どうもこの二つが欠如している昨今のように思えます

時間管理はもともと不得手なのですが、やはり夜遅い生活というのは抜本的に直さないといけない・・と思えるほど毎日の疲労の蓄積を感じます それがそのまま自己管理につながっていくと思いますが・・ なんだか無駄な生き方をしている面が浮き出てきているようで、つくづく自分の不甲斐なさみたいなものを感じます

奇しくも学年だより第三号を書き上げたのですが、今回はかなり辛口?に子ども、親、先生のことを書きました でもそれは客観的にみる目も必要だという観点からと、もうひとつはやはり自分の子育てを通して自分の甘さも指摘しているという自分への反省もこめている・・・ という面もあります おしなべて自分のことを振り返ってみますと、やはり自由主義の名の下に(自分が勝手にうちたてている主義ですが・・)自分の能力を肯定するという行為が多いようにも思えます たとえば買い物ひとつにしても、自分の管理でなんでも買いますけれども、無駄が少々出ても「ま・・いっか これも私流なのだ 夫のようにつましくはできない大名切りの血があるのだ(注:大名切りとは、私が小学生のときに母が夕食のあとデザートを出してくれたのですが、りんごの皮のむきかたが、結構粗くて実が皮に分厚くついていたりする それを称して、無駄なきり方をすることを大名切りと言っていました)」なぁんて言い訳のような後天的遺伝のせいにしたりしている・・ 倹約家の夫に指摘なぞされようならちょっとムカッときたりする でもそれは本当は誤っているんですよね 窮屈に生きるのが性に合っていないというのは夫も私に対して感じていることではあります たとえば最近夫が私に言うときに「あなたの性格だとお金なども考え方が違ってくると思うけどね、あなたはお金は天下の回り物だと思っていると思うけど、僕はちょっと違うから」と、自分と異なる考え方であるということをやんわりと指摘してくる 確かに私はお金に対しては頓着がないです 頓着しないでいいほど裕福ではないにしても、倹約すればきっと今よりは金銭的には楽になるというのは理解しています ただそこのところ、私の精神的に加えられる圧力との均衡が破られるのを自分勝手におそれているんですね つまり、倹約倹約!と毎日を切り詰めたとき、その生活に私が果たして耐えられるか?ということです もちろん今の私はそれなりに倹約しています アルバイトをしているのもそうですが、スポーツひとつは日常的にやっていこうというものもカットしてますし、他になにか娯楽をしているというわけでもありません 強いていえばパソコンでインタネをするぐらいですが・・ 我が家は学費および食費と、バブル崩壊あたりで買った高額のマンションローンを払うのがほとんどですから・・ 

何をくどくど書いているんでしょうねぇ・・
つまりは、お金の使い方ひとつをとってみても、私は私の今の人生をもって「無駄なく生きる」っていうのができていないってことです それを郵便の仕事を通していやというほど身にしみて感じてるということですなぁ・・ つくづく

何一つ無駄なく合理的に生きるっていうのはすごいなぁ・・と思うけど憧れはないですね 賢明だと思っていても理想にはならない それでも、仕事という点においてはそれは有害な考えかたなのだと思う だから本当は仕事つまりお金をいただいてする仕事はしたくなかった それはなにより自分が基準という私にとってリラックスできる環境を捨てることを敬遠したのだと思う 自分が基準といっても自分が法律だぁ・・なぁんていう大層なものでは決してないのですが・・ 自己中心的な発想だなぁ・・と思われたらそれはそうかもしれない 

クロネコヤマトの仕事をし始めたときに感じたのは、以前社会人だったころの仕事と、外回りの仕事の差です 以前の仕事はインストラクターという職種でもあり、講習会をしたり立てたりと、あくまで会社の方針にのっとっていたものの、メインになるのは自分自身の企画力であったり教えるということについてのテクニックだったりしたし、スケジュール的にもお客様が講習会のスケジュールに合わせてきてくださるという形だった もちろん実際の現場ではお客様第一主義というのは今の仕事、クロネコの配達の仕事においてもまったく変わりませんけど・・ しかしながらこのスケジュールに置いて、だれかの時間にふりまわされるということはなかったように思います けれど配達は違う・・少なくともクロネコはまったく違った あの仕事はお客様の都合に体力も精神力も振り回されるところがあるのです 日も時間も厳守・・言葉にするとどんな仕事もそうだよといわれてしまいますが、厳守という言葉の中にもっと自分の都合が一切無視されてしまうという都合だらけなのです この違いは私にはちょっとカルチャーショックのようなものでありました 目指すものが違うというのか・・力を尽くすところがぜんぜん異なるんだなぁ・・と・・ そう思えるのです

郵便局の仕事は同じ配達であってもかなり配達する人にとって都合がいいように配慮されているところがある 夫にいわせれば組合の力が絶大なんじゃないか?とのことですが、公務員というのは死んでも稼げ!っていうのは少なくともないように思う 配達員の人数がそれを物語っているようにも思えます もっとも郵便局の場合は、郵便業務よりも、郵便貯金、簡易保険という巨大資金源が圧倒的な力になっていますから、郵便配達の仕事だけを見ている私の見解は狭いところがあるとは思いますが・・ たとえば労働時間も、細分化されていて、非常勤・・つまりアルバイトのママさんパワー、年金生活者の人生余力パワーなどをうまく活用するために、朝だけ、昼間の4時間だけ 夕方の4時間だけ・・あるいは8時間だけといった、多岐にわたる労働時間が用意されていたりするのです アルバイトの情報誌でみた「NTT番号案内」にも似たような形で多岐にわたる労働時間が用意されているのを見ました・・ これはおそらく官公庁や公社での人の使い方なのだろうと思います だから、例えば今やっている仕事の配達地域をみると、配達員は、午前中から午後にかけて4人、夕方から夜にかけて二人と、さらにはゆうぱっくには別人員が配分されている ところがクロネコさんは、1地区一人の担当になっていて、その方が休むと他の地区をやっている人が応援したりする おまけに朝から晩まで、その日分の配達が終わるまでは担当する人が全部責任をおっているわけです 郵便局のように局きてくれる人なんて皆無ですからね 営業所に宅配便をとりにいくなんて行為は普通はしないでしょ? 郵便局は局が多いので(小学校の数と大体同等ぐらいです)不在者伝票が入れられていたら、自分でとりにいってくださるお客さまも結構いる 逆に私も配達をしていなかったときは、郵便局からの不在伝票が入っていると「あぁ・・とりに行かなきゃなぁ・あ・」と思ったりしてましたしね 実際にとりに行ったときだって、窓口の人はうまく時間配分された非常勤が待機しているわけで・・ ここのところ、今までの仕事を通して、うまくアルバイトを活用しているのは郵便局だなぁ・・と思います アルバイトを正社員のごとく使えるのは郵便局の方が何枚も上手(うわて)ですね クロネコさんは補助でしかないアルバイトです・・ 逆に「委託業務」という、責任もなにもかも押し付ける形で配達をしてもらってはいますけどね・・ このシステムはちょっと私にはついていけなかったけど・・ 

なんだか「時間管理と自己管理」というテーマなのにうだうだ書いていますが、とどのつまりは、私は局で働いていて、局の「時間管理」に敬服しているということで、逆にいえば、自分の管理の方法は「完全能力制」であるクロネコさんのシステムに近い・・でも、クロネコのように『死ぬ』ほど大変なわけでもなく(実際に脳梗塞かなにかで亡くなった女性配達員がいるというのを聞きましたが、それがわかるような気がした仕事でしたから・・)安穏とした「完全(自己満足型)能力制」をとっているに過ぎないと・・まぁ・・ こんな自己都合主義であることを改めて気がついて ほぉ・・ 世の中はもっともっとしっかりしているのだと・・ そう思うとなんだか非常に疲れてしまっているという情けない自分をも感じているのでありました

だからといって配達がいやだとか言っているわけではありません 私には最適の業務にも思えます 相変らず楽しく業務を遂行しているのは間違いありません しかしながら、この仕事を通してなんだか天の声を聞いているように思えます「手を抜くところと、抜かないところのメリハリをつけなさいよ なにが大事で何が不要なのかをもっと考えなさいよ」ってね ようは「整理(いらないものを捨てることらしい)整頓」をちゃんとしろってことですかな・・ 

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索