外地での笑えない話(私編) NO.3
2005年12月3日 駐在でのできごとさて勢いづいて次の話をば・・
私事で恐縮ですが、私は「晴れ女」ではありますが、これはちょっとした「災難のがれ」運命傾向があると思っています 結構強運の持ち主だったりしてね^^;
その確信が始まったのは、実はジャカルタ駐在前のお天気からなのであります 私たちが夫とは半年遅れて駐在することになったのは1996年の冬、つまり1月から2月にかけてだったのです ジャカルタ入りは忘れもしない2月9日でしたが・・
その年の1月あたりから、本格的な引っ越し準備を始めたのですが、子供が小さかったことや初めての駐在だったこともあり、ものも多い我が家を整理するのに追われる毎日・・ 最終日近くは父にも手伝ってもらって、連日寝ずの作業が続いていたのです 計画としては、1月の中旬に千葉のマンションを全部空き家にして、それから大阪の実家に戻り、実家への挨拶やらを済ませる予定にしていました 車は親戚の方にさしあげるため、千葉の家の駐車場においておき、荷物を片付けてさっぱりと新幹線で夜大阪にもどる予定だったのですが・・・
ところが物の多い我が家・・ 船便も倉庫にいれるものも、すべて詰め込んだはずなのに、家にはガラクタが山ほど残ってる・・このままでは大阪には帰ることができない・・ 父が「こんなによくためこんだなぁ・・」とあきれながらも「もうこの時間だと新幹線はあと何時間までしかないぞ!」「おい!この時間だともう新幹線はぎりぎりだぞ!」と心配してくれていた・・ しかしついに「おい!もう新幹線の最終には間に合わんぞ!」となってしまったあたりから、父もあきらめてくれたようで「仕方ない、一緒に車で帰ろう」ということになってしまった・・
結局当時の愛車(通称ゴキブリカー)のコロナ(ハッチバック)の後ろに山ほど荷物を入れ込み、まだベビーちゃんだった次男と幼稚園児だった(なつかし〜)長男と父をのせて、寒い日夜中に出発したのでした
さすがに高速に入ってしばらくすると、連日連夜の徹夜がたたってか眠くなってしまった・・ 海老名サービスエリアで仮眠をとって、遠路大阪までの600キロ、運転しない父は私の運転を心配し、一睡もせずに話をしてくれました 途中「おい!おしりをふってるトラックには注意しろ!居眠り運転をしているかもしれないからな」という言葉を夢うつつで「あぁ・・でも私の車がおしりふってるかも〜」などとのたまっていた私を父はどういう気持ちでみていたのでしょうか〜 ごめんねぇ・・しみじみ・・
ということで、前座が長くなっておりますが、無事大阪についたのは翌日の昼・・ ほんとぶっ倒れました・・ でもふと天気予報をみてびっくり!その日大阪はいい天気だったのですが、なんと東京地方は大雪に見舞われていたのです! ぎゃびーん!よかったぁ・・ もし雪がふっていたらとても帰れなかったよぉ・・ 苦労して帰ってきてよかったね と安堵したのです その後、大阪から夫の実家の三重県に移動する日、この日が車を使う最後の日だったのですが・・ この日も昼あたりから、ぼちぼちと天気があやしくなってきたのですが、まさに私たちのあとに、雪が追いかけてくるといった按配で、ギリギリセーフ・・ 帰りは電車でしたから・・問題はありませんでしたが・・ その後大阪にもどり、いざジャカルタへ!成田に向かいひといきつき、無事ジャカルタについたのはよかったのですが・・
その夜の出来事・・ ジャカルタのジャラン(通りという意味)エルランガ(固有名詞)の家は、平屋で広いとはいえ、屋根は安普請・・ で、つかれきった私が寝ようとしたところ、ものすごい雨と雷・・ 一度寝たら起きないという私も、平屋の雷には参ってしまった(私は地震・雷・火事の順番でこわいです) もう恐怖におののいて、疲れもかさなって「私はなんというところにきたんだ〜 こんなところでこれから先何年も暮らさなきゃいけないなんて悲惨だぁ・・・」とショックを受けておりました 翌朝起きてみたら・・ 今度は新聞やニュースでジャカルタが80年ぶりの大雨に見舞われたという報道をしているではありませんか! ここの雨は半端ではありませんので、通常の雨でも道路は冠水し、あちこちで立ち往生する車もみられたりするのですが・・ 80年ぶりの大雨とあって、当時はまだ高速道路が完成していなかったため、空港にいく道はすべて冠水 後日、お茶会などで、この被害状況を聞いてあぜーんとしてしまったという事件?でありました
まぁ・・こんなふうにジャカルタの駐在は始まって、案の定、「はじめよければ終りよし」とは逆の「はじめ悪ければ終りも悪い」という結論になり、大暴動の前に私たちは本帰国することになりました 同じ会社の方はこの騒動に巻き込まれ、当時は自衛隊の艦艇がマレー沖に配備されたほどの騒ぎでしたが、ジャカルタ駐在者がこぞって飛行機に乗って帰ってこられたのを報道でみたとき・・ なんだか申し訳ない気持ちになったりもしました
かように、災害や人的被害にも遭わずにいられる晴れ女の私って・・結構難逃れの傾向があったりするかも〜 と思いつつも、地震恐怖症、高所恐怖症だったりするのは結局難逃れをする人であるのかもしれませんねぇ・・(笑)
ちなみに、私は大阪出身ですが、阪神淡路大震災のときは千葉にいましたし(大阪北部に住んでいるので近くでは被害がでたりした)、ヨルダンで計画されていたアメリカ大使館テロ事件(未遂)が発覚したときも、家族はヨルダンにいましたが、私は手術のため日本に帰国中でありました おまけに今回のヨルダンのテロ事件も私たちの本帰国後にありましたから・・
つまり「私の通ったあとは災難・災害がある」という運命を背負っているっていうことですかね〜 あぁ こわい・・ みなさん くれぐれも私のストーカーにはならないように・・ きっと悪いことがおこりますよぉ(自爆)
私事で恐縮ですが、私は「晴れ女」ではありますが、これはちょっとした「災難のがれ」運命傾向があると思っています 結構強運の持ち主だったりしてね^^;
その確信が始まったのは、実はジャカルタ駐在前のお天気からなのであります 私たちが夫とは半年遅れて駐在することになったのは1996年の冬、つまり1月から2月にかけてだったのです ジャカルタ入りは忘れもしない2月9日でしたが・・
その年の1月あたりから、本格的な引っ越し準備を始めたのですが、子供が小さかったことや初めての駐在だったこともあり、ものも多い我が家を整理するのに追われる毎日・・ 最終日近くは父にも手伝ってもらって、連日寝ずの作業が続いていたのです 計画としては、1月の中旬に千葉のマンションを全部空き家にして、それから大阪の実家に戻り、実家への挨拶やらを済ませる予定にしていました 車は親戚の方にさしあげるため、千葉の家の駐車場においておき、荷物を片付けてさっぱりと新幹線で夜大阪にもどる予定だったのですが・・・
ところが物の多い我が家・・ 船便も倉庫にいれるものも、すべて詰め込んだはずなのに、家にはガラクタが山ほど残ってる・・このままでは大阪には帰ることができない・・ 父が「こんなによくためこんだなぁ・・」とあきれながらも「もうこの時間だと新幹線はあと何時間までしかないぞ!」「おい!この時間だともう新幹線はぎりぎりだぞ!」と心配してくれていた・・ しかしついに「おい!もう新幹線の最終には間に合わんぞ!」となってしまったあたりから、父もあきらめてくれたようで「仕方ない、一緒に車で帰ろう」ということになってしまった・・
結局当時の愛車(通称ゴキブリカー)のコロナ(ハッチバック)の後ろに山ほど荷物を入れ込み、まだベビーちゃんだった次男と幼稚園児だった(なつかし〜)長男と父をのせて、寒い日夜中に出発したのでした
さすがに高速に入ってしばらくすると、連日連夜の徹夜がたたってか眠くなってしまった・・ 海老名サービスエリアで仮眠をとって、遠路大阪までの600キロ、運転しない父は私の運転を心配し、一睡もせずに話をしてくれました 途中「おい!おしりをふってるトラックには注意しろ!居眠り運転をしているかもしれないからな」という言葉を夢うつつで「あぁ・・でも私の車がおしりふってるかも〜」などとのたまっていた私を父はどういう気持ちでみていたのでしょうか〜 ごめんねぇ・・しみじみ・・
ということで、前座が長くなっておりますが、無事大阪についたのは翌日の昼・・ ほんとぶっ倒れました・・ でもふと天気予報をみてびっくり!その日大阪はいい天気だったのですが、なんと東京地方は大雪に見舞われていたのです! ぎゃびーん!よかったぁ・・ もし雪がふっていたらとても帰れなかったよぉ・・ 苦労して帰ってきてよかったね と安堵したのです その後、大阪から夫の実家の三重県に移動する日、この日が車を使う最後の日だったのですが・・ この日も昼あたりから、ぼちぼちと天気があやしくなってきたのですが、まさに私たちのあとに、雪が追いかけてくるといった按配で、ギリギリセーフ・・ 帰りは電車でしたから・・問題はありませんでしたが・・ その後大阪にもどり、いざジャカルタへ!成田に向かいひといきつき、無事ジャカルタについたのはよかったのですが・・
その夜の出来事・・ ジャカルタのジャラン(通りという意味)エルランガ(固有名詞)の家は、平屋で広いとはいえ、屋根は安普請・・ で、つかれきった私が寝ようとしたところ、ものすごい雨と雷・・ 一度寝たら起きないという私も、平屋の雷には参ってしまった(私は地震・雷・火事の順番でこわいです) もう恐怖におののいて、疲れもかさなって「私はなんというところにきたんだ〜 こんなところでこれから先何年も暮らさなきゃいけないなんて悲惨だぁ・・・」とショックを受けておりました 翌朝起きてみたら・・ 今度は新聞やニュースでジャカルタが80年ぶりの大雨に見舞われたという報道をしているではありませんか! ここの雨は半端ではありませんので、通常の雨でも道路は冠水し、あちこちで立ち往生する車もみられたりするのですが・・ 80年ぶりの大雨とあって、当時はまだ高速道路が完成していなかったため、空港にいく道はすべて冠水 後日、お茶会などで、この被害状況を聞いてあぜーんとしてしまったという事件?でありました
まぁ・・こんなふうにジャカルタの駐在は始まって、案の定、「はじめよければ終りよし」とは逆の「はじめ悪ければ終りも悪い」という結論になり、大暴動の前に私たちは本帰国することになりました 同じ会社の方はこの騒動に巻き込まれ、当時は自衛隊の艦艇がマレー沖に配備されたほどの騒ぎでしたが、ジャカルタ駐在者がこぞって飛行機に乗って帰ってこられたのを報道でみたとき・・ なんだか申し訳ない気持ちになったりもしました
かように、災害や人的被害にも遭わずにいられる晴れ女の私って・・結構難逃れの傾向があったりするかも〜 と思いつつも、地震恐怖症、高所恐怖症だったりするのは結局難逃れをする人であるのかもしれませんねぇ・・(笑)
ちなみに、私は大阪出身ですが、阪神淡路大震災のときは千葉にいましたし(大阪北部に住んでいるので近くでは被害がでたりした)、ヨルダンで計画されていたアメリカ大使館テロ事件(未遂)が発覚したときも、家族はヨルダンにいましたが、私は手術のため日本に帰国中でありました おまけに今回のヨルダンのテロ事件も私たちの本帰国後にありましたから・・
つまり「私の通ったあとは災難・災害がある」という運命を背負っているっていうことですかね〜 あぁ こわい・・ みなさん くれぐれも私のストーカーにはならないように・・ きっと悪いことがおこりますよぉ(自爆)
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