理事会は月1度のペースであるのですが、あっという間にめぐってきてしまいます 次男によると私はあと10年ぐらいで死ぬらしいのですが、1ヶ月がこんなに早いとあっという間にきてしまう なんだか焦るような・・ 焦ってもどうにもなりませんけどね・・
昨日理事会があって、特に目新しいこともなく「なんだかやっぱりいろいろお仕事あるなぁ・・」と思いながら終わったのでした でも6月中にちょっとした事件?があったのですが、理事会のあとに当事者から電話をいただいて、ちょっと彼女が居丈高に怒っていたような印象をこちらが持ったことに対して謝っておられれました 私にとってはささいな事件で(他の学級委員さんがちょっとした失敗をされたのですが)、もし自分が相手の立場(怒った側)であったら、もっとすんなりとやり過ごせることだと思っていたので、相手が結構大騒ぎして長である私にお小言を言ってきたのがとても気になっていたのですが・・ どうも彼女の周りの方が何か彼女に言ったようで、私への謝罪の電話・・・ PTAなんて所詮ボランティアなのだからみんなが気持ちよく労働力を提供してもらうことに普段から心がけるようにしています こんな小さな世界で足をひっぱったり、重箱の隅をつつくようなことをするのって結構愚行に思えてしまう ビジネスでもない子供たちのための、あるいは地域のための活動なのですからね^^
まぁ・・そういうスタンスでしていますので、本来あるべき姿を彼女も認識してくださっているようですので、私の方はすんなりと受け入れたのですが・・ 彼女も悩んじゃったのかな?
かような姿勢を持つ私はどうしてもビジネスの中に戻る気がしません ともすれば相手の失敗ばかりを責めたてる世界って自分にとってすごく負担でしたし、また一面そうあるべきっていう気持ちも持っていて矛盾だらけでしたから・・ 仕事を長男の妊娠でやめたとき、「教える」という仕事はとっても楽しかったけど辞めてほっとしたという気持ちもありました 自由になれたっていうのかな・・ いろんなストレスから解放され、管理社会からの離脱を実感できたのはとても私には幸せなことでした
以前夫婦喧嘩をしたときに、夫は私に「もっとあなたの能力を活かせる人と貴方(私ね)は結婚した方がよかったかもね」って言われてしまったことがあるのですが(そう言わさしめたのは私だろうと思いますが)、それは今でも違うって思っています 専業主婦でいられる立場というのはいまや貴重なのかもしれないし、なんとか夫の収入で食べていける環境にはいつも感謝していますから・・ 確かに職業を捨てたとき、自分の能力を開放できる場所が無くなったことには寂しさを覚えました でも結局こうして主婦になっても自分を活かせるところというのはあるんだなぁ・・という結論を今は得ていますから・・ だから、職業婦人でなくなってこの20年弱の間、自分の能力を活かせることができていないという不満はありませんし、また幸せに過ごせているのも事実で・・ さらには、職業婦人でなくとも、社会に貢献できる機会というのは山ほどあるのだと思える・・
そんな機会が今の私にはPTA活動だったり子供とのふれあいだったりするわけで・・ ヨルダンに駐在してからは、自分のスタンスというのがより確立されたなぁ・・って思います そういう新しい自分を認識できて、元気に活動できるのが40歳代なのだという気持ちでもいます きっと50歳代、60歳代になったら今の自分の生活は充実していた・・って振り返れるだろうなぁ・・って思います
ヨルダンでは不自由を強いられたことも多々ありましたが、日本は私にとっては精神的にも行動的にも制限されるものは何も無く、自由気ままに生きていられる そんな生活を今できているのだと思うと毎日忙しくてもこれが幸せなのだなぁ・・って思ったりもしています
春に次男が持って帰ってきた金魚がかなり大きくなってしまっていますが、小さな水槽の中で元気に泳いでいます これ以上大きくなったら彼ら(彼女ら?)は相当不自由だと思いますので学校の池にでも放してあげようかなぁ・・
昨日理事会があって、特に目新しいこともなく「なんだかやっぱりいろいろお仕事あるなぁ・・」と思いながら終わったのでした でも6月中にちょっとした事件?があったのですが、理事会のあとに当事者から電話をいただいて、ちょっと彼女が居丈高に怒っていたような印象をこちらが持ったことに対して謝っておられれました 私にとってはささいな事件で(他の学級委員さんがちょっとした失敗をされたのですが)、もし自分が相手の立場(怒った側)であったら、もっとすんなりとやり過ごせることだと思っていたので、相手が結構大騒ぎして長である私にお小言を言ってきたのがとても気になっていたのですが・・ どうも彼女の周りの方が何か彼女に言ったようで、私への謝罪の電話・・・ PTAなんて所詮ボランティアなのだからみんなが気持ちよく労働力を提供してもらうことに普段から心がけるようにしています こんな小さな世界で足をひっぱったり、重箱の隅をつつくようなことをするのって結構愚行に思えてしまう ビジネスでもない子供たちのための、あるいは地域のための活動なのですからね^^
まぁ・・そういうスタンスでしていますので、本来あるべき姿を彼女も認識してくださっているようですので、私の方はすんなりと受け入れたのですが・・ 彼女も悩んじゃったのかな?
かような姿勢を持つ私はどうしてもビジネスの中に戻る気がしません ともすれば相手の失敗ばかりを責めたてる世界って自分にとってすごく負担でしたし、また一面そうあるべきっていう気持ちも持っていて矛盾だらけでしたから・・ 仕事を長男の妊娠でやめたとき、「教える」という仕事はとっても楽しかったけど辞めてほっとしたという気持ちもありました 自由になれたっていうのかな・・ いろんなストレスから解放され、管理社会からの離脱を実感できたのはとても私には幸せなことでした
以前夫婦喧嘩をしたときに、夫は私に「もっとあなたの能力を活かせる人と貴方(私ね)は結婚した方がよかったかもね」って言われてしまったことがあるのですが(そう言わさしめたのは私だろうと思いますが)、それは今でも違うって思っています 専業主婦でいられる立場というのはいまや貴重なのかもしれないし、なんとか夫の収入で食べていける環境にはいつも感謝していますから・・ 確かに職業を捨てたとき、自分の能力を開放できる場所が無くなったことには寂しさを覚えました でも結局こうして主婦になっても自分を活かせるところというのはあるんだなぁ・・という結論を今は得ていますから・・ だから、職業婦人でなくなってこの20年弱の間、自分の能力を活かせることができていないという不満はありませんし、また幸せに過ごせているのも事実で・・ さらには、職業婦人でなくとも、社会に貢献できる機会というのは山ほどあるのだと思える・・
そんな機会が今の私にはPTA活動だったり子供とのふれあいだったりするわけで・・ ヨルダンに駐在してからは、自分のスタンスというのがより確立されたなぁ・・って思います そういう新しい自分を認識できて、元気に活動できるのが40歳代なのだという気持ちでもいます きっと50歳代、60歳代になったら今の自分の生活は充実していた・・って振り返れるだろうなぁ・・って思います
ヨルダンでは不自由を強いられたことも多々ありましたが、日本は私にとっては精神的にも行動的にも制限されるものは何も無く、自由気ままに生きていられる そんな生活を今できているのだと思うと毎日忙しくてもこれが幸せなのだなぁ・・って思ったりもしています
春に次男が持って帰ってきた金魚がかなり大きくなってしまっていますが、小さな水槽の中で元気に泳いでいます これ以上大きくなったら彼ら(彼女ら?)は相当不自由だと思いますので学校の池にでも放してあげようかなぁ・・
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