今日も配達は無事終えました
いよいよ二ツ星の試験にあわせて、自宅でも勉強をすることにしましたよ〜っていっても、ワードで穴埋め問題作っているだけですけどね・・^^; 接遇マナーのペーパーテストである二ツ星試験は、ひっかけが多いので、テキストをくまなく覚えなければならないなぁ〜って感じです 問題作っていると、結構笑える?ことも多くて(たとえば、役職は「オープン」で「フラット」な姿勢で意見を議論しあわなければならない とか?)楽しんでやってます 当たり前だよな〜とか、ここの表現変えたほうがいいんじゃない?とか勝手に執筆者に文句つけたりしてまーす(笑)
さてさて、今日は9月11日ということで、TVでも911のことを盛んに取り上げていますね
実はこの911があった年、つまり2001年に、私たちはヨルダンに駐在になりました あちらで暮らし始めたのが7月中旬でしたので、9月といえば、まだ子供たちのドキドキアメリカンスクール入学間もないときで、大変驚きました!しかも、直後にヨルダン国外に出て、バーレーンに行くということにもなってしまって・・・結果的には旅行に行ったみたいな感じではありましたが・・ ジャカルタも駐在中に不穏な情勢になったのですが、またしてもか?という感じがしたものです
そのときに、たまたま日本から出張にいらした夫の上司から、以前の湾岸戦争の話を伺いました 上司はそのころのことが髣髴とされたらしく、やや興奮ぎみに詳しく教えてくれました
湾岸戦争のときには、夫の上司はまだ奥様が妊婦さんだったらしいのです で、もちろんイラクに駐在中であった(現在イラクには駐在はできませんが・・その当時は結構駐在員がいました)ので、退避というときになり、いろいろすったもんだしたらしいのですが・・(誰を先に帰すかという優先順位らしきもので・・)とりあえず無事奥様方はを国境まで送ることになったのです 当時イラクからは飛行機は出せないため、ヨルダンに出国することになったのです で、そのときには爆撃にあわないように、車のライトは全部消して(夜にもかかわらず)移動したと・・ そのとき上司は「月灯りというものを実体験した」と・・ なんだか日本人がもつ「月の砂漠」っていう感じだなぁ・・ それにしても車で脱出とは・・心配されただろうなぁ・・と思ってしまった
で、ヨルダンには日航機が待機していたらしいのですが、出国された方々はみなさん「鶴のマーク」を見てほっとされたとか・・うーーん そっかぁ・・大変だったんだなぁ・・
くしくも、ジャカルタでも元スハルト大統領政権が傾いたときに治安が悪くなり、急遽多くの日本人が脱出をしたというのを報道でやっているのを日本でみました 私たちは本当は4年の約束でジャカルタ駐在になったのですが、任期2年で小さい子がいる(次男がまだ2歳だったため)という理由で、治安悪化のため3月に本帰国したのですが、その2ヵ月後の話です TVには知った顔の方もいらして、また、後日知人に会ったときにその話を聞いて、駐在員の苦労を大いに感じたものでした
で、911後、アメリカが声高に「大量破壊兵器がある」と叫んでいましたけど・・あれ、夫と最初から「あるはずないよね〜イラクがそんなお金持ちじゃないよね〜」と言っていたのですが・・その理由をもって攻撃したのですからびっくりしてしまった なんだかひどい話だなあ・・・と思っていたら、やっぱり破壊兵器なんて出てこない おまけに、その当時は、出てこないってことも世間はあんまり気にしてなかった なんだかなぁ・・ 国連査察団だってしつこく居座っている ○スラエルがパレスチナ地区を勝手に攻撃して何百人もの死者を出し「虐殺」と言われた事件があったときには、ろくな調査もできず(○スラエルが強硬姿勢を示したのでs)帰ってるっていうのに・・ なんだかなぁ・・ なんだかなぁ・・ っていう気持ちばかりでしたよ>911以後
それに、当初からイラクに民主主義は成立しないと言われていましたよね イスラム教徒は独自の世界があるので、日本を民主化したのとはわけがちがいます そんなかんなで、今もイラクはめちゃくちゃになってしまって・・・これまたなんだかなぁ・・て感じ・・・
ちなみに、3年半の駐在で、父が亡くなったこともありましたし、子宮筋腫の手術もしたこともあり、イラク攻撃での2ヶ月の日本退避を含め、9回も日本に一時帰国してせわしない駐在となりました イラク攻撃での退避のときはさすがに「ヨルダンだけでなく中近東の駐在者がこぞって退避しなければならないような戦争って・・ 退避するものの気持ちなんぞは、ブッシュ大統領にも日本の政治家にもわかんないんだろうーなー」って思ってました
私も中東情勢には疎かったのですが、日本人はオサマビンラディン氏を悪魔のように言っていますけど、もともとイスラムの聖地サウジアラビアに多国籍軍つまり外国人による軍隊を入れたのはアメリカで、ことごとくイスラム感情を逆なでして怒らせている・・というより自分(自国?○ラエルロビー?)の都合で動いているって感じがする 911にしても早い時期から、あの当日(貿易センタービルに入っている)○ダヤ系企業の会社はなぜか休みだったとか大統領は事前にこの計画を知っていたとか、アラブ人にあんな綿密な計画を立てられるはずがないなどという妙な理由で、あの事件はアメリカ陰謀説という話は出ていたのに、最近の報道でやっと冷静にあの事件が語られているのをみると・・ これまたなんだかなぁ・・・って感じです
あと、私は知らなかったのですが、フセイン元大統領失脚後、イラクにはいろんな国が出入りしていたようなのですが、アメリカやフランスなどは、外交=国益という図式がはっきりと出ているらしい 日本はというと、別に大使館や外務省がなにか民間企業のためにしてくれるということはなく、企業は企業で動いているらしい そういう立場から見ると、アメリカにしても他国にしても、いまだに「侵略」というものが形を変えて存在していて、コロンブス時代と同じなんだなぁ〜ってふと思ってしまった したたかにもなるはずですよね〜 国益かかってるんだもの って・・ブッシュの場合は国益というより私益ですかねぇ・・
イラクって、私も未踏の地ですが、夫が言うに、イラク人はとても親日的で、フレンドリーだそうです 世界四大文明の地、メソポタミアの子孫は、誇り高く?ブランドや一流品がお好きだそうで、日本製品はとても好きだそうです
以前、ヨルダンの死海のホテルにとまったときに、すぐに周りの人と仲良くなる次男が、「おかあさーん ぼくの絵を描いてもらったよ!」とうれしそうに画用紙を持ってきたことがありました あら?誰に?って聞くと「若いおねーさんに」・・って・・くれよんしんちゃんみたいだなぁ・・ 苦笑しながらその人のところにつれていってもらって、つたない英語で話しかけたら、その人イラク人で美大の学生だそうなんですが、この戦争でヨルダンに退避しているとのこと・・ びっくりしました でも、こんなふうに東洋人にたいしてフレンドリーな対応、次男の絵を楽しんで描いてくれたりして、夫が言っていることって間違いじゃなかったんだな〜って思ったことがありました その後何人かのイラク人に会いましたけど、みなさん紳士でとても快活で、感情豊かな感じがしましたよ ほんと
ということで、イラクびいきの私としては、911事件は何年たってもアメリカの大儀にはなりえないと確信していて、アメリカの「テロ」発言には注意深く耳を傾けてしまうのでありました
いよいよ二ツ星の試験にあわせて、自宅でも勉強をすることにしましたよ〜っていっても、ワードで穴埋め問題作っているだけですけどね・・^^; 接遇マナーのペーパーテストである二ツ星試験は、ひっかけが多いので、テキストをくまなく覚えなければならないなぁ〜って感じです 問題作っていると、結構笑える?ことも多くて(たとえば、役職は「オープン」で「フラット」な姿勢で意見を議論しあわなければならない とか?)楽しんでやってます 当たり前だよな〜とか、ここの表現変えたほうがいいんじゃない?とか勝手に執筆者に文句つけたりしてまーす(笑)
さてさて、今日は9月11日ということで、TVでも911のことを盛んに取り上げていますね
実はこの911があった年、つまり2001年に、私たちはヨルダンに駐在になりました あちらで暮らし始めたのが7月中旬でしたので、9月といえば、まだ子供たちのドキドキアメリカンスクール入学間もないときで、大変驚きました!しかも、直後にヨルダン国外に出て、バーレーンに行くということにもなってしまって・・・結果的には旅行に行ったみたいな感じではありましたが・・ ジャカルタも駐在中に不穏な情勢になったのですが、またしてもか?という感じがしたものです
そのときに、たまたま日本から出張にいらした夫の上司から、以前の湾岸戦争の話を伺いました 上司はそのころのことが髣髴とされたらしく、やや興奮ぎみに詳しく教えてくれました
湾岸戦争のときには、夫の上司はまだ奥様が妊婦さんだったらしいのです で、もちろんイラクに駐在中であった(現在イラクには駐在はできませんが・・その当時は結構駐在員がいました)ので、退避というときになり、いろいろすったもんだしたらしいのですが・・(誰を先に帰すかという優先順位らしきもので・・)とりあえず無事奥様方はを国境まで送ることになったのです 当時イラクからは飛行機は出せないため、ヨルダンに出国することになったのです で、そのときには爆撃にあわないように、車のライトは全部消して(夜にもかかわらず)移動したと・・ そのとき上司は「月灯りというものを実体験した」と・・ なんだか日本人がもつ「月の砂漠」っていう感じだなぁ・・ それにしても車で脱出とは・・心配されただろうなぁ・・と思ってしまった
で、ヨルダンには日航機が待機していたらしいのですが、出国された方々はみなさん「鶴のマーク」を見てほっとされたとか・・うーーん そっかぁ・・大変だったんだなぁ・・
くしくも、ジャカルタでも元スハルト大統領政権が傾いたときに治安が悪くなり、急遽多くの日本人が脱出をしたというのを報道でやっているのを日本でみました 私たちは本当は4年の約束でジャカルタ駐在になったのですが、任期2年で小さい子がいる(次男がまだ2歳だったため)という理由で、治安悪化のため3月に本帰国したのですが、その2ヵ月後の話です TVには知った顔の方もいらして、また、後日知人に会ったときにその話を聞いて、駐在員の苦労を大いに感じたものでした
で、911後、アメリカが声高に「大量破壊兵器がある」と叫んでいましたけど・・あれ、夫と最初から「あるはずないよね〜イラクがそんなお金持ちじゃないよね〜」と言っていたのですが・・その理由をもって攻撃したのですからびっくりしてしまった なんだかひどい話だなあ・・・と思っていたら、やっぱり破壊兵器なんて出てこない おまけに、その当時は、出てこないってことも世間はあんまり気にしてなかった なんだかなぁ・・ 国連査察団だってしつこく居座っている ○スラエルがパレスチナ地区を勝手に攻撃して何百人もの死者を出し「虐殺」と言われた事件があったときには、ろくな調査もできず(○スラエルが強硬姿勢を示したのでs)帰ってるっていうのに・・ なんだかなぁ・・ なんだかなぁ・・ っていう気持ちばかりでしたよ>911以後
それに、当初からイラクに民主主義は成立しないと言われていましたよね イスラム教徒は独自の世界があるので、日本を民主化したのとはわけがちがいます そんなかんなで、今もイラクはめちゃくちゃになってしまって・・・これまたなんだかなぁ・・て感じ・・・
ちなみに、3年半の駐在で、父が亡くなったこともありましたし、子宮筋腫の手術もしたこともあり、イラク攻撃での2ヶ月の日本退避を含め、9回も日本に一時帰国してせわしない駐在となりました イラク攻撃での退避のときはさすがに「ヨルダンだけでなく中近東の駐在者がこぞって退避しなければならないような戦争って・・ 退避するものの気持ちなんぞは、ブッシュ大統領にも日本の政治家にもわかんないんだろうーなー」って思ってました
私も中東情勢には疎かったのですが、日本人はオサマビンラディン氏を悪魔のように言っていますけど、もともとイスラムの聖地サウジアラビアに多国籍軍つまり外国人による軍隊を入れたのはアメリカで、ことごとくイスラム感情を逆なでして怒らせている・・というより自分(自国?○ラエルロビー?)の都合で動いているって感じがする 911にしても早い時期から、あの当日(貿易センタービルに入っている)○ダヤ系企業の会社はなぜか休みだったとか大統領は事前にこの計画を知っていたとか、アラブ人にあんな綿密な計画を立てられるはずがないなどという妙な理由で、あの事件はアメリカ陰謀説という話は出ていたのに、最近の報道でやっと冷静にあの事件が語られているのをみると・・ これまたなんだかなぁ・・・って感じです
あと、私は知らなかったのですが、フセイン元大統領失脚後、イラクにはいろんな国が出入りしていたようなのですが、アメリカやフランスなどは、外交=国益という図式がはっきりと出ているらしい 日本はというと、別に大使館や外務省がなにか民間企業のためにしてくれるということはなく、企業は企業で動いているらしい そういう立場から見ると、アメリカにしても他国にしても、いまだに「侵略」というものが形を変えて存在していて、コロンブス時代と同じなんだなぁ〜ってふと思ってしまった したたかにもなるはずですよね〜 国益かかってるんだもの って・・ブッシュの場合は国益というより私益ですかねぇ・・
イラクって、私も未踏の地ですが、夫が言うに、イラク人はとても親日的で、フレンドリーだそうです 世界四大文明の地、メソポタミアの子孫は、誇り高く?ブランドや一流品がお好きだそうで、日本製品はとても好きだそうです
以前、ヨルダンの死海のホテルにとまったときに、すぐに周りの人と仲良くなる次男が、「おかあさーん ぼくの絵を描いてもらったよ!」とうれしそうに画用紙を持ってきたことがありました あら?誰に?って聞くと「若いおねーさんに」・・って・・くれよんしんちゃんみたいだなぁ・・ 苦笑しながらその人のところにつれていってもらって、つたない英語で話しかけたら、その人イラク人で美大の学生だそうなんですが、この戦争でヨルダンに退避しているとのこと・・ びっくりしました でも、こんなふうに東洋人にたいしてフレンドリーな対応、次男の絵を楽しんで描いてくれたりして、夫が言っていることって間違いじゃなかったんだな〜って思ったことがありました その後何人かのイラク人に会いましたけど、みなさん紳士でとても快活で、感情豊かな感じがしましたよ ほんと
ということで、イラクびいきの私としては、911事件は何年たってもアメリカの大儀にはなりえないと確信していて、アメリカの「テロ」発言には注意深く耳を傾けてしまうのでありました
コメント
TVで見ると「なんであんな何もないとこに暮らしているんだろ?」って思ってましたが、カラチ、アブダビ、バーレンに行き、不思議な魅力を感じている自分を自覚しました
文化が全く違うので、本当に外国だと感じますよね・・・
911に関してはNYのあのビルにいたかもしれない自分を思うと背筋が凍ります
でも自分達だけが一番不幸な出来事(911)を経験したのだというアメリカの意見には同調しかねるし、ブッシュ大統領の西部劇的発想で始めた今回のイラクへの攻撃も納得いきません
ただ・・・どこの国でも
本当に無力で弱い何も罪のない人が犠牲になっている
世界で豊かなのはほんの少しの国で
殆どは教育も満足に受けられず、明日食べる物もない
そういう事も忘れてはいけないと思います
今日は世界を考える日でありたい
それが私の911です
多角的視野でのコメントをありがとうございます!
ほんとうにそうですよね 教育を受けられず、食べるものもない 今の日本人は自分のことではないって蚊帳の外にいるのかもしれませんね かく言う私も外地にいかなければ、路上で裸足で新聞を売っている子を見ることも、お金を恵んでもらうために自ら足を切ってしまった人がいるということを知ることもなかったでしょう 限られた環境にいるとしても、情報が溢れている今だからこそ、世界にちゃんと目を向けておかなければいけないんでしょうね
コメントありがとうございます。普段は素敵な写真や「〜と思うのは私だけでしょうか?」で終わる薀蓄のあるお話を見させていただきましてありがとうございます 私は学識もありませんので、駐在員なら誰でも知っているようなことしか書きませんが・・ 読んでいただいて光栄です