心機一転

2005年3月23日 学校・勉強
今日は長男のクラス分けテストなるものがあって、学校が遠方ということもあって5時半に起きて出かけていきました。
普通に日本で育った子とは違い、長男は6年生の1学期から中学3年の今まで電車に乗らずに過ごしましたので(アンマンにもジャカルタにも普通に乗れる電車はありませんでした。アンマンには一本だけ貨物列車を走らせる電車があったようですが、郊外にあり線路を見たことがある程度でした)、テストより電車に乗って一人で遠方に出かけることが心配でした。
幸い最近は携帯がどこででも通じますので・・・順調に学校に着いた模様・・万が一遅れたときは武蔵境駅からタクシーで行きなさいとタクシー代まで渡すところなぞ、ちょっと過保護でしょうかね・・・。

高校はICUなのですが(ICUHSというのが正式な略称)、ここはまさしく長男のような子供のためにある学校、帰国子女だけの受験では顔見知りの方(アンマンおよびジャカルタ)にも会っていろいろな話も聞けてとっても和めました。

思い起こしてみれば、昨年7月に学校見学に回ったとき、他の学校も回りましたがICUHS以外はどっぷり「日本の学校」という感じがしてしまいました。ところがICUHSに行ったら水を得た魚という感じ・・まさにアンマンでの補習校にいつきてもおかしくないような・・そんな子供や親がごちゃごちゃいて、ほんと懐かしいというか、ここなら私も浮かないなぁ・・と感じたのです。それは子供も同じ印象だったようで、学校の雰囲気ももちろん、人となり(外見と醸し出されてくる親子の雰囲気ね)で我が家は一気にもりあがりました。長男はどうしてもこの高校に行きたい!と珍しく自己主張してくれて嬉しかったものです。

成績はさほどよくなかったにもかかわらず(成績=内申、アンマンのインターナショナルスクールでの成績)合格できたのは、まず学校側の姿勢として、アンマンのような僻地(といっても砂漠の真ん中じゃないですよお)出身者それものぞんでではなく親の仕事の都合で・・という子供優先だからじゃないかな?と思っています。日本に住まわれている方はきっと「帰国子女は優遇されていていいなぁ・・」とお思いになられるかもしれませんが、私たちの立場からすると、そういう受け入れをしてくれるところがないというのは子供にとっては地獄です。もちろん帰国子女枠を上手に使っていらっしゃる方もおられるでしょう・・・でも塾もなく、日本人の家庭教師も見つけることが困難で、母親の英語力もインターには追いつかず、父親が教えることも忙しさゆえままならない環境で、彼らは言葉の壁の中で苦しんで苦しんできたのです。言葉の壁によって友達作りでさえ数年は苦しむのですから・・子供たちが苦労してきたことがどれほどのものであったか・・今思い出しながら、彼がICUに合格できたことを心から喜んでいます

とはいってもICUHSは付属校扱いされていませんので、ストレートにICUにあがれるわけではありません。ここのところうまくできています(笑)。本人も自覚できていますが、これからお勉強はがんばっていかないと、希望する進路はとれないというさらなる難関が待ち受けているわけで・・・
一般受験枠、日本人学校枠の優秀な学生にもまれて、逞しくなってほしいとこれまた願ってやみません。

あぁ・・もちろんお勉強だけではありませんよ。上記のような書き方をするときっと教育ママ(→死語?)っぽく思えるかもしれませんが、今はひたすら長男が日本に順応し、社会人としてちゃんと生活できるようになること(なにせ寮生活になりますから)それから部活に入って(本人は剣道部志望)学園生活を満喫してくれること、この二点の方が親としても最重要事項だと思っています。高校、大学という大切なそして二度とこない短い期間をエンジョイしてほしいと長男が赤ちゃんのときから願っていましたゆえ(夫はともかく私はその期間かなり?で過ごしてしまいましたので・・・)

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