塾の成績が上がっていても、平均にまだ届かないというレベルですので、ときどきやっぱりこれではマズイ!(笑)という気持ちがたまり、今日は勤労感謝の日で休みでしたので理科と社会の問題集を一緒にやっていました
次男は全人生の11年のうち、5年半を外地で過ごしている上に、最初の駐在は幼稚園前の2年間、幼稚園の間だけ日本にいてあとはまたヨルダンという按配でしたのでやはり語学の点では非常に見劣りのする学力になっています 帰国子女の中でも日本語の能力が極めて高く維持できる環境というのは、私は個人的には10歳以降の駐在(母国語がしっかりと身についた段階での駐在)だったり、外地でもきちんとした日本語教育を毎日受けられる環境があったりと思ったりしています あとは本が好きな子だったりね まぁ遺伝的に能力の優れている子は別問題といたしましょうか?^^; 次男はこの全ての環境に当てはまらない子なので、当然遅れるのは目に見えていたことなんですが・・もちろんさぼっていたわけではなく、特にヨルダンでは最低限の漢字の練習や基礎計算などは必死でやらせていました 日本語も大切にしていましたしね 彼は唯一記憶力が長男よりは長けていて、アメスクの1年生だったときに、それまで英語ができないということで次男を馬鹿扱いしていた南部出身の先生は、算数において桁の多い数字を英語で言わせるという問題に対して次男は誰よりもできたとのことで、見直してもらったほどです
まぁ・・そんなかんなで、彼の記憶力で助かっているのは漢字の習得で、ヨルダンは日本語補習校というのが週に一回ありますが、それは1週間の授業内容をたった1時間か2時間で終わらせてしまうという難行苦行なのであります(これは補習校の先生にとっても大変です)私が先生をしていたときには、3年生ならばだいたい1時間かけて10個以上の新出漢字を書かせたりします 日本でならおそらく大丈夫なこの作業が困難をきたすのは、当然ではありますが、普段は英語の学校に通い、英語だけで過ごす日々、街の看板に日本語は皆無で習った漢字を自然と復習できる機会もない よって彼らが習得しなければならない漢字というのはほぼ概論のようなもので、使いもしない言葉というものを頭の中だけで習得しなければならないのです もちろん新出漢字の全てを母親が理解していて、その週におやこの会話のなかにその単語を含めて話をできるような・・そんなできた親がいたとしても・・日本での漢字にあふれた環境の中で育つのにはまったくかないません・・ 日本で暮らしているみなさんには「でも英語が入るからその分いいじゃないですか?」と思われるかもしれませんが、この英語についても実は小学校低学年でしたら結構いい加減で、親の努力のわりには日本に戻ったらすぐに忘れていたりするもので・・ ペラペラとしゃべれるのは日常会話の文法もなにもない、ただ感覚によって身につけざるを得ないことがらばかりだったりします ただヒアリングと発音だけはやはり日本では習得できないレベルのことを学んで戻るようですが・・・
で、話を元に戻しますと、結局のところ外地で「日本語」および「日本での学校教育」という点からの学習の遅れという点から見ると、子供たちにとっては負荷ばかりが多く、次男も一生懸命漢字を覚えてもそれは「書き順や日本語を書くということができなくなってしまうのを防ぐ」という効果をのぞむに精一杯ともいえるかもしれません・・ 漢字の量が増えていく小学校3,4年次に英語教育を重視し、漢字の勉強をしなかった子供は漢数字の「五」がちゃんとかけなかったりします 漢字というものをつくりやへんなどで認識できなくなり、その後の学習に非常な困難を与える結果となってしまいます
次男に基礎計算をさせたり、漢字練習を毎日させたりした結果、次男は計算ができなかったり、漢字がかけなかったりといった悲惨な状況は避けられました これは彼の記憶力にもちょっと助けを借りていた部分も大きかったです 覚えが早かったので勉強にかかる時間を最低限ですますことができました がしかし、彼はインターでの勉強でも苦しみましたが、その中で日本の勉強にキャッチアップしていく二重苦も味わいました それだけ真面目にやったとしても、次男にとって今の学力は平均に届かない・・まぁ冷たくみると劣等生になってしまっているわけです
しかしながら、ここのところ長男ではなく次男に対して甘い私としては、ちょっと考え方に柔軟性を持たせたりしています つまりは彼は外地で日本の勉強を思うようにできなかったという「渇望」のようなものをもって日本に帰ってきた そして今はできていないという現実を知っている でも、できないといっても、彼はものすごい勢いで日本の勉強に向き合っています 漢字のテスト(日本での)もかなりぎこちなさがなくなってきましたし、日本のテスト形式にもなれてきました 今日、理科と社会をやっていたら、彼が何度も間違えていたところを修正できる力がついてきたのがわかりました これはなんという前進でしょうか?今は点数はかれの進歩をはかる目安としての存在だけです なにより日本でできる勉強というのを肌身で感じて、そしてスポンジが水を吸うごとくいろいろな面から考えて吸収できる子になってくれればなぁ・・と、勉強をし終えた今思っています
まさに「千里の道も一歩から!」
自分の将来に向かってがんばっていきまっしょ>次男
次男は全人生の11年のうち、5年半を外地で過ごしている上に、最初の駐在は幼稚園前の2年間、幼稚園の間だけ日本にいてあとはまたヨルダンという按配でしたのでやはり語学の点では非常に見劣りのする学力になっています 帰国子女の中でも日本語の能力が極めて高く維持できる環境というのは、私は個人的には10歳以降の駐在(母国語がしっかりと身についた段階での駐在)だったり、外地でもきちんとした日本語教育を毎日受けられる環境があったりと思ったりしています あとは本が好きな子だったりね まぁ遺伝的に能力の優れている子は別問題といたしましょうか?^^; 次男はこの全ての環境に当てはまらない子なので、当然遅れるのは目に見えていたことなんですが・・もちろんさぼっていたわけではなく、特にヨルダンでは最低限の漢字の練習や基礎計算などは必死でやらせていました 日本語も大切にしていましたしね 彼は唯一記憶力が長男よりは長けていて、アメスクの1年生だったときに、それまで英語ができないということで次男を馬鹿扱いしていた南部出身の先生は、算数において桁の多い数字を英語で言わせるという問題に対して次男は誰よりもできたとのことで、見直してもらったほどです
まぁ・・そんなかんなで、彼の記憶力で助かっているのは漢字の習得で、ヨルダンは日本語補習校というのが週に一回ありますが、それは1週間の授業内容をたった1時間か2時間で終わらせてしまうという難行苦行なのであります(これは補習校の先生にとっても大変です)私が先生をしていたときには、3年生ならばだいたい1時間かけて10個以上の新出漢字を書かせたりします 日本でならおそらく大丈夫なこの作業が困難をきたすのは、当然ではありますが、普段は英語の学校に通い、英語だけで過ごす日々、街の看板に日本語は皆無で習った漢字を自然と復習できる機会もない よって彼らが習得しなければならない漢字というのはほぼ概論のようなもので、使いもしない言葉というものを頭の中だけで習得しなければならないのです もちろん新出漢字の全てを母親が理解していて、その週におやこの会話のなかにその単語を含めて話をできるような・・そんなできた親がいたとしても・・日本での漢字にあふれた環境の中で育つのにはまったくかないません・・ 日本で暮らしているみなさんには「でも英語が入るからその分いいじゃないですか?」と思われるかもしれませんが、この英語についても実は小学校低学年でしたら結構いい加減で、親の努力のわりには日本に戻ったらすぐに忘れていたりするもので・・ ペラペラとしゃべれるのは日常会話の文法もなにもない、ただ感覚によって身につけざるを得ないことがらばかりだったりします ただヒアリングと発音だけはやはり日本では習得できないレベルのことを学んで戻るようですが・・・
で、話を元に戻しますと、結局のところ外地で「日本語」および「日本での学校教育」という点からの学習の遅れという点から見ると、子供たちにとっては負荷ばかりが多く、次男も一生懸命漢字を覚えてもそれは「書き順や日本語を書くということができなくなってしまうのを防ぐ」という効果をのぞむに精一杯ともいえるかもしれません・・ 漢字の量が増えていく小学校3,4年次に英語教育を重視し、漢字の勉強をしなかった子供は漢数字の「五」がちゃんとかけなかったりします 漢字というものをつくりやへんなどで認識できなくなり、その後の学習に非常な困難を与える結果となってしまいます
次男に基礎計算をさせたり、漢字練習を毎日させたりした結果、次男は計算ができなかったり、漢字がかけなかったりといった悲惨な状況は避けられました これは彼の記憶力にもちょっと助けを借りていた部分も大きかったです 覚えが早かったので勉強にかかる時間を最低限ですますことができました がしかし、彼はインターでの勉強でも苦しみましたが、その中で日本の勉強にキャッチアップしていく二重苦も味わいました それだけ真面目にやったとしても、次男にとって今の学力は平均に届かない・・まぁ冷たくみると劣等生になってしまっているわけです
しかしながら、ここのところ長男ではなく次男に対して甘い私としては、ちょっと考え方に柔軟性を持たせたりしています つまりは彼は外地で日本の勉強を思うようにできなかったという「渇望」のようなものをもって日本に帰ってきた そして今はできていないという現実を知っている でも、できないといっても、彼はものすごい勢いで日本の勉強に向き合っています 漢字のテスト(日本での)もかなりぎこちなさがなくなってきましたし、日本のテスト形式にもなれてきました 今日、理科と社会をやっていたら、彼が何度も間違えていたところを修正できる力がついてきたのがわかりました これはなんという前進でしょうか?今は点数はかれの進歩をはかる目安としての存在だけです なにより日本でできる勉強というのを肌身で感じて、そしてスポンジが水を吸うごとくいろいろな面から考えて吸収できる子になってくれればなぁ・・と、勉強をし終えた今思っています
まさに「千里の道も一歩から!」
自分の将来に向かってがんばっていきまっしょ>次男
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