ただいまパワーダウン中・・・
2006年10月31日 学校・勉強なんとなくおもしろくないときってあるとは思いますが・・
ここのところの私はそういう状況・・ 最悪です^^;
こんなときは、どうやって気持ちを切り替えようかなと
思うのですが・・
なんとなくもやもやしていますが・・・・
とりあえず今日は夕方から次男のこれからのことについて
親しくしていただいている塾長さんに面談してきます
帰国してから、私は人が変った?ぐらいに、日本の公立小学校
に対して前向きであろうとやってきたつもりなんだけど・・
正直なところ、自分が過ごしてきた世界と、先生の意識の
ギャップにとまどいを感じざるを得ない結果となり、
不本意ながらも、今後のPTA活動についても
スタンスを切り替える必要性を感じてしまいました
担任の先生は努力してくださっていますし、
今の日本全体の教育カリキュラム(公立)の貧弱さも
理解しているつもりで・・
いじめ、学級崩壊など、家庭の意識を変えることで防げる
問題もあると、学校とのリンクということに力を入れようと
日々やってきたものの・・
しいて言えば「ふつーに、やらなきゃいけないことだけ
やってればよかったのかな・・」と そんな気持ち・・
まぁ・・ いっかδ(⌒〜⌒ι)
で、
今何を思っているか?というと・・・
それは・・・
公立と私立の学校の親側のスタンスの違いです
私立の学校に受験させていれる親の考えはやはり
「自分たちが子供の学校での環境を選ぶ」
ということでしょう
それこそ学校の教育方針など、それぞれの家庭の教育方針に
のっとった学校を選択する とくに中学受験はまだまだ
親の考え方も反映されますし、最終的には子供が行きたい
ところを選択するとしても、選択肢を設定するときに
親の思惑がかかわってくるのは避けられません・・
そういう意味での「家庭の教育方針にのっとった学校を
選択する」ということですけど・・・
まぁ..当たり前のことですけどね・・
一方で、公立の学校に通わせるという選択肢・・・
夫や私は高校まで公立の学校に通っていましたので、
あまり疑問もなく、当たり前のように「公立の学校でも
いいんじゃない?」という方針を心のどこかでもっています
帰国してからの今までの1年半、そう思い続けていました
ところが、今回のことを通して、たびたび校長先生と話を
していて、気づかされたのですが・・
百人一首の大会を企画していましたけれど、この雛形を
インタネで検索しマレーシアの日本人学校のものにし資料を
作成したところ、
「日本人学校は『上部の学校』だからそんなことも
できるんですよ この学校では無理です」
といわれました 校長先生は「上部の学校ってわかりますよね」
とおっしゃる・・・ レベルが高いっていうことかな?と
いう意味で使っていらっしゃると判断しましたが・・・・
結局、この学校・・いやこの校長先生の意識においては
全校生徒に百人一首大会をさせるということすら
できないレベルなのだとおっしゃる・・
いや・・ひょっとしたら違うかもしれない 先生の意識の
差があるということを言いたかったのかもしれない・・
どちらにせよ、その一言を聞いたとき・・
大会を企画したこと自体が・・・まぁダメ企画だったかな?
そんなにできないことなのかな?と・・ふと・・疑問・・
で、結局とりやめにしようと決めたのはいいんですが・・
このことを通して、公立の先生とマネージャー側?としての
校長先生の意識って、一体どういうものなんだろう?と思って
いるわけです
その校長先生の口癖は、他の委員さんによると
「私がいる限りはこの学校では問題は起こさせません」
てな具合らしい・・
結局、学校がなにをするのか?子供たちになにができるのか?
ということをもちろん考えてはいると思いますけれども
「問題対処」という点に多くの時間を費やさなければならない
体質がどこかにあるんじゃないか?
で、私は郵便局のことを思うわけです・・
要するに、私の中でラベリングされた公務員の仕事の進め方・・
もしかして、同じ役所体質ということもあり、意外と?
似たような考えの元で、公立の学校は運営されているのかも?
っていう感じです
もちろん私立だって問題はあるとは思います
ただ、絶対的に違うところは
学校側の方針にそった学生と親を集めているということ・・
つまりは、お互いが入った時点からある程度のルールを
理解しあっている あるいは親の考え方や環境なども
似たような傾向があるかもしれない・・ いろんな点で
暗黙の了承が存在するように思うのです
それは、長男の高校を見てもよく理解できます
帰国子女であっても、そうでなくても、勉学においては
レベルの高い英語を学べ、校風は自由であり、
なおかつ、校則にしばられなくともある程度のマナーを
持った行動ができる ・・・ もし取れない学生がいたら
処罰も厳しいけれど・・ それは学生としても、親としても
納得のいく処罰でもあるはず・・(実際に停学になった
生徒がいましたし・・)学生の雰囲気、先生の雰囲気
学校の取り組み・・などを十分に調べた上で、受験を
してくるのです
けれども、公立の学校に行かせる親というのは、
そういう意識はないだろうし、また実際にいろいろな
家庭環境の子供たちの集合体伴ってくるのは当然ですよね
だからこそ、公立の学校は、私立とは違って、問題も多く
また、対処方法も、「合わなきゃ辞めればいい」的には
絶対にはできない 勉学においては、戦後最低のレベルにまで
落ち込んでいますし・・ 問題は大きくなるし、
学力は底上げするのが手一杯でしょうし、子供たちが
目標をもって、その学校に通うという意味を持てないというのも
意識をしっかりと持たないと無理というのが自然とわかって
きます・・
ゆえに・・
私は今まで「普通の成績あるいはそれ以下の学校にわざわざ中学受験をして入ることはなかろう」といった安易な発想をもっていましたが、これはまったくもって間違った考え方ではないか?と思わざるを得なくなりました
くしくも、今公立の高校で指導要領を無視した結果、社会科の履修が不十分であり、学生が卒業できる資格を持っていないといったことが社会問題になっています 高校卒業という資格を満たす勉学を、学校側が無視しているという実態は、公立の学校教育の貧弱さの露呈でもあると思います 受験のためには学校で勉強することはカットすればいい 進学校でこのような改ざんを行っていたということが皮肉だな・・と思ったのですが、結局のところ大学受験に対して、現行のカリキュラムが実態に合っていないということに過ぎない・・ あるいは、大学受験に重きを置くことを優先として、肝心の「高校生」としての勉学をおろそかにしてもよいという・・・なんと矛盾に満ちたことになっているのかと・・ 呆れるというより、これが実態なんだなと痛感してしまいます
私が高校のときも(中堅の高校でしたが・・)、3年生の担任の先生が「大学受験の勉強だけをすればいいという考え方もありますが、僕はそうは思わない やはりいろんな科目を勉強しておくというのは大切なことだと思う」ときっぱりおっしゃっていた 私はどちらかというと大学受験の勉強に絞ったほうが自分の能力としては見合ったいたのではないか?と思っていましたけれども・・でもこの先生のおっしゃったことは確かにそうだと、そのときに納得はしました 物理や化学、数?など、今はすっかり忘れ去っていますが、一応国立大学も受験して、私立大学のみの受験生よりは、多岐にわたって勉強しなければいけなかったので、それなりに大変で結果、能力的においつかず結局は中途半端な大学受験となってしまったけど・・大人になった今、特にヨルダンで子供たちに教えるという立場になったとき、案外理科や社会などの必要性を感じましたし、常識程度を勉強していたことが役に立っていたことも事実で・・・あんなにできないできないと悩んでいた数学も、あれ?こんなことだったっけ?といまさらながらに気づかされたことだって、下地があればこそ・・と思ったのです
昔話は・・まぁ・・・どうでもいいのですが、
結局、今の私の考えに足りなかったこと・・
特に長男については、駐在が入ってしまったこともあり
高校選択において、自分たちの置かれた環境を意識せざるを
得ない状況でもあり、選択肢を思い切り狭めて
高校を選びましたけれど・・・
次男の進学についても、私たちのころと
今とはまったく違うのだと・・・
特に、次男は2002年の指導要領の改訂、学校週休二日制導入により、勉学の時間は戦後最低の時間数になっており、
今回の百人一首のことを通してもとにかく
「基本的なことを教えるので手一杯、余計?なことを
する余裕はこれっぽっちもない」
という先生方の意識も当然ながら理解でき、
私からすれば、百人一首もできないといったそんなお粗末な
環境に、子供をこのままおいていいのだろうか?と・・
そういう思いが交錯してしまっています
当然ながら子供たちの学力も落ち、それでいて、次男を塾に通わせていると、サッカーの大会など(市内)、塾で削られて出れない子は試合には参加させてもらえないという有様・・ 校長先生にも、今回「なぜ塾とかに行かせて部活をやらせないのか?」と問い詰められたこともありましたけれど・・・
帰国子女で日本語も、日本の勉強も遅れている次男を
とても公立の小学校の勉強だけでいいよとは・・
私はいえなかったし、そんな恐ろしいことはできないです^^;
いろんな雑談を校長先生としたのですが、
かなり意識の上でのギャップを感じ、
結果的に、百人一首大会のことよりも
校長先生からは、次男および私の置かれた環境を
否定され続けてしまった・・という皮肉な結果に・・
で、思い出したのは、長男がヨルダンに行く前に
担任の先生が長男に言った心無い言葉・・
「ヨルダンにいって、担任の先生の名前を聞かれても
私の名前は言ってくれるな」
つまり、出来の悪い、忘れ物大王だった長男の担任だった
というのが恥だったということでしょうね
さすがの長男もこのときは、生徒みんなの前でこのような
ことを言われたので、家に帰って大泣きしました
もちろん校長先生や教頭先生にこのことを訴えに?いきました
けれど、今でもそのときの学校側の対応には
「問題が起こって困った・・・」という雰囲気があったのを
思い出します・・ なんとか収めたい・・そんな雰囲気で
埒が明かなかった・・ 憤っていた駐在前の私を
思い出してしまいました
ヨルダン駐在後、そのようなこともすっかり乗り越えた
長男の成長を見てきましたので、
私自身も公立での学校教育も大切にしたいという
姿勢でやってきましたけれど・・
やはり目の前の現実に・・
翻弄されつつあるかな・・と・・
自分を見失わないように、これからのことを
対処しないと・・
それこそ子供にも親の意識は伝播するでしょうしね
今あるものを、否定するのではなく
肯定しつつも、より我が家の環境に適した
教育現場探しをするという前向きのスタンスで
いきたいな・・とは思っています
さてはて・・
どうすればいいのでしょうかね?
とりあえず塾長さんに相談に行くっていうところ・・
何もかもがヘンテコな感じもするんですが
信頼できる教育者は、塾長さんであるということも
私にとっては事実・・なんです・・よぉ・・じみじみ・・・
ここのところの私はそういう状況・・ 最悪です^^;
こんなときは、どうやって気持ちを切り替えようかなと
思うのですが・・
なんとなくもやもやしていますが・・・・
とりあえず今日は夕方から次男のこれからのことについて
親しくしていただいている塾長さんに面談してきます
帰国してから、私は人が変った?ぐらいに、日本の公立小学校
に対して前向きであろうとやってきたつもりなんだけど・・
正直なところ、自分が過ごしてきた世界と、先生の意識の
ギャップにとまどいを感じざるを得ない結果となり、
不本意ながらも、今後のPTA活動についても
スタンスを切り替える必要性を感じてしまいました
担任の先生は努力してくださっていますし、
今の日本全体の教育カリキュラム(公立)の貧弱さも
理解しているつもりで・・
いじめ、学級崩壊など、家庭の意識を変えることで防げる
問題もあると、学校とのリンクということに力を入れようと
日々やってきたものの・・
しいて言えば「ふつーに、やらなきゃいけないことだけ
やってればよかったのかな・・」と そんな気持ち・・
まぁ・・ いっかδ(⌒〜⌒ι)
で、
今何を思っているか?というと・・・
それは・・・
公立と私立の学校の親側のスタンスの違いです
私立の学校に受験させていれる親の考えはやはり
「自分たちが子供の学校での環境を選ぶ」
ということでしょう
それこそ学校の教育方針など、それぞれの家庭の教育方針に
のっとった学校を選択する とくに中学受験はまだまだ
親の考え方も反映されますし、最終的には子供が行きたい
ところを選択するとしても、選択肢を設定するときに
親の思惑がかかわってくるのは避けられません・・
そういう意味での「家庭の教育方針にのっとった学校を
選択する」ということですけど・・・
まぁ..当たり前のことですけどね・・
一方で、公立の学校に通わせるという選択肢・・・
夫や私は高校まで公立の学校に通っていましたので、
あまり疑問もなく、当たり前のように「公立の学校でも
いいんじゃない?」という方針を心のどこかでもっています
帰国してからの今までの1年半、そう思い続けていました
ところが、今回のことを通して、たびたび校長先生と話を
していて、気づかされたのですが・・
百人一首の大会を企画していましたけれど、この雛形を
インタネで検索しマレーシアの日本人学校のものにし資料を
作成したところ、
「日本人学校は『上部の学校』だからそんなことも
できるんですよ この学校では無理です」
といわれました 校長先生は「上部の学校ってわかりますよね」
とおっしゃる・・・ レベルが高いっていうことかな?と
いう意味で使っていらっしゃると判断しましたが・・・・
結局、この学校・・いやこの校長先生の意識においては
全校生徒に百人一首大会をさせるということすら
できないレベルなのだとおっしゃる・・
いや・・ひょっとしたら違うかもしれない 先生の意識の
差があるということを言いたかったのかもしれない・・
どちらにせよ、その一言を聞いたとき・・
大会を企画したこと自体が・・・まぁダメ企画だったかな?
そんなにできないことなのかな?と・・ふと・・疑問・・
で、結局とりやめにしようと決めたのはいいんですが・・
このことを通して、公立の先生とマネージャー側?としての
校長先生の意識って、一体どういうものなんだろう?と思って
いるわけです
その校長先生の口癖は、他の委員さんによると
「私がいる限りはこの学校では問題は起こさせません」
てな具合らしい・・
結局、学校がなにをするのか?子供たちになにができるのか?
ということをもちろん考えてはいると思いますけれども
「問題対処」という点に多くの時間を費やさなければならない
体質がどこかにあるんじゃないか?
で、私は郵便局のことを思うわけです・・
要するに、私の中でラベリングされた公務員の仕事の進め方・・
もしかして、同じ役所体質ということもあり、意外と?
似たような考えの元で、公立の学校は運営されているのかも?
っていう感じです
もちろん私立だって問題はあるとは思います
ただ、絶対的に違うところは
学校側の方針にそった学生と親を集めているということ・・
つまりは、お互いが入った時点からある程度のルールを
理解しあっている あるいは親の考え方や環境なども
似たような傾向があるかもしれない・・ いろんな点で
暗黙の了承が存在するように思うのです
それは、長男の高校を見てもよく理解できます
帰国子女であっても、そうでなくても、勉学においては
レベルの高い英語を学べ、校風は自由であり、
なおかつ、校則にしばられなくともある程度のマナーを
持った行動ができる ・・・ もし取れない学生がいたら
処罰も厳しいけれど・・ それは学生としても、親としても
納得のいく処罰でもあるはず・・(実際に停学になった
生徒がいましたし・・)学生の雰囲気、先生の雰囲気
学校の取り組み・・などを十分に調べた上で、受験を
してくるのです
けれども、公立の学校に行かせる親というのは、
そういう意識はないだろうし、また実際にいろいろな
家庭環境の子供たちの集合体伴ってくるのは当然ですよね
だからこそ、公立の学校は、私立とは違って、問題も多く
また、対処方法も、「合わなきゃ辞めればいい」的には
絶対にはできない 勉学においては、戦後最低のレベルにまで
落ち込んでいますし・・ 問題は大きくなるし、
学力は底上げするのが手一杯でしょうし、子供たちが
目標をもって、その学校に通うという意味を持てないというのも
意識をしっかりと持たないと無理というのが自然とわかって
きます・・
ゆえに・・
私は今まで「普通の成績あるいはそれ以下の学校にわざわざ中学受験をして入ることはなかろう」といった安易な発想をもっていましたが、これはまったくもって間違った考え方ではないか?と思わざるを得なくなりました
くしくも、今公立の高校で指導要領を無視した結果、社会科の履修が不十分であり、学生が卒業できる資格を持っていないといったことが社会問題になっています 高校卒業という資格を満たす勉学を、学校側が無視しているという実態は、公立の学校教育の貧弱さの露呈でもあると思います 受験のためには学校で勉強することはカットすればいい 進学校でこのような改ざんを行っていたということが皮肉だな・・と思ったのですが、結局のところ大学受験に対して、現行のカリキュラムが実態に合っていないということに過ぎない・・ あるいは、大学受験に重きを置くことを優先として、肝心の「高校生」としての勉学をおろそかにしてもよいという・・・なんと矛盾に満ちたことになっているのかと・・ 呆れるというより、これが実態なんだなと痛感してしまいます
私が高校のときも(中堅の高校でしたが・・)、3年生の担任の先生が「大学受験の勉強だけをすればいいという考え方もありますが、僕はそうは思わない やはりいろんな科目を勉強しておくというのは大切なことだと思う」ときっぱりおっしゃっていた 私はどちらかというと大学受験の勉強に絞ったほうが自分の能力としては見合ったいたのではないか?と思っていましたけれども・・でもこの先生のおっしゃったことは確かにそうだと、そのときに納得はしました 物理や化学、数?など、今はすっかり忘れ去っていますが、一応国立大学も受験して、私立大学のみの受験生よりは、多岐にわたって勉強しなければいけなかったので、それなりに大変で結果、能力的においつかず結局は中途半端な大学受験となってしまったけど・・大人になった今、特にヨルダンで子供たちに教えるという立場になったとき、案外理科や社会などの必要性を感じましたし、常識程度を勉強していたことが役に立っていたことも事実で・・・あんなにできないできないと悩んでいた数学も、あれ?こんなことだったっけ?といまさらながらに気づかされたことだって、下地があればこそ・・と思ったのです
昔話は・・まぁ・・・どうでもいいのですが、
結局、今の私の考えに足りなかったこと・・
特に長男については、駐在が入ってしまったこともあり
高校選択において、自分たちの置かれた環境を意識せざるを
得ない状況でもあり、選択肢を思い切り狭めて
高校を選びましたけれど・・・
次男の進学についても、私たちのころと
今とはまったく違うのだと・・・
特に、次男は2002年の指導要領の改訂、学校週休二日制導入により、勉学の時間は戦後最低の時間数になっており、
今回の百人一首のことを通してもとにかく
「基本的なことを教えるので手一杯、余計?なことを
する余裕はこれっぽっちもない」
という先生方の意識も当然ながら理解でき、
私からすれば、百人一首もできないといったそんなお粗末な
環境に、子供をこのままおいていいのだろうか?と・・
そういう思いが交錯してしまっています
当然ながら子供たちの学力も落ち、それでいて、次男を塾に通わせていると、サッカーの大会など(市内)、塾で削られて出れない子は試合には参加させてもらえないという有様・・ 校長先生にも、今回「なぜ塾とかに行かせて部活をやらせないのか?」と問い詰められたこともありましたけれど・・・
帰国子女で日本語も、日本の勉強も遅れている次男を
とても公立の小学校の勉強だけでいいよとは・・
私はいえなかったし、そんな恐ろしいことはできないです^^;
いろんな雑談を校長先生としたのですが、
かなり意識の上でのギャップを感じ、
結果的に、百人一首大会のことよりも
校長先生からは、次男および私の置かれた環境を
否定され続けてしまった・・という皮肉な結果に・・
で、思い出したのは、長男がヨルダンに行く前に
担任の先生が長男に言った心無い言葉・・
「ヨルダンにいって、担任の先生の名前を聞かれても
私の名前は言ってくれるな」
つまり、出来の悪い、忘れ物大王だった長男の担任だった
というのが恥だったということでしょうね
さすがの長男もこのときは、生徒みんなの前でこのような
ことを言われたので、家に帰って大泣きしました
もちろん校長先生や教頭先生にこのことを訴えに?いきました
けれど、今でもそのときの学校側の対応には
「問題が起こって困った・・・」という雰囲気があったのを
思い出します・・ なんとか収めたい・・そんな雰囲気で
埒が明かなかった・・ 憤っていた駐在前の私を
思い出してしまいました
ヨルダン駐在後、そのようなこともすっかり乗り越えた
長男の成長を見てきましたので、
私自身も公立での学校教育も大切にしたいという
姿勢でやってきましたけれど・・
やはり目の前の現実に・・
翻弄されつつあるかな・・と・・
自分を見失わないように、これからのことを
対処しないと・・
それこそ子供にも親の意識は伝播するでしょうしね
今あるものを、否定するのではなく
肯定しつつも、より我が家の環境に適した
教育現場探しをするという前向きのスタンスで
いきたいな・・とは思っています
さてはて・・
どうすればいいのでしょうかね?
とりあえず塾長さんに相談に行くっていうところ・・
何もかもがヘンテコな感じもするんですが
信頼できる教育者は、塾長さんであるということも
私にとっては事実・・なんです・・よぉ・・じみじみ・・・
コメント