い切り同化してしまいましたしね。
私がうつになって死なずに済んだのは、年老いた母がいたからです。それが理由で私が死なずに済んだのならそれはウツとはいえないというなら、単に落ち込んでいただけなのかもしれない。でも母が生きていることが、私を生かしてくれた。それだけでも今母が生きていてくれていることに一番感謝をしたいです。
龍忍(次男)・・・
がんばっていこうね。正直この1年間は四十郎も私も龍忍の将来だけを見てきたんだよ。今まだあなたは大人になりきれずにもがいている最中だけど、やっと私は龍忍にがんばっていこうねと思えるようになれた。きっとそれは龍忍からのメッセージでもあったのだと思う。まだあなたは気がついていないと思うけどさ。
コメント
同じ県内で次男くんと1才違いの子を育てています。
うちも国内だけですが、転勤転勤で育児をしてきました。
ピーターさんが公立小学校へ幻滅してしまった部分や
PTA活動への複雑な気持ち、
そして私は現在も派遣社員で働いているのでその理不尽さ…などなど
ジャンルを問わず非常に共感出来る部分が多く一気に全ての過去日記を読ませて頂きました。
思秋期と思春期(そして親の老い)の時期がぶつかるのは本当につらいですね。
私も「息子は全くおかしくなく私が更年期なだけなのか?」などと
考え悩みながら過ごしています。
気が向いた時だけでも更新して頂けるとうれしく思います。
私の場当たり的な日記を読んでくださって恐縮です。再開したのは少し気持ちにそれだけのエナジーが感じられたからかな?きまぐれに更新すると思います!
氷河期…かもしれないけれど、新しい時代の始まりでもあるんですよ、きっと。
同じ思秋期世代の私も、子どものこと、夫のこと、親のこと…形は違ってもそれなりに悩むことがいろいろあります。
更新してくださって、嬉しく思います。ではでは。