社会人時代 思い出話 その2(富士通ワープロOASYSについて)
富士通という会社は、もともとは通信機から始まった会社で、(創業は1935年富士通信機製造株式会社)

ご参考(富士通の歴史)
http://pr.fujitsu.com/jp/profile/history/hist1.html

元々は富士電機製造?だったんですね この会社の通信部門が分離して富士通信機製造になったわけです さらにさかのぼれば、大元の会社は古河工業というのを新人研修のときに聞いたりしたわけですが・・

ご参考(古河工業と富士通のつながり)
http://www.nui.or.jp/zigyou/sem11-2.htm

まぁ・・会社の紹介はともかく、会社の中での大きな仕事はもちろんオフコンであって、当時はパソコンはNECに席捲されていましたし、富士通社内ではまだまだパーソナル機に対しての認識が甘いがためにNECにしてやられていて、名誉挽回のためにあがいていたというそんな時期だったように思います ワープロは富士通が小さなところで汚名?返上しようとしていた世界でもあったかなと・・ 今にして思えばそういう気もしないもないですなぁ・・

さて、インストラクターのお仕事といっても、ただショウルームに来たお客様に操作方法を教えるだけだはなく、大きく3つの仕事の分類がありました ひとつが、ショウルームで開催する講習会の実施(現在もあります 富士通マイゼミナールなるものです) ふたつめが、販売会社さまのインストラクターおよび営業さんへのOASYSの紹介と講習 または、社内新人研修、三つ目がデータショウ・ビジネスショウおよびその他の展示会での支援 ですね で、私は販売会社さまおよび社内の新人研修を主に担当させていただいたりしていました とはいっても、ビジネスショウなどで説明のおねーさんになったり、全国の支店のフェアの手伝いにいったりと、相互には協力しあったりもしていました・・ 最後の方は、富士通ワープロスクールなるものを立ち上げ、夜間に講習会などを開いていたりもしていました(現在はありません)私はどちらかといえば講習会の内容を立案し、テキストを作成したりするのが好きだったので、いろんな仕事をさせていただきましたが、講習会専門員としてのお仕事が一番はまっていたように思います

で、講習会では何を教えていたか?というと、操作方法はもちろん、OASYSの歴史、OASYSの開発思想などもあったわけで、これはものすごく勉強になりました

くだらない話ですが、OASYSって、あの砂漠にあるオアシスとは実はスペルが違います 砂漠のオアシスはOASIS ワープロのオアシスは OA(OFFICE AUTOMATION)SYS(SYSTEM)の略だったりします(一般公募して命名) まぁ・・こんな話から始まってどういう思想の下でOASYSは開発されたか?という話、その当時発売されていた機種以外にある発売当初からのOASYSの紹介など・・ 結構盛りだくさんの内容で講習をやってきました

で、歴史を紐解きます(笑)と、ワープロっていうのはそんなに古いものではなく、商用として実用化販売されたのは昭和54年のシャープが最初だったんですね 富士通のOASYSはその翌年の55年(つまり私が大学に入学した年)に発売され、名前は「OASYS100」でありました(写真ご参考) おぉ〜なつかしいですねぇ・・ フロッピィをまだディスケット(IBMの真似っこ)と呼んでいたころで、3,5インチではなく8インチもあったのです!印字は16ドットで文字にまだ点々が見られるもので・・ そんな粗い印字であってもちゃんと漢字が印刷される・・ 今のパソコンからは想像もつかないほどの遅いスピードで機能も貧弱だったのに、なんと価格は270万円もしたのです!うぅ〜 すごいですなぁ・・・・

その数年後にはパーソナル機の「MY OASYS」が発売されました(高見山関がCMに出ていました) この機種はたしか30万円したのですが、画面がたったの8文字!ほとんどタイプライターの延長上にあったと・・今となっては認めざるを得ないようなワープロ! しかし、文書保存機能や変換能力などは抜群の富士通の製品だったことは確かです

多種多様な製品が出たわけですが、この製品の開発者(富士通)の神田泰典氏
(神田氏の写真と履歴)
http://www.ykanda.jp/kanda.htm
と、インストラクター教育の関係で知り合うことができ、これはとても楽しい経験となりました
神田氏は、英文タイプライターを徹底的に研究して、そのデメリット、メリットを考えた上で、OASYSに特別の配列のキーボード「親指シフトキーボード」なるものをつけました 英文タイプの配列は左手側の上段の文字をとって「QWERTY方式」と言われています このQWERTY方式の良さは、文字が3段に配列されていることで、神田氏は英字の倍以上あるひらがなを「シフトキー」を使うことによってみごとに3段にまとめてしまった・・しかもシフトキーは指の動きを考え、親指のところにもってきて操作性をよくした・・これが親指シフトキーと呼ばれるゆえんなのです さらに文字配列は使用頻度の高いものをよく動く人差し指に集めるようにして、慣れてくるとかなりスピードで打てる設計にしてありました

 思い出してみれば、同じ神田氏が作った「JEFシステム」のキーボードの新聞記者発表のときに、たまたま残っていた私が同行し、デモンストレーションすることになったのですが、そのときにいらした開発メンバーのひとりのS氏が、私のタイピングの様子をみてつくづく「いや〜ほんと速く打てるなぁ・・通常タイプしていると、日本語の場合は、変換作業があるので、つねにカーソルは打ってはバックし、打ってはまた戻りと、後退しながら前進しているっていう感じですが、貴方の場合は常に前進しているように見える」と、開発したメンバーでありながらも感心なさっておられたのを思い出します

もっとも、私はタイピングについては器用だったようで、インストラクターの中でも速く打てる人間でした ちなみに速さだけの問題ではありませんが、社内でワープロ検定1級にもっとも早く合格したのは私ともう一人同期の友人なのでありました(もうなんの役にも立たない資格になってしまいましたが・・)

まぁ・・そういう話はさておき、そういえば神田氏からNHKから発行された「ワープロ 知的道具考」という書籍をサイン入りでいただいた覚えがあります 

(アマゾンで出ていた書籍)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140014784/250-7816687-6214663

神田氏とのご縁は、インスト教育をするにあたって、神田氏自らが講演をしてくださったときがあり、それからのおつきあいでした 神田氏の講演内容はとても面白く当時の日本語の変換が奇妙なものであったものを改善して「正確に確実な文章単位での変換」ができるようにしたことを、いろんな例を交えて説明してくださった(走るをRUNるとは言わないように、「走」と「る」を分けて変換する作業はおかしい・・・といった今では想像もつかない変換作業の原点を見直しておられた) メーカーで製品の開発に携わってきた中心人物とお話ができる幸せをつくづく感じていたものです

くしくも、その当時(入社して3年目あたり?)からいわゆる「パソコン通信」なるものを神田氏が普及しはじめており、当時富士通と日商岩井(現双日)とで設立した「N.I.F(エヌ・アイ・エフ)」の会社の方との接触が始まったのも神田氏にくっついてまわっていたおかげでありました(N.I.Fはその後Niftyとなりました)

ちなみに神田氏のHPを発見しました 神田氏は椿の花が好きで、ハンドルはずっとツバキとしておられましたが、日本のツバキの花の写真なども載っていて内容のあるHPですね(続く)

(神田氏のホームページ)
http://www.ykanda.jp/

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