社会人時代 思い出話 その1(富士通に入った理由)
朝からバカ騒ぎをして楽しんでいる長男次男をみていると少し違う雰囲気を一人で楽しみたくなって思い出話なぞを書きたいと思います

私は新卒で富士通に就職したのですが、希望職種を「インストラクター」としていました ところが就職試験の適性検査でぜんぜんできなかったのが幸い?してかかろうじて「ワープロ」部門に配属されたんですね 

私が就職したのは昭和59年です 私の年代というのは(現在44歳)コンピュータについては微妙な年頃です この年代の人を境として「コンピュータに触れるか否か」がはっきりとわかれるのです もし自分の母親がインタネをまったくしない、できないとしたら、それはまちがいなく45歳以上のお姉さま方なのであります!(笑) (ただし駐在夫人は結構インタネを駆使できる人もいたりする)

この時代はたとえば東急○ンズに導入教育(ワープロを買っていただいた企業などに使い方を教えにいく)にいったときに説明するのが「紙とえんぴつ」を使う作業との違いをメインにしていたのです 実際「挿入」キーを押すと、文字を追加できるように画面がぽっこり空くのを見たら、みなさん「おぉ〜」と身体を乗り出して感激されていた・・ そんな時代だったんですね つまりは、社会人でさえもコンピュータを自分が操作するものとして扱うのがまだ当たり前ではなかったのです 富士通社内ではワープロを使う事務の女性は当たり前でしたが、社外ではまだまだワープロが普及されつつあるという時代でした 当時富士通のワープロのOASYS(オアシス)は都庁に結構入っていたのですが、
これもまだ正式文書としては認められず、和文タイピストが庁内に現存していました 和文タイピストが危機感を覚えてワープロを習いだし始めたころでもあったのです そういう時代にすでに社会人を卒業していた人、あるいは社会人でもコンピュータ(たとえワープロであっても)と無縁だった人というのは私たちよりも上の年代の方になるわけなんですな

で、富士通のワープロ部隊というのは、別会社となっていてその会社に出向していたのですが、この会社で5年弱働いていたんですね 長いようで短い期間でしたが、普段お目にかかれない方ともおつきあいしていただけて有意義でした

そもそもコンピュータメーカーに行きたいと思ったのは、これからはコンピュータを知らなければ遅れた人間になってしまうという私にしては珍しい?先見の明みたいなものがあったんですな 結果として機械音痴の私としては正解でした 

だいたい、私の家も機械音痴の家で、たとえば私が小学校のときはまだ洗濯機は写真にありますような、一層式(つまり洗うところしかない)に手回しでローラーに洗濯物をはさんで絞る(ローラーから出てきた洗濯物はするめのようにぺちゃんこになってでてきたので子供としてはこれがとても面白かったです)ものでありました しかーし!隣のおばさまの家にはちゃんと二層式の洗濯機もあったりして、ローラー式ではどうしても水着の水分がとれないため、脱水機を借りにいっていたほどで・・我が家は家電の新製品に疎い家だったのでありました!(笑)

だいたい私が大学生になったときに(昭和55年)、千葉にテニス合宿にいって全自動洗濯機をはじめてみたときに、それまで二層式を全自動と信じていた私にはギャビーン!世の中にはこんな便利なものがあるんだぁ・・と多少なりともショックを受けたことがあったりもした 大学生のときにはCDが出回り始めたのですが、私は就職してから先輩の家に遊びにいったときに先輩がテレビから番組を録画しているというのをみて、おぉ〜すごい高度なことができる家なんだぁ・・ と感心するほど機械に疎い生活をしていたのでした

大学生になってなにか資格を持とうと決めたのですが、まず英文タイプライターを買ってきた覚えがあります 英文タイプといえばオリベッティ! 確かレッテラなんとかという機種を使っていましたが・・ もちろん電動ではありません!(笑)

バイトで稼いだなけなしのお金で、買う場所もわからず、神田神保町の事務機屋さんでゲットし、神田外語学院に、これまた自費で通って必死で練習しました ガタンガタンバターンとキーをタイプする音が家中に響き、当時器用だった私の指先はどんどんブラインドタッチできるようにはなっていったものの、腱鞘炎の一歩手前までになってしまって指をなでなでやっていたものです ほんと英文タイプって重いですよね〜 ピアノの鍵盤がすっかり軽くなってしまった覚えがあります 確か4万円ぐらいしたものだったと覚えていますが・・・ インタネで探しても同じ機種は出てきませんねぇ・・ 寂しい限りでございます^^;

この英文タイプの習得はとてもためになりました 実は就職してからは富士通のワープロの専門部隊は「親指シフト」という特殊な配列をマスターするのですが、新人研修のときに英文タイプをやっていた私としてはかなり苦しんだのですが、結果的に二種類のキーボードをブラインドタッチできるようになりました 今は親指シフトからは遠ざかりすっかりJIS配列になってしまっていますが・・ ときどき頭の中で親指シフト配列を思い出しながら、ひざの上でキーをたたいたりする真似をして忘れてはいないだろうかとチェックしたりしてますが・・・親指シフトは人間工学的に作られているのがよくわかりますよぉ・・・>JISを使っていると・・ JIS配列はほんと疲れますです ハイ^^;(親指シフト配列については後ほど詳しく語りたいと思います)

ということで、とりあえず大学在学中に英文タイプ配列(つまりJIS規格の英文配列)だけは習得していたというそんな貧しい習得しかない状態でインストラクターを希望していたんですから、まぁなんというか大胆不敵というか、世の中まだまだそんな程度でも入れる時代だったんですなぁ・・・(続)

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