保護司の講演会「子供の心に言葉を探る」
2006年10月26日 学校・勉強 コメント (2)今日は市内のPTA連絡協議会なるものがあって参加してきました
昨年は市長、教育長の話があってからPTA活動を地域とともに成功させている?という県内の小学校の紹介ビデオとか、保護観察官の目からの少年院を出所した子供の悩みって言う感じでのビデオがあったりしたように思うのですが・・ 去年は去年で勉強になりましたが、今年は講演会ということで生の声を聞けるということで楽しみにしていましたが、実際とてもよかったです
公演してくださったのは千葉県警で保護司をなさっていた小野寺さんという女性の方で・・ 話しっぷりもよくって、性格的にもさっぱりした男っぽい感じの方で、とても面白く逸話などを含めながら話をしてくれました 保護司という立場でいらっしゃることもありますが、警察などに運び込まれた親子関係、青少年がからむ問題の相談員もされていたことなど含めて実体験であるだけに聞かれているお母様方も真剣でしたよ
で、まず「子供が絶対に嫌うこと」
これは「比較と差別」だそうです
例としては、学業優秀な姉をもつ妹が、親に姉とは違う対応をされて不信感を抱き、家庭内暴力にいたるまでの経緯をあげて、そのときの子供の気持ちというものを事細かに教えてくれました
発端は、親がまず学業を重視することによって姉をひいきにしていたということ で、次女の娘さんが、親を試すように「お祭りの夜11時半まで友達と遊んで帰ってこなかった姉を真似て、あのときのように自分に対して親は心配してくれるだろうか?」という行動をとったらしい・・ で、姉のときにはもう心配で心配で警察に捜索願いを届けにいく寸前に戻ってきた長女をやさしく迎え入れてくれた親だったのに・・自分のときには、「行く高校もないようなあなたが、こんな遅くまで遊びほうけて・・」と叱責と体罰(正座して床にすわる)というまったく違う対応で、やさしく迎え入れてくれることはなかった・・ そのことをきっかけにして、その娘さんは
「親の身長を1センチでも抜いたら復讐をする」
と決意し、実際のその時点から、家庭内暴力となったらしい・・
で、あまりにひどかったので、親が警察にかけこみ、小野寺さんの出番となったらしいのですが・・
このときの彼女の対応は、子供の気持ちというものを汲み取れる対応をしてくれているな・・という感じ・・ 一方で、お母さんに対しては非常に冷静で・・そのような感情を子供が持つにいたったのは親の育て方が問題であると、当たり前なんだけど、親としては耳の痛いことをしっかりと指摘なさっていた
また、母親が学業面でのいい、悪いの判断の傾向があるので、「お子さんのいいところはどこですか?」と聞いたところ、あのこのいいところなんて何一つないという回答だったそうです
で、今は一人っ子よりも二人っ子のほうが問題になるケースが増えていて、要するにどちらかができ、どちらかができないというパターンでできないほうが問題児になるというのは親の比較・差別によるものだと・・ 一番悪いパターンは、弟・妹が優秀でおにいちゃん・おねえちゃんがちょっとスロー気味のパターン この場合、子供からの
「いいなぁ 弟ばっかり」
(あるいは 逆の「いいなぁ お兄ちゃんばっかり」)
この言葉が発しられた場合は、重く受け止めなければならないと・・ 子供が何気なく言う言葉なので見逃し勝ちだけれども、実際には、子供はやっとこさ自己主張をこの言葉にこめて「言うことができた」という状況であるというのを感じ取らなければ大変なことになる・・と・・
で、わが子に当てはめて考えると・・
やはり我が家は長男が「いいなぁ・・龍忍は」という発言をしたことがあって・・そのときにはそれを無視するのではなく、一体何が?的な発言をして、そう?あなたも次男も同じようにしてるって私は言ったのだけど・・ あんな説明ではだめだったんだろうな・・と反省・・・^^;
他にも何例もあげて説明してくれたのですが・・
親の姿勢として悪い例は・・意外にも
「正しく、正直に」
といった真っ向から「うそつきは泥棒のはじまり」といった
姿勢を持つことだそうです
子供がうそをつくのは必ず理由がある
その理由を解決(ただ問い詰めるだけでなく)しないかぎりは、身を守るためにうそをつき続ける・・
そうだよなぁ・・・ 私も子供のときにそうだったものな・・・
そして、その解決策も、やはり自分が子供のときに望んでいた
親への対応だったのも・・ いまさらながら子供のときのことを思い出して・・決して親には言えない一人だけの秘密を保持することに執着した自分の気持ちをも思い出したりしてました
全般に話を聞きながら
私は今まで子育てにおいて、正攻法を望んでいたし
子供とも話し合いをもっているつもりでもいた
だけど、なんだかこういわれたような気がしましたよ
「子供っていうのは、親が考えているよりももっともっと
繊細で、信頼できる大人を求める気持ちは強い
あなたは、子供にとって信頼できる大人かどうか、もう一度よく考えてみよう」ってね
以前ヨルダンで、自分の子ではなくほかの中学生の話をよくよく聞いてお互いが話をしたことがあった・・ 私は子供には信頼できる大人が必要で、その子にも「家出したくなったらおばちゃんの家においでよ 交通費も払ってあげるからね」と伝えていたぐらいで・・ そういう逃げ場というか、何も言わずに一緒にいてくれて、親にもちゃんと説明してくれるって言う人がいてくれるのが、親への不満が多い子には必要なのだとつくづく思っていましたよ・・
でも
自分の子のことを考えたとき
自分が子供にとって信頼できる大人であるかどうかというのが、ちょっと不安になりました
だから、これからの自分の発言とか、子供の発言に対して、ちょっと冷静に分析?してみようと思いました これが正しいとか、これでいいんだ みたいな考え方は捨てて、どう思っているのかな?どう感じているのかな?という話を聞きたいと・・
で、最後に聞いた
「子供が信頼してくれる大人」4か条?を守っていきたいなと思いましたよ・・
1)日ごろから子供の悩みを馬鹿にしないできいてくれる
2)解決方法を1つ提示するのではなく、最低3つ以上与えて
くれ、実践するのをどれにするかは子供に選ばせ
なおかつ、何も言わずに黙って見守ってくれる
3)良い意味で行動力をもっている
(何かを一緒に行動してくれる「お父さんも一緒に
いって、二人でみてみようか」など)
4)正しく真面目だけでなくユーモアを十分に交えてくれる
とりあえず、私は(2)と(4)を強化しないといけませんな^^;
その他、「子供を非行少年にしない」3か条は
1)子供が、自分自身がすきである 自己受容をしていること
2)身の回りに信頼できる人がいること
3)人の役に立てる自分を知っていること
逆に、子供に絶対につぶやかさせてはならない言葉というのは
「おれは生まれてきてはいけない子だった」
「生きてくる必要はなかった」
親に直接言われたわけでもないのに、そう感じる原因があるというのは・・寂しいですよね・・ 親が思ってもみないことをいつのまにか子供が感じているって・・ 恐ろしいし、さびしすぎます
保護司の小野寺さんは、最近のいじめで死んでいってしまう子供がどうして親にそのことを打ち明けられないでいたのか・・
それを最後にまとめとしてお話してくれました
なんだか、とっても心の中にしみこんできたお話をいただいて
ありがたかったです ハイ
昨年は市長、教育長の話があってからPTA活動を地域とともに成功させている?という県内の小学校の紹介ビデオとか、保護観察官の目からの少年院を出所した子供の悩みって言う感じでのビデオがあったりしたように思うのですが・・ 去年は去年で勉強になりましたが、今年は講演会ということで生の声を聞けるということで楽しみにしていましたが、実際とてもよかったです
公演してくださったのは千葉県警で保護司をなさっていた小野寺さんという女性の方で・・ 話しっぷりもよくって、性格的にもさっぱりした男っぽい感じの方で、とても面白く逸話などを含めながら話をしてくれました 保護司という立場でいらっしゃることもありますが、警察などに運び込まれた親子関係、青少年がからむ問題の相談員もされていたことなど含めて実体験であるだけに聞かれているお母様方も真剣でしたよ
で、まず「子供が絶対に嫌うこと」
これは「比較と差別」だそうです
例としては、学業優秀な姉をもつ妹が、親に姉とは違う対応をされて不信感を抱き、家庭内暴力にいたるまでの経緯をあげて、そのときの子供の気持ちというものを事細かに教えてくれました
発端は、親がまず学業を重視することによって姉をひいきにしていたということ で、次女の娘さんが、親を試すように「お祭りの夜11時半まで友達と遊んで帰ってこなかった姉を真似て、あのときのように自分に対して親は心配してくれるだろうか?」という行動をとったらしい・・ で、姉のときにはもう心配で心配で警察に捜索願いを届けにいく寸前に戻ってきた長女をやさしく迎え入れてくれた親だったのに・・自分のときには、「行く高校もないようなあなたが、こんな遅くまで遊びほうけて・・」と叱責と体罰(正座して床にすわる)というまったく違う対応で、やさしく迎え入れてくれることはなかった・・ そのことをきっかけにして、その娘さんは
「親の身長を1センチでも抜いたら復讐をする」
と決意し、実際のその時点から、家庭内暴力となったらしい・・
で、あまりにひどかったので、親が警察にかけこみ、小野寺さんの出番となったらしいのですが・・
このときの彼女の対応は、子供の気持ちというものを汲み取れる対応をしてくれているな・・という感じ・・ 一方で、お母さんに対しては非常に冷静で・・そのような感情を子供が持つにいたったのは親の育て方が問題であると、当たり前なんだけど、親としては耳の痛いことをしっかりと指摘なさっていた
また、母親が学業面でのいい、悪いの判断の傾向があるので、「お子さんのいいところはどこですか?」と聞いたところ、あのこのいいところなんて何一つないという回答だったそうです
で、今は一人っ子よりも二人っ子のほうが問題になるケースが増えていて、要するにどちらかができ、どちらかができないというパターンでできないほうが問題児になるというのは親の比較・差別によるものだと・・ 一番悪いパターンは、弟・妹が優秀でおにいちゃん・おねえちゃんがちょっとスロー気味のパターン この場合、子供からの
「いいなぁ 弟ばっかり」
(あるいは 逆の「いいなぁ お兄ちゃんばっかり」)
この言葉が発しられた場合は、重く受け止めなければならないと・・ 子供が何気なく言う言葉なので見逃し勝ちだけれども、実際には、子供はやっとこさ自己主張をこの言葉にこめて「言うことができた」という状況であるというのを感じ取らなければ大変なことになる・・と・・
で、わが子に当てはめて考えると・・
やはり我が家は長男が「いいなぁ・・龍忍は」という発言をしたことがあって・・そのときにはそれを無視するのではなく、一体何が?的な発言をして、そう?あなたも次男も同じようにしてるって私は言ったのだけど・・ あんな説明ではだめだったんだろうな・・と反省・・・^^;
他にも何例もあげて説明してくれたのですが・・
親の姿勢として悪い例は・・意外にも
「正しく、正直に」
といった真っ向から「うそつきは泥棒のはじまり」といった
姿勢を持つことだそうです
子供がうそをつくのは必ず理由がある
その理由を解決(ただ問い詰めるだけでなく)しないかぎりは、身を守るためにうそをつき続ける・・
そうだよなぁ・・・ 私も子供のときにそうだったものな・・・
そして、その解決策も、やはり自分が子供のときに望んでいた
親への対応だったのも・・ いまさらながら子供のときのことを思い出して・・決して親には言えない一人だけの秘密を保持することに執着した自分の気持ちをも思い出したりしてました
全般に話を聞きながら
私は今まで子育てにおいて、正攻法を望んでいたし
子供とも話し合いをもっているつもりでもいた
だけど、なんだかこういわれたような気がしましたよ
「子供っていうのは、親が考えているよりももっともっと
繊細で、信頼できる大人を求める気持ちは強い
あなたは、子供にとって信頼できる大人かどうか、もう一度よく考えてみよう」ってね
以前ヨルダンで、自分の子ではなくほかの中学生の話をよくよく聞いてお互いが話をしたことがあった・・ 私は子供には信頼できる大人が必要で、その子にも「家出したくなったらおばちゃんの家においでよ 交通費も払ってあげるからね」と伝えていたぐらいで・・ そういう逃げ場というか、何も言わずに一緒にいてくれて、親にもちゃんと説明してくれるって言う人がいてくれるのが、親への不満が多い子には必要なのだとつくづく思っていましたよ・・
でも
自分の子のことを考えたとき
自分が子供にとって信頼できる大人であるかどうかというのが、ちょっと不安になりました
だから、これからの自分の発言とか、子供の発言に対して、ちょっと冷静に分析?してみようと思いました これが正しいとか、これでいいんだ みたいな考え方は捨てて、どう思っているのかな?どう感じているのかな?という話を聞きたいと・・
で、最後に聞いた
「子供が信頼してくれる大人」4か条?を守っていきたいなと思いましたよ・・
1)日ごろから子供の悩みを馬鹿にしないできいてくれる
2)解決方法を1つ提示するのではなく、最低3つ以上与えて
くれ、実践するのをどれにするかは子供に選ばせ
なおかつ、何も言わずに黙って見守ってくれる
3)良い意味で行動力をもっている
(何かを一緒に行動してくれる「お父さんも一緒に
いって、二人でみてみようか」など)
4)正しく真面目だけでなくユーモアを十分に交えてくれる
とりあえず、私は(2)と(4)を強化しないといけませんな^^;
その他、「子供を非行少年にしない」3か条は
1)子供が、自分自身がすきである 自己受容をしていること
2)身の回りに信頼できる人がいること
3)人の役に立てる自分を知っていること
逆に、子供に絶対につぶやかさせてはならない言葉というのは
「おれは生まれてきてはいけない子だった」
「生きてくる必要はなかった」
親に直接言われたわけでもないのに、そう感じる原因があるというのは・・寂しいですよね・・ 親が思ってもみないことをいつのまにか子供が感じているって・・ 恐ろしいし、さびしすぎます
保護司の小野寺さんは、最近のいじめで死んでいってしまう子供がどうして親にそのことを打ち明けられないでいたのか・・
それを最後にまとめとしてお話してくれました
なんだか、とっても心の中にしみこんできたお話をいただいて
ありがたかったです ハイ
コメント
「比較と差別」は、確かにやったらダメですねw親のことを好きになれない子どもは悲劇です。。。
かといって親も聖人君子ではないけど、そうなろうとする姿勢は子どもに伝わるんではないかなぁ。
ピーターパンさんのお子さんは幸せですね☆ミ
私は長男が生まれたころは、親をみて反面教師的に子供にはこうしよう、ああしよう、こんなことはしないでおこうと心に決めていたのです ところが、実際に子育てを始めてみると、どうも理想と現実とは異なっていて、自分の子育てでほめられる部分もあるけど、親の子育てを否定した分、その否定という作業によって、かえって失われたものもあったと・・時間の経過とともに感じることが多かったです
奈良で子供が継母と兄弟を焼き殺したという事件がありましたよね それは父親の体罰を含めた子供への過度な教育(学業のみ)によって引き起こされたものでしたが・・独身だったり子供がいなかったりしたら、そんなひどいことをする親なんて信じられなーい!と他人事で終わるのでしょうが・・親としては、この父親の行動はわからないでもない(推測しうる)ことだとも理解できるようになったのです 自分はこの父親とは違うとは決して言い切れないものが確かにあるんです
子育ては中途半端にしたら必ず結果が出るものだと、今日もつくづく思い知らされましたよ・・・ほんと(^_^;)