新人だから思うことかもしれませんが、矛盾に感じることをば・・

郵便配達するときに、手紙をその道順ごとに把捉(はそく)するという作業を事前にしておかなければならないのですが、このときに、実は研修で受けたときにしてはいけない作業というのがあり、団地の担当の人はこれをしています

そのしてはいけない作業は「区分口(くぶんこう)戻し」と言われるもので、なぜしてはいけないかというと・・ 
現在、局で配達する郵便物を分類するのは、専用の大型機械がまずしてくれます この機械が読み取れなかったものは、はじかれて人によって分けられてきます で、機械が読み取る方法としては郵便番号もありますが、郵便番号の誤り、または未記入があってもすぐにはじかれずに、「宛名」で読み取ってくれます 最初はこれがすごいなぁ・・と思っていましたが、仕事をしているとこの宛名で読み取るものというのが、間違ったところに入ってきたりするんですなぁ・・

さらに、機械が郵便物を選別するさいに、薄いはがき大の郵便物が大きなものにくっついてきたりします 郵便物のなかに請求書類ではがき大なのですが、実際はシールでくっついていて、それをはがせば中身が見えるというタイプのものありますでしょう?(正式名称は知りませんが・・)それが意外とぺっとりとくっつきやすいタイプだったりして、私が把捉しているときにも、三通も四通もまったく違う地区のものがまざったりしているのです

で、それらの間違った郵便物というのが、パーセンテージでいうと少ないにしても、今担当している地区でいえば、1地区に対して10から20通ぐらいあったりします

で、「区分口戻し」の問題に戻ると、担当している団地のベテランの方は、その日に受け取った郵便物がなるべく翌日にまわらないようにするのを最優先としているため、機械から選別されてきたものを、把捉のときにはじきだしたいわけなんですな 丁寧に確実に配達するという点で、いくつも気をつけなければいけないことがあるのですが、それらの郵便物は誤配を招く恐れもありますので、未然に防いでいるという感じがしないでもないわけです

簡単に説明すると、要するに「区分口戻し」をせずに効率的に把捉をするという、正当なやり方(関東支局が謳っている=新人研修で教えられたこと)というのは、手選別のものは、いったん道順ごとの棚にいれてもいいが、機械選別できたものについては、それらは間違いがないということを前提に、そこに手選別のものを差し込んでいけばよいという・・そういう流れになっているわけです

研修を終えて「区分口戻しはいけない」と言われた私は、さっそく先輩方にはその旨言われたということを断っておいて、区分口戻しをせずに把捉をしてみました

そうしたら、どうなったと思います?

これは大いに配達のときにとまどってしまいました つまりは、機械分類されたものにミスが多くて、持ち戻りのものが多量に発生してしまったこと それから、研修で聞いたとおりにやった方法だと、くっついた郵便物がそのままになっている可能性が多くて、配達するときにそのチェックをしなければならないという、いわばくっついた郵便物へのチェックの回数が(配達時の)一度になってしまって、チェックの回数が減るということは、誤配しやすいものになってしまっている・・・ということを実感してしまいました なれない配達人にとっては、誤配しないように配達するのが手一杯なのに、余分な危ない郵便物を持つ事態に陥ってしまい配達に余計な時間がかかってしまいました

さらにいえば、機械が覚えている道順と、実際に私たちが配達している道順というのは異なっている場合があるため、把捉するときに、余計な意識を混ぜなければならない 機械から出てきた郵便物が「道順になっていて誤配になる郵便物が含まれていない」ことによる余分な作業というのを解決することは、研修中にも教えてもらわなかったことでもありますし・・ いわば研修中に習ったことは、一応の目安になることだけで(業務遂行の上で基本的に流れがこうなっているんだということを確認はできます)業務にあわせての効率化というのは、担当する方の経験による判断が混ざってくるのは当然のことなのだと そう思います

ゆえに、把捉における時間を計って、それでどのくらい効率的に把捉ができているか?といった効率化を調べるようなことを習志野郵便局でもグラフに出していたりしていたようですが・・
そんな安直なことを推進していいのかな?と思います

その効率化に見合うだけの作業の仕方というのは、持ち帰りの郵便物が多くなってもよい・・あるいは、あて先が異なったり旧住所できたりするものは、バンバン送り主に戻してよい くっついた郵便物はチェックの回数が減って誤配が増えても仕方ない そんな作業のように思えてならない 特に、ベテランの人だけでなく、郵便配達員が不足している中、非常勤としての新人の勧誘をしたいのならば、ベテランの人と、新しく仕事を覚える人とのギャップを、もっと具体的に掘り下げて埋めていくものが必要なんじゃないか?と思うわけです 一方では研修を通して非常勤の人には机上の空論的な、機械信仰の強い説明をし、現場に戻ったらベテランの人には「そのやり方じゃぁ ミスが多くなるわよ」と言われてしまうのは・・ 新人としてはやはりその研修内容には疑問を覚えてしまうし、その方法によって「作業の効率化リスト」や「成績グラフ」を作成するっていうのも???です 

 やはり郵便業務というのは、「配達」という仕事を通して、人と人との絆を結んでいるという・・最近の世の中にありがちな「合理化」「効率化」などに縁遠いものがあってもしかるべきなんじゃないか?と思ったりするわけです 

(郵便やさんへの感謝があるブログ)
http://you.moe-nifty.com/diary/2004/12/index.html

ここに書いてある郵便やさんは、きっとベテランの方でしょう 宛名が違っても住所が違っても郵便物の内容で「この人への郵便物だろう」というのがわかるほど精通するのには年数がかかりますから 研修中に「だろう配達はやめよう」とも言ってた 誤配につながることはやめなさいという意味ですが、そういうのに無縁なベテランの配達員は全国にたくさんいると思う

結局のところ民営化するっていうことは、大切なことを失わないか?ということを懸念しています 郵便は今はインタネが当たり前になり、年賀状もパソコンで作ってメールで送るという家も増えているし、郵便離れが進んでいる世の中、郵便というものをそういうものとは違って大切に利用している人だっているはず 国家公務員は「遍(あまね)く、平等に」仕事をしなければならないと説明を受けました 僻地であろうがもうからないところであろうが、郵便を出す人のために働くことが配達する人にとっての誇りでもあると思う 作業の効率化、合理化も結構 でも今のようなやり方では、郵便事業が独立採算になってもどうにも採算がとれるものではないだろうし、信用という点において、郵便が生き残るためには、質の向上と内容の充実に重きをおいたほうがずっといいと思う 信用をなくすような効率化は排除すべきだと思う さらには非常勤を増やしたいのなら、初めて郵便配達をする人にも、安心して(つまり誤配などを極力防げる)配達ができる環境を整えるべきだと思う

実際クロネコさんのメール便の配達を見ていたら、あて先の人がいようがいまいが、とにかくポストに入れてくるという件数第一主義が伺われます そういうやりかたと同じ土俵に乗るつもりでいるのかな?とふと思ってしまう もちろん目下のところは郵便局は転居通知をしていただくことで、転送を1年間(延長すれば何年でも可能なの知ってました?)続けてくれますけどね・・

私は郵便業務の民営化なんて意味がないと改めて思います 郵便は国が守り、こういう事業だからこそ、私たちの大切な税金を使うべきなのではないでしょうか? 人間関係が希薄になっている世の中・・人と人をつなげる大切な役割をちゃんと担わせるべきなのだとつくづく思うのであります

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