ときどき夜ベランダに出て星をみる。
ヨルダンにいるとき、お月様をみて、はじめて、星とは異なって月の形はどこの世界にいても同じなんだと気づいたことを思い出す。
でも星をみるといつも思い出すのは父がなくなる直前の父の話。父は私がヨルダンに駐在した2001年の翌年の8月になくなったので、もう8年前になるのに、私にとってはまだほんの少し前の出来事。以前どなたかにピーターさんってパパっ子だったんだね。っていわれたことがあってそのときにはなんとなく違和感を感じたのだけど、今はそうですと笑うしかない。
父がなくなるまえ、私は恥ずかしげもなく寝ている父のそばに添い寝して、父の手をさすったりした。父の痛みを和らげるなんてものじゃなくって、父の感触を私が確かめたかっただけで、そうすることで自分の心を慰めようとしていたし、父と接していることを実感したかった。私はあまり親に甘えるタイプではなかったので、父のそばに寝たという記憶もなかったので、このときには完全に(子供ではなく)赤ちゃん返りしていた。
そして父におかしなことを何個か質問した。人には笑えることだけど私には真剣だったのだけど・・。ひとつは父に「ねぇ。。パパ(といっていた)は三人の娘の中で私が一番好きだった?」そうしたら父はこういった「俺は娘には常に平等に接していたよ」そう答えるのはわかっていても、ピーターちゃんが一番かわいかったよっていってほしかった。馬鹿だね。私。
そして、次にいった言葉は、「死ぬのは怖くない?」
たしかそういう言葉だった。今考えてみればおそろしいことを聞いたように思う。でもあのときに私は、「死」への今の父の気持ちを聞きたかったのだ。父はこういってくれた「死ぬのはね。怖くないよ。それはね。天に星が瞬いているのと同じように自然なことなんだよ。おばあちゃん(父の母)もちゃんと死んでいったんだ。だから俺も死ぬのはこわくないんだよ」
星を見るといつも父の言葉を思い出す。父は死と向き合わなければならなくなったとき、私とすごく話をしてくれた。たまたま夏休みにはいって私が駐在先から戻れたこともあって、すごす時間が長かったので、いつも夕食のときに話を二人でした。父は何気ない話をしているときに、いつも涙を浮かべてそっとふいていた。その涙を隠すわけでもなく、さりげなく。
父には主治医として尊敬する同じ大学出身の先生がいた。その先生に、父はガン告知されたときに、死を受け入れられないことを伝えたらしい。そのとき先生は、「あるがままに生きなさい」といわれたと私に話してくれた。父はあるがままを受け入れることをはじめて認めることができ、その気持ちが私への先のメッセージになっているのだと思う。
たぶん、その言葉によって吹っ切れた部分があったとともに、自分の親の死をみつめ、あるいは自分の生きてきた道をみつめ、いろんなことをいっぱい頭にめぐらせていたのだと思う。
父の死後、2ヶ月ぐらいだったかな・・。ヨルダンに戻り落ち着き始めたころ、夢をみた。なんと父が出てきた。父は、地下鉄のプラットホームにいて、背広をきていてかばんをもっていた。そして私はのんきに「あれ?どうしたの?何してるの?」とたずねると父は「書類を忘れたから取りに来た」といった。そしてそれからどうなったかは忘れてしまったのだけれども、父と別れてから夢から覚めた私は、たまらなくなって、夫に抱きついてオンオン泣いた。ほんとうに、急に起こされた夫がびっくりして、私をあかちゃんのようにさすってくれて、大丈夫か?大丈夫か?っていってくれた。私は夢にパパが出てきた。パパがこんな話をしたと言って泣きじゃくって泣きじゃくって・・・
そして、
私は泣きながらこう思った・・。結婚していてよかった。私には夫がいるんだ。もう私にとって父性を感じられるのは夫だけなんだ。
夫のあたたかな気持ちは、私のなきじゃくりをおさめてくれ、私は眠りについたのだけれど・・
こう書きながら、私ってなんて馬鹿なんだろうと思う。だけど、これが私で、今の私も同じなのだ。
今日も夫と次男のことについて話をする。話をしながら、私は夫の些細な言葉が体にナイフのようにつきささるのを感じて、泣きながらどうしてそんな言葉が言えるの?私は死ぬことばかりを考えてきて、あなたには迷惑ばかりかけてきて、でもでも、それでも今は次男のために生きなきゃいけない。自分ががんばらなくては、次男もくじけてしまう。だめな私を鼓舞するのが精一杯で、あなたのことはぜんぜん考えられない自分勝手な人間なままだけど、それでも一生懸命生きなければならないって思っているのに、そういう言葉をきくと、くじけてしまいそうになる。
そんなことをさらにどうしてあなたがそんなことを言うのか、くどくどくどくど説明を重ねて、自分を納得させるべくジタバタとあえいで、夫につっかかる。困った夫の顔、そんなふうなつもりはないと言っても、さらに、追求していく。私の思っている気持ちを全部吐き出しながら、自分は馬鹿だ馬鹿だと思いながら、それでも話を続けて、また泣いて、そして、空虚な気持ちを感じて・・それでも次には、次男のためにしっかりと立て直さなければならないと、もう・・・自分のことばかりいって・・
わかっているのだ。
自分だけのことを言っているにすぎない。
夫と私は真剣に向き合ってお互いの日々思っている人への概念の違いを戦わせた今日になった。
夫と私はちがう生活環境におり、社会的ステータスにおいてもことなる意識で生きている。私と次男は同じステータスで、夫は異なる立場にいる。そこが論点だった。
夫はこういった「僕は次男とは話をしないほうがいい」
違う。違うよ。そういうってことは、自分の環境を見つめることも、考え直すこともしないってことだ。私はそういうことをいっているんじゃない。話をしないほうがいいんじゃなくって、今は話をできる考えをもっていないって言って。そして、お願いだから、単に自分の子供だから、妻だから哀れだと思ってやさしくするのではなくって、人として接してくれ。次男とその周りにいる人間を社会のクズだと思いながら次男だけを助けようとしないでくれ。そんな気持ちは次男にもすぐわかってしまう。彼が家族になにも話さなくなってしまったらもうおしまい。私もなんにもできなくなってしまう。そのときには、もう彼は遠いところに、ほんとうにいってしまう。今は彼の心のいたみを、彼と同じように感じることができないと、心を閉じてしまう。だから、もうそういう言葉を言わないで・・私に言うということは、彼にも同じ気持ちをもっているということだから・・・
ここ数日、私たちはこのような論調で体にも心にもつきささる刃を感じながら、それでも次男のことを守りたい一心で話をしつづける。
次男の気持ちを思う。
次男は今は、心が晴れつつあるのを感じる。でも彼はずっとずっと苦しんできたのだ。私たちはその苦しみをまったくわかっていなかった。あることがきっかけでかれの心は爆発をした。そして、やっといま私は気が付いたんだ。私はなんにも理解していなかった。あのこがほんとにしたいことも、あの子が現実とのギャップで苦しみ始めたこともそのときも・・。彼の心は繊細で、だからこそ小さいときにはよく気が利いて、他人の気持ちをキャッチするのが早くって、それに基づいての行動も的確で・・。学校でもがんばってしまっていたんだなと。ごめんね。龍忍。私、ほんとうに理解のない親だった。
今は龍忍は、こういってくれた。
「おかんを母だと思っていたら、腹がたつこともいっぱいあった。でも一人のアネゴっていう感じでみたら、いいやつだ」
でしょ?早く気が付けばよかったのに。って・・彼に笑ってかえしたら、彼は屈託のない笑顔を返してくれて、ごめんな。ほんとうに。っていってくれた。
今彼は好き勝手をしている。他人からみたら、まったく信じられない変貌をしていると思う。だけど、私は彼が私との約束を必ず守っていることを知っているし、私の言葉を大切に聴いてくれる人間になっていることをわかってる。私は彼のために今は懸命に生きたい。いつも、彼が外出するとき、私はかれにいってらっしゃいといいながら、応援してるよ。私はあなたがしていることをまっすぐ見ることができるよ。って思ってる。
私は今は、彼を信じてるっていう表現はしない。彼の行動が見えているから。だから安心して待つことができる。
めちゃくちゃな内容。でも殴り書きしかまだできない。
四十郎さま
ふたりとも心が疲弊するまで話し合って、私もあなたに負担をかけっぱなしにしているのも十分わかっているのに、あたたかかくもやさしくもなれなくって。それでも真剣に向き合うことだけを頼りにして、それをぶつけていけるあなたと私の関係にありがとうと思って・・・・。それが私の夫の大きさなのであり、私の到底できないことをすることのできるあなたなのです。次男に対して真剣であるのと同様に、私たち二人も今真剣に向き合っている。そのことだけで私を許して。
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ごめんなさい。
この記事について、ことの善し悪しをコメントしないでください。私はただ書いているだけなのです。もうしわけありません。
ヨルダンにいるとき、お月様をみて、はじめて、星とは異なって月の形はどこの世界にいても同じなんだと気づいたことを思い出す。
でも星をみるといつも思い出すのは父がなくなる直前の父の話。父は私がヨルダンに駐在した2001年の翌年の8月になくなったので、もう8年前になるのに、私にとってはまだほんの少し前の出来事。以前どなたかにピーターさんってパパっ子だったんだね。っていわれたことがあってそのときにはなんとなく違和感を感じたのだけど、今はそうですと笑うしかない。
父がなくなるまえ、私は恥ずかしげもなく寝ている父のそばに添い寝して、父の手をさすったりした。父の痛みを和らげるなんてものじゃなくって、父の感触を私が確かめたかっただけで、そうすることで自分の心を慰めようとしていたし、父と接していることを実感したかった。私はあまり親に甘えるタイプではなかったので、父のそばに寝たという記憶もなかったので、このときには完全に(子供ではなく)赤ちゃん返りしていた。
そして父におかしなことを何個か質問した。人には笑えることだけど私には真剣だったのだけど・・。ひとつは父に「ねぇ。。パパ(といっていた)は三人の娘の中で私が一番好きだった?」そうしたら父はこういった「俺は娘には常に平等に接していたよ」そう答えるのはわかっていても、ピーターちゃんが一番かわいかったよっていってほしかった。馬鹿だね。私。
そして、次にいった言葉は、「死ぬのは怖くない?」
たしかそういう言葉だった。今考えてみればおそろしいことを聞いたように思う。でもあのときに私は、「死」への今の父の気持ちを聞きたかったのだ。父はこういってくれた「死ぬのはね。怖くないよ。それはね。天に星が瞬いているのと同じように自然なことなんだよ。おばあちゃん(父の母)もちゃんと死んでいったんだ。だから俺も死ぬのはこわくないんだよ」
星を見るといつも父の言葉を思い出す。父は死と向き合わなければならなくなったとき、私とすごく話をしてくれた。たまたま夏休みにはいって私が駐在先から戻れたこともあって、すごす時間が長かったので、いつも夕食のときに話を二人でした。父は何気ない話をしているときに、いつも涙を浮かべてそっとふいていた。その涙を隠すわけでもなく、さりげなく。
父には主治医として尊敬する同じ大学出身の先生がいた。その先生に、父はガン告知されたときに、死を受け入れられないことを伝えたらしい。そのとき先生は、「あるがままに生きなさい」といわれたと私に話してくれた。父はあるがままを受け入れることをはじめて認めることができ、その気持ちが私への先のメッセージになっているのだと思う。
たぶん、その言葉によって吹っ切れた部分があったとともに、自分の親の死をみつめ、あるいは自分の生きてきた道をみつめ、いろんなことをいっぱい頭にめぐらせていたのだと思う。
父の死後、2ヶ月ぐらいだったかな・・。ヨルダンに戻り落ち着き始めたころ、夢をみた。なんと父が出てきた。父は、地下鉄のプラットホームにいて、背広をきていてかばんをもっていた。そして私はのんきに「あれ?どうしたの?何してるの?」とたずねると父は「書類を忘れたから取りに来た」といった。そしてそれからどうなったかは忘れてしまったのだけれども、父と別れてから夢から覚めた私は、たまらなくなって、夫に抱きついてオンオン泣いた。ほんとうに、急に起こされた夫がびっくりして、私をあかちゃんのようにさすってくれて、大丈夫か?大丈夫か?っていってくれた。私は夢にパパが出てきた。パパがこんな話をしたと言って泣きじゃくって泣きじゃくって・・・
そして、
私は泣きながらこう思った・・。結婚していてよかった。私には夫がいるんだ。もう私にとって父性を感じられるのは夫だけなんだ。
夫のあたたかな気持ちは、私のなきじゃくりをおさめてくれ、私は眠りについたのだけれど・・
こう書きながら、私ってなんて馬鹿なんだろうと思う。だけど、これが私で、今の私も同じなのだ。
今日も夫と次男のことについて話をする。話をしながら、私は夫の些細な言葉が体にナイフのようにつきささるのを感じて、泣きながらどうしてそんな言葉が言えるの?私は死ぬことばかりを考えてきて、あなたには迷惑ばかりかけてきて、でもでも、それでも今は次男のために生きなきゃいけない。自分ががんばらなくては、次男もくじけてしまう。だめな私を鼓舞するのが精一杯で、あなたのことはぜんぜん考えられない自分勝手な人間なままだけど、それでも一生懸命生きなければならないって思っているのに、そういう言葉をきくと、くじけてしまいそうになる。
そんなことをさらにどうしてあなたがそんなことを言うのか、くどくどくどくど説明を重ねて、自分を納得させるべくジタバタとあえいで、夫につっかかる。困った夫の顔、そんなふうなつもりはないと言っても、さらに、追求していく。私の思っている気持ちを全部吐き出しながら、自分は馬鹿だ馬鹿だと思いながら、それでも話を続けて、また泣いて、そして、空虚な気持ちを感じて・・それでも次には、次男のためにしっかりと立て直さなければならないと、もう・・・自分のことばかりいって・・
わかっているのだ。
自分だけのことを言っているにすぎない。
夫と私は真剣に向き合ってお互いの日々思っている人への概念の違いを戦わせた今日になった。
夫と私はちがう生活環境におり、社会的ステータスにおいてもことなる意識で生きている。私と次男は同じステータスで、夫は異なる立場にいる。そこが論点だった。
夫はこういった「僕は次男とは話をしないほうがいい」
違う。違うよ。そういうってことは、自分の環境を見つめることも、考え直すこともしないってことだ。私はそういうことをいっているんじゃない。話をしないほうがいいんじゃなくって、今は話をできる考えをもっていないって言って。そして、お願いだから、単に自分の子供だから、妻だから哀れだと思ってやさしくするのではなくって、人として接してくれ。次男とその周りにいる人間を社会のクズだと思いながら次男だけを助けようとしないでくれ。そんな気持ちは次男にもすぐわかってしまう。彼が家族になにも話さなくなってしまったらもうおしまい。私もなんにもできなくなってしまう。そのときには、もう彼は遠いところに、ほんとうにいってしまう。今は彼の心のいたみを、彼と同じように感じることができないと、心を閉じてしまう。だから、もうそういう言葉を言わないで・・私に言うということは、彼にも同じ気持ちをもっているということだから・・・
ここ数日、私たちはこのような論調で体にも心にもつきささる刃を感じながら、それでも次男のことを守りたい一心で話をしつづける。
次男の気持ちを思う。
次男は今は、心が晴れつつあるのを感じる。でも彼はずっとずっと苦しんできたのだ。私たちはその苦しみをまったくわかっていなかった。あることがきっかけでかれの心は爆発をした。そして、やっといま私は気が付いたんだ。私はなんにも理解していなかった。あのこがほんとにしたいことも、あの子が現実とのギャップで苦しみ始めたこともそのときも・・。彼の心は繊細で、だからこそ小さいときにはよく気が利いて、他人の気持ちをキャッチするのが早くって、それに基づいての行動も的確で・・。学校でもがんばってしまっていたんだなと。ごめんね。龍忍。私、ほんとうに理解のない親だった。
今は龍忍は、こういってくれた。
「おかんを母だと思っていたら、腹がたつこともいっぱいあった。でも一人のアネゴっていう感じでみたら、いいやつだ」
でしょ?早く気が付けばよかったのに。って・・彼に笑ってかえしたら、彼は屈託のない笑顔を返してくれて、ごめんな。ほんとうに。っていってくれた。
今彼は好き勝手をしている。他人からみたら、まったく信じられない変貌をしていると思う。だけど、私は彼が私との約束を必ず守っていることを知っているし、私の言葉を大切に聴いてくれる人間になっていることをわかってる。私は彼のために今は懸命に生きたい。いつも、彼が外出するとき、私はかれにいってらっしゃいといいながら、応援してるよ。私はあなたがしていることをまっすぐ見ることができるよ。って思ってる。
私は今は、彼を信じてるっていう表現はしない。彼の行動が見えているから。だから安心して待つことができる。
めちゃくちゃな内容。でも殴り書きしかまだできない。
四十郎さま
ふたりとも心が疲弊するまで話し合って、私もあなたに負担をかけっぱなしにしているのも十分わかっているのに、あたたかかくもやさしくもなれなくって。それでも真剣に向き合うことだけを頼りにして、それをぶつけていけるあなたと私の関係にありがとうと思って・・・・。それが私の夫の大きさなのであり、私の到底できないことをすることのできるあなたなのです。次男に対して真剣であるのと同様に、私たち二人も今真剣に向き合っている。そのことだけで私を許して。
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ごめんなさい。
この記事について、ことの善し悪しをコメントしないでください。私はただ書いているだけなのです。もうしわけありません。
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